第11節 哲学

第1項

「観音経」とは人間自覚の為の経

観音は〈観<み>る音・観<み>える音〉とも〈音を観る〉とも読めます。観音(正し

くは観世音菩薩<かんぜおんぼさつ>)とは、この二つのはたらきのできる人

間性の豊かさと深さの象徴で、ふつう考えられているような歴史的実在者で

はありません。まず〈観る音・観える音〉のはたらきをかんがえましょう。テレビ

で音楽会を見ます。ほんとうは「視聴」するというのだそうです。音楽を聴<き>

くとともに視<み>ているからです。音を視、音を聴くとは、やはり視<み>る音、

聴く音がそこにあるからでしょう。視るも、観るも、ともにみるですが、視るを深

めると観るになります。観るとは、辞典に〈心に思い浮べて分別見えるさま・

つかむ・おがむ〉とあります。観るとは思うこと、つかむこと まず普門品偈(げ)

の第二十番の漢訳を和文に読み下すと「『真観・清浄観・広大なる知慧観・悲

観及び慈観』の(五つの観)を常に願い、常に膽仰せよ」となります。いわば、

人生観であり世界観です。真観は、般若の空観。清浄観は、浄不浄に執わ

れない観察。広大なる知慧観は、空しさや虚無観の見方に落ちこまぬ中道

観。悲観と慈観は、人の苦悩をわが苦悩と観じ、すべての人を友人と観じて

ゆく平等観です。このように普門品偈をクモラジュウは漢訳していますが、そ

の原典の梵文からの訳文には、「清浄な眼の持ち主よ、慈しみの眼の持ち主

よ、理知と知恵の顕著な眼の持ち主よ、憐れみり眼を持ち、汚れのない眼の

持ち主よ、美しい眼を持つ愛らしき者よ」と観音さまを、すばらしい「五つの眼

の持ち主」とたたえる美しい詩になっています。また普門品偈第二十四番の

漢訳を読み下すと「妙音・観世音・梵音・海潮音は、彼の世間音に勝る。この

故に須らく常に念ずべし」となりますが、梵文からの現代語訳には「雲の轟

き・太鼓の轟きを持ち、雨雲のように轟きわたり、ブラウマン(婆羅門)のごと

きよき音声を持つ、観音は、音声の全域にわたる声を持ち、心に念ずる者」と

なっています。そして、これらの音について仏教学者は緻密な考証をしていま

す。「観」は見るですが、向こうから見えてくるものを観るはたらきを含めま

す。自分が見るだけでなく、見せしめられるものを、はっきりと観るのです。だ

から、観ることは思うことであり、つかむことであるから、音を観るといっても

不思議ではありません。

第2項

目で聞き、耳で観よ―五観五音の考え方

音はまた「声」でもあります。そこで普門品偈の上記の「眼」と「音」とを組み合

わせると、

@真観―妙音 A清浄観―梵音 B広大智慧観 C悲観―海潮 D慈観―世

間音の五組のパターンになります。さらに展開すると、

@ 真観は、「般若経」の「空」の観方です。すべての現象は空であると観察で

きる眼は、執われの汚れに染 まな い眼です。この眼で周囲の声を聞くなら

「妙音」でないものは何一つない。すべてが真理のささやき です。この 妙音

の人格化が「弁財天」で、音楽や辯才、財福の徳のある天女で表微されま

す。無心に締 く鳥の声も、水の 流れも、みな真理の象徴でないものは何一

つないのです。白隠が、きりぎりすの声を 聞いて、「法華経」の真 義をさとっ

たのがそうです。それは観音の知恵ですが、この知恵にめざめること をすす

めるのです。 

A清浄観は、常識でいう清らかさです。空観は否定の知恵ですが、清浄観で

周囲の声を観察するなら、みな梵音(無垢の音)の響きを持っているのがわ

かるのです。梵音の代表的なのが、鐘や太鼓の音です。森田悟由禅師は、

小僧として、総持寺に入寺したその夕に鐘をつかさせられます。彼のつく鐘声

を聞いていた奕堂禅師が、彼を呼んで鐘をついたときの心構えを問うと、彼

はありのままに、「国を出るとき、師匠が鐘をつくときは、鐘をほとけさまと心

得て、ほとけさまににつかえる心でつくように、このつつしみを忘れるなと戒

められたので、心の中でほとけを礼拝しつつ、つきました」と答えます奕堂

は、心から 悟由の心がけをたたえたといいます。梵音と清浄観がいみじくも

溶けあっているではありませんか。

B「広大智慧観」は、「理智と知恵の明らかな眼」で、空観と常識観(仮観)と

を止揚した中道観です。この 眼で周囲の声を観察するのが、観音さまの観

音さまたるゆえんで、空観にかたよらず、常識的な仮観に も囚われず、あり

のままに聞きとれて同化できるのです。それが悲観(あわれみの眼)と慈観

(いつくしみの眼)の「双眼の持ち主」とたたえられるのです。ここで思い出す

のが、謡曲「三井寺」です。駿河国(静 岡県)清見が関に生まれた千満は、

幼くして人買いにさらわれます。母は、わが子を尋ねて京都の清水 寺にこも

りつづけ、「南無や大悲の観世音 さしも草 さしもかしこき誓いの末 一称一念

頼みあり(中略) 憐れみ給え思い子の 行く末何となりぬらん 枯れたる木に

だにも 花咲くべくはおのずから 未だ若木 のみどり子に 二度などか逢わざ

らん」と再会を祈念するのです。ある夜、夢告を受けて三井寺へ向か います

が、心痛のあまり途中で発狂してしまいます。たまたま八月十五日にあたり、

寺僧は客の千満を つれて月見をしていると狂乱の母は月光に酔うたように

鐘をつき鳴らして、寺僧に咎められます。狂える 母は、「許し給えや人々よ 

煩悩の夢をさますや法の声も静かにまず初夜の鐘つく時は(下略)」と鳴 ら

しつづけます。やがて母子の対面が適えられて、狂える母は気も清々と、「常

の契りには 別れの鐘 と獣いしに 親子のための契りには 鐘ゆえに逢う夜な

り。嬉しき鐘の声かな」と舞い納めます。世阿弥の作といわれますが、本曲の

中心は母子再会でなく、観音さまと鐘声です。鐘声の梵音を聞いて狂人が 

真人に立ち直るのは、煩悩に狂う人間が、忽然と尊厳な人間性を自覚するの

を暗示しています。常人 が悲観のために狂人となる無常観は、梵音を聞くこ

とによって常人に立ち返るところに、空観、仮観、中道観を表しています。目

による観、耳による音でなく、目で聞き、耳で観よ、と五観と五音は示していま

す。
 

第3項

体得すべき「聞く者と聞かれる者の同化」

私たちがよく経験することですが、ぽつりといわれた一言が、こちらの胸に静

かな爆発を起こすことがあります。このときの一言ことは、たとい世間話的な

ものでも、慈しみいっぱいの慈音です。海の潮が満ち干きするように、私たち

の心にひたひたと共感を寄せてくれたら、それがCとDつまり「悲観―海潮

音」と「慈観―世間音」のパターンに相当します。私が学生時代に悪性の腎

臓炎を患った時、卒業まぎわだったので出席日数や卒論のことで、気持ちは

いらいらする一方で、両親も持てあましていたようです。そこへ、ひょっこり北

海道から伯父が訪ねてくれました。伯父も病身で病歴にも富んでいると思

い、私は、あれこれと治療方法や医師の批判をするのですが、伯父はなぜ

か、にやにやするだけで一言も吐きません。私は自分の病気の永引くのを愚

痴ると、「腎臓病?いい病気になったなあ、痛くもかゆくもないしなあ、牛乳を

うんと飲めば治るんだから、安いもんだよ!」と言ったきり「大切にしろ」とも言

わずに帰って行きました。北海道から東京まで、ただこれだけを言うために伯

父が来たのかと思うと、私はあきれました。同時に不思議と身体中のしこりが

抜けたように楽になったのです。こういうのが、世間音が慈観にこめられたの

だと、今でもありがたく思っています。また、私が師父にとつぜん死なれてショ

ンボリしていると、親友の二人が、通夜から葬式にかけて私の傍に何もいわ

