からだの手帳

反射

小学校へいっている小さい子供が、ひなたで近所の子供たちと、小さい「きもだめし」

をやっている。相手の目の前で、急に手を振って、まばたきしなかったら、きもがすわ

っているということらしい。試されるほうは、まぶたを閉じまいとして力を入れ、目を大

きく見開いているが、たいていはまばたきをしてしまう。そうするとかわいい歓声があ

がって、また次の子供たちがためされる。目の前にあるリンゴに手をのばして、それ

をとる場合を考えてみよう。まずリンゴを目で見、とっていいかどうか判断し、いいとな

って、初めてとろうという意思が発動して、手を動かす筋肉に運動の命令がくだるので

ある。したがって、そこにあるリンゴを手にとるというだけでも、頭や脊髄の神経径路

の中を、信号が複雑な往復をして、初めて行動が起こされるのである。まして、アダム

とイブがリンゴを食べようと思案したときや、人気のないリンゴ園の垣根に近く、たわ

わに実っているリンゴの木下で「冠を直そう」かと考えている時などには、神経の中に

もっと複雑な信号の往復があるはずである。目の前に迫ってきた危機を、とっさに避

けるためには、これでは間に合わない。複雑な神経径路の中から近道を通って、とり

あえず危険を避けるための運動の命令を筋肉に伝えなければならない。前に述べ

た、まばたきの反射も、目を守るための合目的的な反射運動なのである。ちょうど役

所などで、緊急事態のもとでは、下の役の人に先決が許されるようなものである。歩く

という動作でも、歩きはじめや、止まるときには意思が働くが、歩いている間は、ほと

んど無意識に手足が動く。足の裏の皮膚や足の関節から、脳のほうに伝えられる歩

行状態についての情報が、脊髄のところでUタウンして、すぐに筋肉への運動命令

に交換されるので、考える必要がないのである。運動競技の練習を重ねると、

その動作に関連するいろいろな反射運動の情報伝達・運動命令の通り道がだんだ

ん短く単純化され、かつまた早く連絡されるようになるために、技が上達して

くるのである。呼吸、循環、消化などの自律神経の関与する働きも、すべて反

射的に行われている。からだの各部分の筋肉の緊張に、黒幕的支配力を及ぼし

ているものに、頸反射というものがあるが、これについては別に述べる。考え

てみると、若い世代の中に、「反射的」な人間がますます多くなっていくような

気がする。気に食わないとすぐ暴力沙汰になったり、ピストルで人を射ってみ

たいと言うと、すぐ人殺しをするたぐいである。この反射径路を閉鎖し、思考

と行動の間に社会通念、義理、道徳、「修身」などを介在させるためには、何よ

りもまず、若い世代におけるこの種の「反射機構」成立の必然を解析する必要が

あるようである。

大脳回および大脳溝

畑にうねを切ったように、大脳の表面には、溝とうねが、曲がりくねって走っている。こ

の溝やうねは誰の脳でもほとんど同じように出来ていて、どんなに小さいうね(これを

回という)にも溝にもいちいち名前がついており、その名前を言えば、街の中で

何丁目何番地というように、その所在を指せるようになっている。役所や会社

にいろいろな課があって、それぞれ仕事を分けて担当しているように、脳の中

にも、はっきりした仕事の分担がある。大脳を側面から見た場合、ほぼ真ん中

に、頂上近くから中心溝と呼ぶ溝が斜め前に向かって走っている。この溝の前

にある帯状の部分(中心前回)が運動野という。筋肉運動をつかさどるところで、

中心溝の後方の部分(中心後回)は皮膚感覚と筋肉運動の感覚をつかさどる体性感

覚野である。局所麻酔で開頭手術を受けている患者の運動野に電極をあて、弱

い電流を通ずると、その場所によって手首がピクッとうごいたり、電極をもう

少し下にずらすと親指が動いたりする。電極を体性感覚野にもっていくと、電

極をあてた位置によって手首にさわられているようだとか、顔にさわられてい

るとかいう。ちょうど、ピアノの一つの鍵盤が一つの音を出すように、脳の運

動や感覚野の一つの点とからだの一定部分とは完全に対応するようになってい

るのである。模型的に、脳の表面に、その部分と対応する体の部分を順々に描

いてみると、足を上に頭を下にした図が出来上がる。ところが、この図に現れ

た手足などからだの各部分の大きさは、実際のからだの部部の大きさとずいぶ

ん異なった割合になっている。脳の運動野で胴体が占める広さは、一本の手の

指を動かす部分の広さしかないし、体性感覚野で上下のくちびるの占める広さ

は、胴と尻に対応する部分を合わせた広さと等しい。運動野では発声や咀嚼な

どの重要な働きをつかさどる部分が特に広く、体性感覚野では舌の占める部分

が目立って広い。脳の側頭葉という部分を電気で刺激すると、前に聞いたこと

のある歌を思い出したり、前に見たことのある景色を思い出す。また、見てい

るものが、急に遠方にとおざかって小さく感じたり、音が思いがけなく近づい

て大きな音になったりする。この部分は記憶や判断の働きをつかさどる領域で

ある。また、おでこの内側の前頭葉は創造、企画、感情等の精神機能が営まれ

る座とされている。東京大学の標本室の片隅で、夏目漱石の脳を見たことがあ

る。夕日がかげって、やや暗くなった棚の上の、標本ビンに貼られたレッテル

の名前が、私の足を止めたのである。この脳の、回溝の起状の間から、数々の

名作が生まれ、喜びと悲しみがかみしめられ、死の直前まで「明暗」の筋書きが

点滅していたのである。「則天去私」をモットーにしていた漱石の脳の中に最

後に焼きついて、このビンの中に固定された思索はどんなものであったろうか

と考えながら、「草枕」を思い「こころ」を思い浮かべたのである。

 

大脳辺縁系

化石で発見された人類の祖先は、今から約七十万年前に生存していたと推定される

アウストラピテクスである。その脳容積は平均550ミリリットルで、類人猿のそれに

比べてわずか100ミリリットルしか多くない。ところが、約五十万年前に生存し

ていたジャワ原人の脳容積は900ミリリットルにふえ、さらに約二十万年前に生

存していたネアンデルタール人は1200-1600ミリリットルに増加しており、