ずに黙ってすわって、私の手を握ってくれるのです。ただそれだけです。一言

もくやみも言わないのです。彼らは二人とも早く父に別れているので、私の心

中がよく分かるのです。私は、そのとき「涙の先輩」を感じました。涙の先輩に

してみれば、後輩を慰めようと言葉に出せば出すほど、うつろに響くのを知り

尽くしているのです。だからものが言えないのです。黙って手を握ってくれる

以外に方法はないのです。他の悲しみが自分の悲しみとしてうめくあわれ

み、友情とは、こういうものであるか、と味わったことです。彼らは私にとって

観音さまでした。私は五つのパターンを記しましたが、それは別個の存在であ

ってはならないのです。「観」と「音」と、つまり観る者と観られる音、聞く者と聞

かれる音の二者が対立の状態では「音を観る」観音さまの働きはできませ

ん。鐘をほとけと心得、ほとけにつかえる心で鐘をつけば、鐘はゴーンと鳴り

ます。この鐘が鳴るとは、鐘をうつ人もともにゴーンと鳴っているということで

す。これが妙音というものです。他が悲しんで泣くときは、自分も他の悲しみ

を悲しみとして泣けたときが観世音です。他の音声もまた同じです。ゆえに、

古人が「妙音観世音」を「妙音を世音に観ず」と受け取ると、意義がさらに深

まるといいます。世の人の声に真実なものを聞き取るには、聞く者と聞かれる

ものとが同化した状態でなければなりません。

第4項

ミズカラとオノズカラ

自然の「然」は、そのようであること、または、そのようになること、をあらわす

助辞にすぎないから、意味の中心になっているのは「自」である。昔の中学校

の漢文の時間で、「この自はミズカラか」という質問を先生からよく受けたこと

がある。それは、自に二つの意味があるという理解があったためである。ミズ

カラのほうは、自分で手を下して何ごとかをするばあいに使う。これにたいし

てオノズカラは、自分が手を下さないでも、そのことが自動的に運ぶばあいに

用いられる。もうすこし詳しくいえば、ミズカラには意識や努力がともなうのに

たいして、オノズカラはそうした意識や努力を必要としないことをさす。もしそう

だとすれば、ミズカラとオノズカラとは正反対の意味をもつことになる。ところ

が、この自はミズカラかオノズカラかという質問を中国人にすると、いくら日本

語のうまいものでも、何のことやらさっぱりわからないのが普通である。つま

り中国人は、そのような区別をしていないのである。いや、中国人でなくても、

すこし広く漢文をよんでいると、ミズカラとよんでも具合が悪く、オノズカラとよ

んでも具合の悪いような「自」に出会うのである。つまりそれはミズカラでもな

く、オノズカラでもないわけである。それでは「自」の本来の意味は、どのよう

なものであるのか。いちばん手っとり早いのは、その反対語である「他」という

語をおいてみることである。つまり自とは「他ではない」ということである。もう

すこし親切にいえば、自とは「他者の力を借りないで、それ自身に内在する働

きによること」であるはずである。これが自の第一義にほかならない。ひるが

えって、さきのミズカラとオノズカラを、この自の第一義から見るとどうなるか。

実はミズカラもオノズカラも、どちらも自の第一義を共通の地盤としているの

である。ただ異なるのは、ミズカラでは自身に内在る働きが現れるときに無意

識や努力をともない、オノズカラでは同じことが意識や努力をともなわないの

である。もし意識や努力の有無ということを除外するならば、両者の区別がな

くなってしまう。漢語の「自」というのは、本来このような意味のものである。自

然という熟語についても、まったく同じことがいえる。それは「他者の力を借り

ないで、それ自身に内在する働きによって、そうなること、もしくはそうである

こと」である。自然という言葉についての古い訓詁をあげると、「列子」の張堪

の注に「自然とは、外より資らざるなり」とある。外部から資本を借りてこない

ことを自然というのであるから、さきの自の第一義としてあげたものと本質的

に一致する。しかし、ここにあげた自然の第一義だけで、実際に使用されてい

る自然という語の意味を完全に説明できるかといえば、それはそうではない。

実は「他者の力を借りないで」というが、その他者が具体的に何であるかは、

その場その場で異なっている。したがって自然の具体的な内容は、何を他者

としておくかによって決定される。他者が変われば、自然の内容もそれにした

がって変わる。自然が多義であるのは、実はこれに対応する他者が動くため

である。

第5項

無因自然

郭象の自然解釈

さきに自然の第一義は「他者の力を借りないで、それ自身に内在する働きに

よってそうなること」であるといった。この第一義を守って自然を解釈し、それ

を自己の哲学としたものに、晋の郭象がある。この郭象は三世紀のころの人

で、当時流行した「荘子」の注を書いた。この「荘子郭象注」は、現存の荘子

注のうちでは最古のものである。むろん注であるから、荘子の本文を忠実に

解釈しようとしたはずであるが、実際からみると、郭象自身の哲学的立場を

荘子の本文に押し付た結果になっている。その意味では、これは悪しき注釈

書である。それは注釈書のかたちをとった、独創的な哲学の書である。それ

が独創的な哲学であるというのは、自然の第一義を最後まで徹底させたから

である。それでは自然の第一義を最後まで徹底させたとは、どういうことであ

るか。他の自然思想の持ち主が、「他者」を人為や人工などの特定のものに

限ったのにたいして、郭象はあくまでも「他者一般」を問題としたからである。

万物の主宰者は存在しない

郭象は、その「荘子」斉物論篇の注で、次のような意味のことを述べている。

万物はそれぞれに異なった趣をもち、あたかも主宰者が存在していて、そうさ

せたかのように見える。だが、さてそういう主宰者があるのかと思って、その

あとをたずねてみると、そういった痕跡はついに発見することはできない。し

てみれば、物はそれぞれに自然なのであって、他の何ものかがそうさせてい

るのではないことがわかる。郭象のいいたいことは、こうである。もし万物の

主宰者とか、造物主といったものが存在するとすれば、万物はその規定に従

わなければならないことになる。つまり万物は、主宰者や造物主という他者

の規定を受ける結果、他然となってしまい、自然ではなくなる。ところが主宰

者や造物主の存在をしめす痕跡は、どこにも発見することができないのであ

るから、やはり万物はそれぞれの内にある働きによって生まれ出たものであ

り、自然であることがわかる、というのである。同じ立場から、郭象は「天然」

という言葉についても、独特の解釈をする。伝統的な解釈では、天然というの

は、天という主宰者があって、万物をそうさせていることをさす、とされてい

る。だが郭象はそう考えない。自己に内在する働きによって、そうなっている

こと、これを天然というのである。これを天然とよぶのは、それが人為による

のではなく、自然にそうなっていることを明らかにするためである。したがっ

て、そのばあいの天は、われわれの頭上にある青天をさすのではない。もと

もと天という語は、万物を総括する名称として用いられるものである。したがっ

て万物がそれぞれに天なのであって、天でないものはないということになる。

万物がみな天であるならば、万物の上にあってこれを支配するものはありえ

ない。このように万物がそれぞれ固有の根拠から自生し、他のいずこからも

生じないということ、これが天道にほかならない(斉物論編注)。もし万物とは

別に天というものがあり、それが万物を生みだしたとするならば、万物は天と

いう他者の規定を受けることになり、他となって、自然ではなくなる。しかし郭

象の考えるところでは、天は万物の総称なのであり、万物とは別個に天とい

う一物が存在するわけではない。したがって天然とは、万物がそれぞれに自

然であることをあらわす言葉にほかならない、というのである。この郭象の主

張は、万物の主宰者の存在を強く拒否するものである。自然とは他者の支配

を受けないことであるから、たとえそれが宇宙の主宰者であろうとも、あるい

は万物を生みだす造物主であろうとも、それが万物にとって他者であるとす

れば、その存在を許すことはできない。この見地からすると、万物がそれぞれ

に存在の根拠を持ち、他者の介入を許さないこと、これが自然ということであ

る。この意味での自然は、そのまま自由といいかえてもよい。自由とは、それ

自身の内にある根拠にもとづくことであり、他者の介入を許さないことであ

る。このように郭象は宇宙の主宰者の存在を否定するが、実をいうと、かれ

が注を書いた「荘子」そのものが同じ立場にあった。その意味では、郭象は荘

子の意見にしたがったにすぎないともいえる。ただ郭象はそれを明確にうちだ

し、これに論理的な根拠をあたえたのである。もし万物の主宰者の存在を否

定するものを無神論とよぶならば、郭象は道家風の無神論の最左翼にあると

いえよう。


第6項

物の生成に原因は存在しない

自然の第一義を忠実に守る郭象は、まず万物の主宰者の存在を否定した。

しかし、否定はそれだけにとどまらない。さらに進んで、一般に物の生成には

原因が存在しないという、独特の主張をするのである。その理由は、こうであ

る。もしAというものが、Bというものを原因として生まれたとすると、AはBと

いう他者の規定を受けたことになり、他然となって自然ではなくなる。したがっ

て、もし万物がそれぞれに自然であるとすれば、万物を生じさせる原因といっ

たものは存在しないことになる。卑近な物事についてみると、その生成の原

因を知ることが可能なばあいもある。だが、物事の生ずる原因を究極まで追

求していくと、ついにはその原因をつきとめることができなくなる。つまり、物

事は原因なしに、自然にそうなっているのである。自然にそうなっているもの

について、その原因をたずねることは無意味である。(天運篇注)。したがって

郭象が物の生成を説明するさいには、「掘然、自得し独化す」(大宗師篇注)

、「突然にして此の生を自得す」(天地篇注)、「みな忽然として自ら爾るなり」

(知北遊篇注)などといった表現を用いている。原因がないということになれ

ば、物が生ずるのは突然とか忽然というほかはないわけである。さきにあげ

た「造物主は存在しない」という命題も、実はこの「物の生成には原因が存在

しない」という主張と同じものであったことがわかる。もし万物を造りだす神が

あるといえば、それは万物の生成の原因を認めたことになり、万物は他然と

なって自然ではなくなる。無は有を生じることができない無から有は生まれな

いというのは、常識にとっては当然すぎるほど当然のことであるが、老荘のば

あいにはそうではない。老荘思想の根本には、有は無から生まれるという考

え方がある。老子は「天下の物は有より生じ、有は無より生ず」(第40章)と

いい、荘子は「有は有をもって有を為ること能わず、必ず無有より出づ」(庚桑

楚篇)などといっている。万物の根源に虚無をおくのが、老荘思想の特色で

ある。ところが郭象は「荘子」の注のなかで、老荘思想の常識をやぶって、無

は有を生ずることができないと断言するのである。無は無である以上、有を

生ずることはできない(斉物論篇注)。一が生まれてくるのは、究極の一から

であって、無から起こるのではない(天地篇注)。上は無の助けを借りること

なく、下は知の働きを待つことなく、突然にこの生を自得したのである(同

上)。それでは、なぜ郭象は無から有は生まれないというのか。もし有が無か

ら生まれたとするならば、有は無という他者に依存することになり、他然とな

って自然とはならないからである。万有がそれぞれに自然であると主張する

郭象は、有が無に依存することを許すわけにはいかない。だが、それはそれ

でよいとしても、「老子」や「荘子」の本文に「有は無から生まれる」といってい

るのであるから、これを無視することはできない。そこで郭象は老荘の無につ

いて独特の解釈をするのである。老荘がしばしば無を唱えるのは、何のため

であろうか。それは物を生ぜしめるようなものは何もないこと、物はそれ自身

の内にある根拠から生まれてくることを明らかにするためである(在宥篇

注)。この解釈によると、老荘が「有は無から生ず」といっているのは、「有は

有自身から生まれるもので、有を生ぜしめるような他者は無い」という意味で

ある。これは、さきの「物の生成に原因は存在しない」という原理を、そのまま

有と無との関係に適用したものといえよう。このようにして郭象は、自然の第

一義を守りぬき、物の生成に原因は存在しないという帰結に達し、さらにそこ

から幾つかの特色のある哲学をみちびきだした。この立場をしばらく「無因自

然」とよぶことにしたい。

インドの無因論師

中国では郭象が無因自然を唱えたが、インドにも無因論師とよばれる一派が

あって、郭象とよく似た議論をしていたようである。「外道小乗涅槃論」(資

経第三二巻)を見ると、次のような問答が見えている。ある人がたずねた。外

道のうちに「一切のものは自然のままに生まれたのであるから、自然のまま

にしているのが涅槃だ」と説くものがある。その外道の名は何というのか。答

えていう。第一六外道で、無因論師とよばれるものが、そのような説を立てて

いる。その概要は、「因もなく縁もないところから、一切の物が生まれてくる」と

いうことである。たとえば孔雀の美しい羽の色は、人工によるものではなく、

自然のままにあるものであり、原因がなくそうなっているのである。このように

自然のままであることを、名づけて般若という。だから無因論師は「自然は永

久不変のものであり、一切の物を生ずる。これこそ般若のの因である」と唱え

るのである。これによると、一切の物は因縁のないままに生まれたものであ

り、いいかえれば自然のままに生まれたものである。万物のそれぞれが自然

であり、絶対的な存在なのであるから、そのままにしておくことが悟りの境地

であり、救いの境地である、というのである。この無因論師の考え方は、一切

を因縁から生じたものと見る仏教とは、真っ向から対立するものである。だか

らこそ外道とよばれたのであろう。その議論の立てかたは、郭象のそれにた

いへんよく似ている。そこで両者のあいだに何か関係がありそうにも思える。

しかし「外道小乗涅槃論」は、堤波菩薩造、後魏菩堤流支訳と記されている

から、それは郭象の死後百年をへてから漢訳されたものであり、むろん郭象

がこれを読んだはずはない。しかも郭象は、まだ仏教が知識人のあいだに広

まらない西晋末の人であるから、インドの外道の哲学など知るよしもなかった

であろう。両者の一致は、まったく偶然によるというほかはない。しかし郭象と

無因論師との類似点は、相当早くから気づかれていた形跡がある。それは隋

の嘉祥大師の「三論玄義」に、老荘を自然外道とよび、これとインドの無因論

師とをならべて、「その論に同じくないところもあるが、同一の誤りを犯してい

る」という意味の批判をしているからである。偶然とはいいながら、中国とイン

ドとに同じような自然の考え方があったことは、興味のあることだといえよう。

 

第7項

運命の主宰者は存在しない

人間の運命というと、その運命をあやつっている神のようなものが存在する

のではないか、ということが考えられる。運命をつかさどる主宰者は、はたし

て存在するのか、どうか。「荘子」の斉物論篇は、そのはじめにこの問題をと

りあげている。風が地上の樹木や洞穴に吹きつけると、さまざまな音が生ま

れる。いわゆる地籟の音である。その地籟はどこから生まれてくるか。音の

種類が多いことから考えると、その音を立てるものは風そのものではなく、樹

だが、風が吹かなければ、万物も音を立てることはできない。してみれば、や

はり音のない風に無限の音が秘められているのである。これがいわゆる天

籟である。天籟とは、音もなく姿もないくせに、万物から無限の音をひきだす

力をもつ風のことである。われわれ人間もまた、天籟の風に吹かれて、あると

きは高らかな笑い声をあげ、あるときは身をさくような悲鳴をあげ、あるときは

ぶつぶつと不平の声をもらす。それはあたかも、天籟の風に吹かれていろい

ろな音を立てる樹木や洞穴に似てはいないだろうか。その天籟の風とは、人

間に無限の喜怒哀楽をもたらす運命の主宰者ではないか。それが存在する

ことは確かであるのに、これを目にし耳にすることはできない。さても、もどか

しいかぎりよ。この斉論物の叙述は、あたかも姿なき運命の主宰者が存在す

るように思わせるものがある。また大宗師篇では、造物者、造化者といった言

葉がみえていて、いかにも造物者の存在を思わせるものがある。だが、いつ

のばあいでも荘子はこの運命の主宰者を姿あるものとして描かない。描かな

いのではなくて、描けないのである。なぜなら、それは世の常の意味での存

在ではないからである。実は荘子のいう造物者、造化者とは、自然の別名な

のである。われわれ人間がこの地上に生まれたのは、造化者といった他者に

よるものではなく、自然・必然の運命によるものである。自然の第一義は「他

者の助けを借りないで、それ自身のうちにある働きによって、そうなること」で

あった。もし、われわれが神といった他者から運命をあたえられるとすれば、

われわれは他然となり、自然ではなくなってしまう。自然は人為を排除するば

かりでなく、神をも排除する。徹底した運命論者である荘子は、また同時に無

神論者でもあるわけである。

目次へ

第8項

老荘に見られる有為自然

人為をなくするという人為

ひるがえって老荘についてみても、無為自然といいながらも、実はある程度

の人為がはいりこんでいる形跡がある。無為とは人為をなくすることである

が、人為をなくすこと自体がまた一つの人為ではないであろうか。「老子」に

次のような句がある。

無為を為さば、則ち治まらざるなし(第三章) 無為を為し、無事を事とす(第六

三章)。

このばあい、無為を為すというのは、おそらく軽い意味でいわれたものと思わ

れる。しかし、たとえ軽い意味においてであるとはいえ、人為を放棄すること

自体が一つの人為であることをしめすのではないか。考えてみれば、人為こ

そ人間の自然の本性に属することであり、人為をなくすことは、かえって不自

然であるともいえる。生きた人間が枯木死灰のような無為の状態になること

は、たいへん困難なことであり、非常な努力を要することではないだろうか。

この矛盾は荘子にもあらわれている。われわれは自然に帰れと、いとも簡単

に言う。しかし自然に帰ることは、それほどたやすいことであろうか。今すでに

物たり。根に復帰せんと欲するは、また難からずや、その易きは、それただ大

人のみか(知北遊篇)。人間は現に不自然な存在になってしまっている。その

不自然な物が、太古の自然に帰ろうとしても、それは決してたやすいことでは

ない。それが容易であるのは、よほどの大人物にかぎられたことであろう。本

居宣長はこの点をとらえて、老荘は自然を唱えながら、実は不自然な道であ

ると批評した。そもそも自然に帰るということ自体が、人為なのではないか。

 

荘子もいう。彫琢して朴に復る(応帝王篇)。すでに彫し、すでに琢して、朴に

復帰す(山木篇)。

素朴の状態に帰るためには、彫琢という人為、原石の不要な部分をけずりお

として玉にしあげるという人工を必要とするのである。自然に帰れといったル

ソーが、「エミール」で、きめこまかな教育法を述べなければならなかったの

は、まさしく自然に帰るための彫琢の必要を感じたためであろう。自然に帰る

ためには、意識的な努力という不自然を経過するほかはない。人為の二種類

―真偽と作為このような反省から、「荘子」の書の一部には、人為を二種類に

わけ、自然に反する人為と、自然にしたがう人為を区別しようとする試みがあ

らわれている。自然の本性が動きだしたとき、これを為という。この自然の為

に、人間の意識的な作為が加えられたとき、それは自然の道を失ったものに

なる。……たとえ行為を外に出すことがあっても、その行為が、作為ではな

く、自然から発したものであれば、その行為は無為から出たものといえる。

……もし行動を正しいものにしようとするなら、やむにやまれない必然のまま

に動くがよい。やむにやまれぬ必然にしたがって行動することこそも聖人の

道なのである(庚桑楚篇)。ここでは無為という語に拡張解釈が行われてい

る。無為は何もしないというだけには限らない。自然に従った行動は、動くと

いう点では有為であるが、しかし思慮の作為が加わっていないという意味に

おいて、自然であり、無為である。また内発的な自然の本性にもとずく行動の

特徴は、それがやむにやまれない必然性から出てくるということである。「や

むを得ざるによる」「やむを得ざるに託す」という行動は、有為でありながら無

為である。この有為自然の考え方を本にし、「荘子」全編の解釈をしたものに

郭象がある。郭象のことについては、すでに無因自然のところで述べたが、

かれは他方では有為自然の支持者でもある。無為とは、いたずらに手をこま

ねいて沈黙を守ることではない。ただ各自がおのずから行為のままに従うと

き、その自然の性にかなうのである(在宥篇注)。自然の性のままに動くとい

うことは、その動くという点では為であるが、それは真偽であって、有為では

ない(庚桑楚篇注)。自然の性のままに動くこと、これが無為である(天道篇

注)。あやまった人為が生まれるのは、いつも知動からであって性動からでは

ない(達生篇注)。郭象は人間の行動を二つに分けて、知恵や思慮分別をも

とにしたものを為または知動とよび、内にある自然の性から出てくるものを真

偽または性動とよんだ。このように人間の行為を二分する必要が生じたの

は、人間の行為のうち、すくなくともその一部分を、自然に属させる必要を感

じたためである。それは自然のうちに人為をふくませるものであるから、有為

自然とよぶのがふさわしいであろう。

第9項

機械と自然

機械は人工を代表するものであるから、もっとも不自然なものだと考えるのが

常識であろう。ところが「荘子」天地篇には、このことを扱ったおもしろい話が

みえている。あるとき、孔子の弟子の子貢が楚の国を旅していると、ひとりの

老人が畑に水やりをしているのに出あった。大きな瓶で井戸から水をくみ、そ

れをかかえては畑にそそいでいる。これを見た子貢は老人にいった。「水をく

みなさるなら、はねつるべという便利な機械がありますよ。これを使えば楽だ

し、能率もあがります」すると老人は答えた。「わしは自分の師から聞いたこと

がある。機械にたよって仕事をすると、機械にたよる心が生まれる。機械にた

よる心が生まれると、心の自然の美しさが失われるものだ、と。わしも機械の

ことなら知らないではないが、けがらわしいから使わないまでだよ」これを聞

いた子貢は、おどろいて恥じ入り、さっそく魯の国にかえって孔子に報告し

た。すると孔子は、子貢をさとしていった。「その老人は自然の道をなまかじり

しただけだよ。その一を知って二を知らない。心の内を治める道だけは知って

いるが、外の世界に処する道を知っていないようだ。もし自然の道を真に体

得し、自然の素朴な心をいだいたままで、この世俗の世界に遊ぶことができ

る人間があったとしたら、これこそほんもので、お前はもっとびっくりしたにち

がいない」もちろん、これは作り話で、天地篇の作者が孔子の口を借りて自

分の意見を述べたものである。自然を人工に対立させ、人工を拒否して自然

を固守するというのは、自然の道として初歩的な段階にすぎない。いわば機

械を使って機械に使われないことこそ、真の道であるというのである。だが天

地篇の作者のいいたいのは、機械のことだけではない。人間の日常の生活

は、人為と人工にとりまかれ、不自然そのものである。もし無為自然を忠実に

守ろうとするなら、俗事を避けて山中に隠れるということになるかもしれない。

しかし真の自然の道はそのような消極的なものではなく、かえって世俗のうち

にあって、しかも世俗にとらわれないことだ、というのである。

老荘と仏教との相違点

練達自然をはじめて明白に意識し、自然の境地に達するための修練や工夫

の必要を強調したのは、はるか後世の六朝時代の仏僧であった。六朝の東

晋時代に、支煌という僧があった。この人は王義之や謝安をはじめとする当

時の名流貴族と交遊し、名声が高かった。あるとき貴族の会合の席上で、

「荘子」の逍遥遊篇の解釈をめぐって論戦が行なわれた。逍遙遊篇は、無為

自然の境地が、なにものにもとらわれぬ自由な遊びの世界であることを説い

たものである。貴族たちは当時流行の郭象の解釈にしたがい、逍遥とは、人

間がその生れつきの自然の性のままに遊ぶことであると主張した。すると支

遁はこれに反対して、次のような意見を述べた。もし、あたえられた自然の性

のままに遊ぶことが逍遥であるならば、傑王や盗跖などの悪人も、その自然

の性のままに逍遥したことになるのではないか。逍遥とはそのようなものでは

なく、至足の境地、あるべき性の高さに達してのち、はじめて許されるもので

ある。ここでは遊びのかわりに精進努力が、無為自然のかわりに練達自然が

強調されている。自由な遊びの境地に達するために、身命をも惜しまない精

進が必要というのは、まぎれもなく仏教の精神である。もともと老荘と仏教の

あいだには、基本的な共通点がある。それは老荘が無を説くのにたいして、

仏教が空を説くことである。無と空とは、むろんその内容に違いはあるにして

も、その基本的な方向においては一致している。このため仏教がはじめて知

識人のうちにひろく受容された六朝時代では、老荘の無を通じて仏教の空を

理解するのが普通であった。格義仏教とよばれているのが、それである。し

かし仏教と老荘とのあいだにある相違点の一つは、当時の中国人にも気づ

かれていた。それは無または空に達するための、精進努力を必要とするかし

ないかということであった。当時の代表的な貴族の一人である王坦之は、「沙

門は高士となることはできない」という論をあらわしたが、その大略は次のよ

うなものであった。高士であるためには、心がゆったりとして自由であること

が必要だ。沙門は世俗の外に遊ぶといいながら、かえってその教えに束縛さ

れている。だから、自然のままに自得するものとはいえない(「世俗新語」軽

詆篇)。その意味は、高い精神をそなえた人物の資格は、なにものにも拘束さ

れぬ自由の心境にあることである。ところが仏教の僧侶は、世俗の営みから

は解放されているとはいえ、戒律などの教えに束縛されているではないか。

それでは真の高士であるとはいえない、というのである。この王坦之の議論

は、はしなくも老荘と仏教とのあいだにある本質的な相違点にふれたもので

あった。老荘がその理想とする虚無の自然に達するためには、ただ人為をす

てさえすればよかった。無為がそのまま自然であった。ところが仏教では、た

だ一つの例外である浄土真宗をのぞいて、無為の自然に達するためには血

のにじむような精進が必要とされた。ここに無為自然と練達自然との性格の

相違がある。このように老荘と仏教徒のあいだには、本質的な相違がありな

がらも、中国の歴史の推移のうちで、たがいに影響しあい、内面的なつなが

りをもつようになった。とくに中国仏教のうちでも最も有力であった禅宗と浄土

宗とは、荘子の思想に影響されるところが大きいとみられる。

第10項

不立文字

禅宗の教義の中心になっているものは何か。いま禅宗のモットーとなってい

る「不立文字、教外別伝」「以心伝心、見性成仏」についてみよう。ありのまま

の真理は、言語や文字では表現することができず、したがって他人に伝える

こともできない。真理は、ただわが心の本性を体験的に直観することによって

のみ把握することができ、また、たがいの心のふれあいを通じてのみ伝える

ことができる。これが、およその意味であろう。このうち、まず不立文字だけに

ついてみると、そのよりどころは「楞伽経」「維摩経」などの仏典に求めること

ができよう。しかし、これらの教典では、不立文字が必ずしもその思想の中心

になっているわけではない。しかもこれらの教典が書かれたインドでは、不立

文字の思想が有力にならないで、かえって中国で盛んになったのはなぜか。

実は、禅宗が成立する以前から、もともと中国に不立文字を強調する有力な

思想があった。それはほかならぬ荘子である。言葉とありのままの真理さき

に、ありのままの真理は文字や言語では伝えられないといった。それでは「あ

りのまま」とは、どういう意味なのか。人為や人工が加わらない、ものごとの

自然の姿のことである。人為を排除するところにあらわれる自然、無為自然

のことである。もともと言語や文字は、このありのままの自然を表現するため

に案出された人為的な手段である。しかし、このような人為で、自然をそこな

うことなく表現することができるだろうか。言語や文字という人為によって、む

しろありのままの真理が失われるというおそれがあるのではないか。砂糖が

あまいということは、いかに言葉たくみに説明したとしても、あまいという事実

の体験のない人間にわからせることはできない。言葉と事実とのあいだに

は、このような隔たりがある。それにもかかわらず、日常のわれわれは言葉

の便利さにおぼれて、その万能を信じ、言葉で表現できないものはないかの

ように信じている。「荘子」天道篇に、次のような話しが見えている。世間の人

が尊ぶものは書物である。だが、ほんとうに尊ばれているものは、書物そのも

のではなくて、そこに書かれている言葉である。しかし言葉もそれ自体が尊い

のではなくて、その言葉のうちにふくまれている意味のほうが重要である。だ

が、意味もまだ究極のものではない。意味が指向している事実こそ、最も尊

いものではないか。ところが、この事実というものは、言葉では伝えられない

ものである。言葉で伝えられるのは、その物と名と声にすぎない。名と声と

は、はたして物の真相を伝えることができるだろうか。あるとき斉の垣公が堂

の上で読書していた。すると堂の下で仕事をしていた車大工の輪扁が「殿さ

まが読んでいられる書物には、たれの言葉が書いてあるのでしょうか」とたず

ねた。垣公が「昔の聖人の言葉だよ」と答えたところ、輪扁 はいった。「それで

は殿さまは古人の糟粕―昔の人の意見の残りかすを読んでいられることに

なります。私の仕事の経験から申しますと、車輪をうまくつくるこつは、言葉で

はうまく表現することができません。そのため、むすこにこの仕事を伝えるこ

ともできず、七十のとしになる今日まで、いまだに私ひとりが仕事を続けてい

る始末です」絶対の真理と相対の言葉だが、荘子が言葉を信用しないのは、

言葉が事実をあらわすのに不十分だからという理由からだけではない。言葉

がありのままの事実、自然をそこなうからである。ここで「荘子の無差別自

然」で述べたことを、もういちど要約してみよう。ありのままの自然の世界は

不可分であり、無差別である。いわゆる万物 同の理が支配する世界である。

ところが人間の言葉は一つのものをかならず二つに分けるという働きをもつ。

「赤い色」といえば、必ず「赤でない色」が対立者としてあらわれ、「真」といえ

ば「偽」が対立者としてあらわれる。日本語で「わかる」というのは物を分ける

ことであり、漢語で「弁ずる」というのは、物を別けることである。このようにし

て言葉という人為は、一体不可分であるはずの物の自然を分別して破壊する

のである。それだけではない。言葉という人為は、無限であるべき自然に限

定を加え、有限化するという致命的な欠陥をもっている。言葉には一定の枠

があり、この枠で事実をとらえようとする。したがって言葉でとらえられた事実

は、あくまでも枠内の事実であり、有限化された事実にすぎない。たとえば琴

という楽器は無限の音を秘めているはずである。ところが琴の名手である昭

氏がかなでると、そこに一定の音が生まれる。昭氏が琴をかなでるとき、琴に

秘められた無限の音を有限化し、これをそこなっているのである。この意味か

らいえば、無限のままの音が完全に保たれるのは、かえって昭氏が琴をかな

でないときである(斉物論篇)。陶淵明が無弦の琴を座右において愛していた

というのも、人為によって自然を害することを恐れたためであろう。「これが真

理だ」といったとたんに、その真理は虚偽との相対におちいり、その相対性の

ために有限化される。このようにして人間の言葉は、無限なるべき真理を有

限化し、絶対不可分であるべき真理を二つに分け、相対化するという、致命

的な欠陥をもつ。そこに、「弁ずるは黙するにしかず」「至言は言を去る」「知

る者は言わず、言う者は知らず。故に聖人は不言の教えを行なう」(知北遊

篇)という、荘子の言葉が生まれる。

第11項

非言非黙

このように人間の言葉は、ありのまの真理をあらわすに不適当である。そこ

に荘子の「弁ずるは黙するにしかず」という主張も生まれる。それでは沈黙を

守ることだけが、真理を伝える唯一の道なのであろうか。もともと沈黙は言葉

に対立するものである。たがいに対立するものは、同じ次元の上にあること

になる。言葉が真理を伝えることができないとすれば、沈黙もまた真理を伝え

ることができない。とすれば「非言非黙」(則陽篇)のみが、残された唯一の道

である。それでは非言非黙とは、具体的にどうすることであるか。それは言葉

を用いながらも、言葉にとらわれないことである。言葉を駆使しながらも、言

葉がそのまま実在であるとは見ないで、実在のありかを暗示する符号や象徴

のつもりで用いることである(則陽篇)。禅宗風にいえば、言葉は月をさす指

であり、月のありかがわかれば、邪魔になる指は切りすてるがよい。荘子にと

って、言葉は真理のありかをしめす単なる手段にすぎない。筌は魚を、蹄は

兎をとらえるための道具である。魚や兎をとらえてしまえば、筌や蹄に用はな

くなり、真理をとらえれば言葉は忘れるがよい(外物篇)。この荘子の筌蹄の

たとえは、禅家でもしきりに愛用され、禅の語録にしばしばあらわれるもので

ある。

見性成仏―本性自然

禅宗のモットーのうちにある真指人心、見性成仏についてみよう。

この言葉のおよその意味は、言語や文字などの間接的な表現によらないで、

わが心のうちにある本性を体験的に直観し、これによってわが心がそのまま

に仏であることを悟る、ということであろう。体験的な直観についてはすでに

述べた。ここでの問題は、人心のうちに仏となる可能性がふくまれているこ

と、すなわち仏性である。仏性論はインドの大乗仏教以来の伝統をもち、禅

宗もこれを受けついでいることはもちろんである。したがって、禅宗の仏性論

は仏教独自の立場からみればよく、中国思想との関係を考慮に入れなくても

よいともいえよう。しかし中国にも孟子の性善説以来の人生論の伝統があ

り、荘子においても特有の性論の展開があったことは、すでに述べたとおりで

ある。とくに荘子の性論は、禅宗の仏性論とは無関係でないように思われる。

いま禅宗の見性成仏と、荘子の本性自然とを並べてみると、そこにいちじるし

い類似があることに気づく。それは仏または自然という究極のものを、自己の

外にではなく、自己の内に求めようとしていることである。禅宗は一名を仏心

宗というほどに、心を重んずる仏教である。仏は自分の心のうちにあり、ある

いは自分の心がそのままに仏なのである。このように仏を自分に引きつける

ところに、禅宗が自力道だといわれる一つの理由がある。これにたいして、仏

を西方十万億土の外におく浄土教が、みずから他力道を名のるのは当然で

あろう。自力と他力とは、まずもって絶対者を自分の内におくか、外におくか

によって決定される。「荘子」についてみると、運命自然を説く内篇は、運命と

いう絶対者を自分の外に立てる点で、浄土教に近い性格をもつ。これにたい

して、本性自然を説く外篇・雑篇は、自然の本性という絶対者を自分の内に

おく点で、いちじるしく禅宗に接近している。このばあい、自然の本性は、禅

宗でいう仏性におきかえてもよいであろう。この禅宗の仏性と、荘子の本性

自然とが、きわめて近い性質をもつことをしめす一例をあげてみよう。ある僧

が趙州和尚に「犬にも仏性がありますか」とたずねると、趙州は「家々の門前

は、みな長安に通じている」と答えた。むろん、万物みな仏性をもつの意であ

る。また、ある僧が、「仏とはどのようなものですか」とたずねた。趙州は「糞

かきべらだ」と答えた。これに応ずるものとして、「荘子」知北遊篇の問答があ

る。東郭子が荘子にたずねた。「道はどこにあるかね」荘子は答えた。「どこ

にだって、ないところはないよ」「もうすこし限定してもらえないかね」「道は螻

や蟻にだってあるさ」「ひどく下等なものにもあるのだな」「いや、稗にだってあ

るよ」「いよいよ下等になってきたな」「いや、屋根瓦や敷き瓦にだってあるよ」

「下等も底なしだな」「それどころか、糞や溺にだってあるさ」東郭子は、もう返

事をしなくなった。物みな自然であるとき、それぞれが道であり、仏である。私

意にもとずく人為によって求めようとするとき、かえって道は見失われ、仏は

隠れる。これが両者に共通する思想であろう。

第12項

禅の有為自然と荘子の無為自然

だが、現実の人間は深く不自然におちいり、煩悩のとりことなっている。この

ような人間が、現状のままで自然に帰るという人為、煩悩から逃れようとする

努力が必要になる。有為自然の思想、とくにそのうちでも練達自然の思想が

生まれたのは、このような要求に応ずるためであった。禅宗が重んずる座禅

も、この有為自然、わけても練達自然の一種であるといえよう。めざすところ

は 仏性の自覚、本性の自然の発見なのであるが、そこに至るためには座禅

という人為を必要とするのである。それは自然を実現するための不自然であ

るともいえよう。浄土教の目からみれば、禅宗が自力道となる理由もここにあ

る。ひるがえって荘子についてみると、全体としては無為自然の思想が支配

的であって、有為自然の要素はあるものの、その比重は大きくない。したがっ

て座忘や心斎などの語はあるものの、それは座禅のように自然を実現するた

めの手段ではなく、自然になったときの心境をあらわすものとみられる。この

ことは練達自然のところでふれておいた。したがって、もし荘子と禅宗のあい

だに相違点を求めるならば、荘子が無為自然を基調としているのにたいし

て、禅宗は有為自然、わけても練達自然をめざしているところにあるといえよ

う。道元における自力と他力最後に、禅宗のもつ有為自然の性格を、あざや

かにしめす例として、わが国の曹洞宗の祖とされる道元についてみよう。若き

日の道元を悩ませた疑問は、「一切の衆生はみな法性をもち、天然自性身を

もつという。それなのに、なぜ三世の諸仏は信行の志を起こして菩提を求め

る必要があったのか」ということであった。その意味は「すべての人間は、生

れつき自然の仏性をもつと説かれている。それならば、人間は何もしなくて

も、そのまま仏であるはずである。それなのに、なぜ過去の仏となった人々

は、悟りを得るために精進努力をする必要があったのか」ということである。

すでに仏であるものが、なぜ仏になる努力をしなければならないか。これはま

ことにもっともな疑問であろう。このときの道元は、仏の悟りを無為自然の立

場から理解していたのである。そののち道元がどのような道を通ってこの疑

問を解決したか、具体的なことはよくわからない。その帰着した地点からふり

かえってみると、道元が無為自然から有為自然への転換をとげていることだ

けは、確かである。直接的な自然の立場から、只管打座―ただひたすらにす

わるという努力をへて、ふたたび自然に帰ってきているのである。道元が最

後に到達した地点だけを取り上げれば、それは完全な無為自然である。自己

をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとり

なり。…仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、

自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり(「正法

眼蔵」現成公案)。人為の主体である自己の力によって万法を明らかにしよう

とするのは迷いであり、万法のほうから自己が照らし出されるのが悟りであ

る。作為の主体である自己を忘れ、万法の光に照らされるという受け身の境

地になったとき、はじめて悟りがあらわれる。それは完全な主体性の放棄で

あり、無為自然の境地である。禅宗を自力道だというのは、その仏道を習うた

めの打座の地点をとらえてのことであり、もし打座のかなた得られる境地につ

いてみれば、それは他力道と区別のないものになるであろう。ただわが身を

も心をも、はなちわすれて、仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなはれ

て、これにしたがひもてゆくとき、ちからもいれず、こころもつひやさずして、生

死をはなれ、仏となる(同上書、生死)。ここまでくれば、もはやまったくの無

為自然の境地である。自力をすてたとき、救いは向こうから迎えにくる。しか

し道元がこの地点に達するまでには、血のにじむ精進があり、たゆまぬ努力

があったはずである。その意味では有為自然であり、無数の錬磨をへている

という意味では練達自然なのである。

第13項

親鸞の自然法爾

他力による救い

晩年の親鸞は自然法爾という語を愛用しており、かれの思想構成の最後の

帰着点がここにあったことをしめしている。親鸞の自然法爾という用語は、直

接にはその師の「法爾道理」から導かれたものであろう。法然「語燈録」に

は、次のような説明がみえる。

法爾道理といふ事あり。炎は空に昇り、水は下りさまに流る。菓子の中に酸

き物あり、甘き物あり、これらは皆、法爾道理なり。阿弥陀仏の本願は、名号

もて罪悪の衆生を導かんと誓ひたれば、ただ一向に念仏だに申せば、仏の

来迎は、法爾道理にてそなはるべきなり。

これによると法爾道理とは、自然必然の理といってもよく、物理的必然の意に

も近いようであるその内容からいえば、もちろん「大無量寿経」や道綽・善導

の自然に近いものであろう。さて親鸞の自然法爾は、晩年の諸文に多く見え

ているが、いま「末燈妙」にみえる「自然法爾章」を引いてみよう。この文は、

90歳まで生きた親鸞が、その86歳のとき、京都三条富小路の善法房で語っ

た言葉を筆録したものとされており、親鸞の最晩年の心境をしめすものであ

る。

自然といふのは、自はおのづからといふ、行者のはからひにあらず、しからし

むといふ言葉なり。然といふは、しからしむといふことば、行者のはからひに

あらず、如来のちかひにてあるがゆゑに。法爾といふは、この如来の御ちか

ひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふ。……すべて、人のはじめてはか

らはざるなり、このゆゑに、他力には、義なきを義とす、としるべしとなり。自

然といふは、もとよりしからしむといふことばなり。弥陀の御ちかひの、もとよ

り行者のはたらひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへ

むとはからはせたまひたるによりて、行者のよからむとも、あしからむともおも

はぬを、自然とはまうすぞときヽて候。

ここまでは自然法爾の説明であり、定義である。これによると自然法爾とは、

自己の力で仏になろうとしたり、善行を積んで仏に救われようとしたりする人

為をすて、ひたすら仏の願力のままに身をゆだねることである。このばあい、

自然とは人為を放棄するところにあらわれる自動的な救いの力であり、その

力は仏という他者から生まれてくる。他者の力であるから、これを他力とよぶ

のがふさわしい。「歎異抄」に「わがはからはざるを自然とまうすなり。これす

なはち他力にまします」とあるのも、この理由によるのであろう。

自然の摂理にたいする信頼と信仰

このように人為のはからいをすてたところにあらわれる自然の力に、絶対的

な信頼をよせる自然法爾の立場は、そのまま老荘の無為自然に通ずるとい

えよう。老子が無為自然を強調するのは、人為のはからいをすてたところに、

自然の偉大な妙用があらわれると信じているからである。「為すなくして、為さ

ざるはなし」というのは、それである。天の摂理は目にもみえずそのありかさ

え定かでないが、しかしそれは厳として存在するものである。天の道は「言わ

ずして善く応じ、招かずして自から来たる」ものであり、「天網恢恢、疎にして

失わず」といったものなのである。この自然の摂理にたいする信頼は、荘子

においても変わることがない。酒に酔ったものが車から落ちると、たとえ負傷

することはあっても、死ぬほどの重傷を受けることはない。それは無意識の

状態にあるために、落ちるときに手足をつっぱって抵抗したりしないからであ

る。このように酒の力で自然を守るものでさえ、生命の危害を避けることがで

きるのであるから、まして天道に従って自然の心を守るものは、なおさらのこ

とである(達生篇)。ここにみられる自然の摂理にたいする信頼を、阿弥陀仏

にたいする信仰におきかえれば、それはそのまま親鸞の自然法 となるので

はあるまいか。浄土真宗の門にある人々は、真宗の生命は信仰、信心にあ

ると強調する。しかし、その信心は自己の努力によって得るものではなく、あく

までも「如来より賜りたる信心」(歎異抄)であるはずである。したがってキリス

ト教のように「信ぜよ、しからば与えられん」といい、信仰を救済の交換条件と

するものではない。真宗の門に入るには、何もいらない。信心さえも向こうも

ちである。信心を特殊化し、いわんや特権化するようなことがあれば、それは

浄土真宗の自殺になりかねないであろう。

第14項

阿弥陀仏と運命自然

しかし親鸞の自然法爾と老荘の無為自然とを同一のものとするためには、ま

だ一つの障害が残っている。それは親鸞が自然の妙用を阿弥陀仏という人

格神に求めるのにたいして、老荘があくまでも自然という非人格的なものに

求めていることである。「荘子」内篇にみえる無為自然は、その内容からいえ

ば運命自然とよぶにふさわしいものであることは、すでに述べたとおりであ

る。その自然の具体的な内容は、万物をつくりだす造化の働き、生と死、幸と

不幸、善と悪、美と醜をもたらすもの、ひとくちにいえば運命そのものであっ

た。この運命を無差別に受け入れ、これに随順することが、荘子にとっての無

為自然であった。このばあい、ただ一つの違いは、やはり親鸞が阿弥陀仏と

いう人格神に救いを求め、荘子が運命という非人格的なものに救いを見出し

ていることである。阿弥陀仏と運命との相違が、親鸞と荘子とをわかつ最後

のもののようにみえる。だが、はたしてそうであろうか。ここでまた、さきに引

いた親鸞の「自然法爾章」の続きの文をみることにしよう。

 

無上仏とまうすは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに自然とは

まうすなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とはまうさず。かたち

もましまさぬやうをしらせむとて、はじめて弥陀仏とぞききならひて候。みだ仏

は自然のやうをしらせむれうなり。

無上の仏とは無形のものである。無形のものであればこそ、自然とよぶこと

ができる。形をそなえた阿弥陀仏は、まだ無上の悟りを開いた仏であるとは

いえない。むしろ無形の自然を知らせるための手段として、有形の阿弥陀仏

があるのである。とくに最後の「みだ仏は自然のやうをしらせむれう(料)なり」

という一句は意味深長である。「れう」は料であり、手段や方便のことである。

もしそうだとすれば、阿弥陀仏という有形の仏は、自然という無形のものを人

びとに理解させるために設けられた手段であり、方便にすぎないことになるで

あろう。自然という、抽象的で形而上学的な概念は、その内容をたやすくとら

えることはできない。もしこれを阿弥陀仏というかたちで表現すれば、なにび

とにもすぐ理解されるであろう。いわば阿弥陀仏は「自然」の象徴にすぎない

のである。この奇異とも思われる親鸞の言葉は、しかし実は仏教の根本原理

に背くものではない。仏には法身・報身・応身の三身があるとする説が古くか

らあり、そのうちの法身は、まさしく無形のものである。したがって親鸞が阿弥

陀仏を無形のものとしたのは、法身としての阿弥陀仏を説いたものとして、仏

教学的に処理することもできよう。だが、それはあくまでも理論の上のことで

ある。86歳の老境の身でありながら、阿弥陀仏の神話的な粉飾を除き去り、

その実体が自然であることを直視しようとする、その勇気、その大胆さには、

ただただ感嘆するよりほかはない。宗門人のうちで、この事実にふれたもの

が乏しいのは、むしろ不思議にさえ思われる。

第15項

死の運命の象徴としての阿弥陀仏

だが、問題はなお残されている。親鸞がいうように、阿弥陀仏は自然の象徴

であるにしても、その自然を特に運命自然として規定することは許されるであ

ろうか。浄土教の教理のうちから、「弥陀の来迎」「浄土への往生」という言葉

を消しさることはできないであろう。むしろ、この言葉があればこそ、浄土教が

あれほどまでに民衆のあいだに広まることができたのではないか。それでは

弥陀の来迎は何を意味するか。弥陀が自然の象徴であるとすれば、それは

自然必然の死の運命のおとずれを意味するものではないか。親鸞をまねて

大胆率直にいうならば、阿弥陀仏は死の運命の象徴であり、浄土教は死を

全面的に肯定し、賛美する教えである。しかし、この立言は大胆であるだけ

に、副作用をもつ。それは荘子のばあいについてもいえる。前にもふれたよう

に、六朝時代の人々のあいだには、荘子は死を賛美するものであり、死の哲

学を説くものだという理解があった。それは荘子が運命への絶対随順を説く

ものであり、そして運命を代表するものは、ほかならぬ死であるからである。

これにたいして郭象は反論を加えた。荘子は万物斉同の立場にたち、いっさ

いの差別を否定した。それなのに、もし荘子が生をいとい、死を楽しとしたと

するならば、荘子は生と死とを差別したことになる。それは万物斉同の哲学に

反する。絶対無差別の立場からすれば、生けるときは生に安んじ、死せると

きは死に安んずるのでなければならない、と。まさに正論である。浄土教につ

いても同じ事がいえる。浄土に往くという往相があるとともに、浄土で悟りを

得たものが、ふたたび現世に還って、悟りの福音を伝えるという還相がある。

大乗仏教は自利利他をめざすのであるから、自分ひとりだけが極楽往生する

のは許されない、という。これまた正論である。だが、正論は正論であるだけ

に、どこかにしらじらしさを感じさせるものがあるのではないか。だれが死に

臨んで、残された人々の救いまでを念願するものであろうか。それはおそらく

宗教的な達人だけに限られた心境であろう。もし、その限られた人々にたい

する教えであるとするならば、そのことは他力易行をモットーとする浄土教の

教義に反することになるのではないか。むろん死を肯定することは、生の肯

定となって帰ってくる。死が極楽の世界であり、そこでの救いが確定している

とすれば、生きているあいだにおいても安心することができる。まだ極楽行き

は実現していないが、すでに予約券を手に入れているからである。この意味

では、阿弥陀仏を死だけに限定しないで、生と死との運命を象徴するものと

いいかえてもよい。

目次へ

inserted by FC2 system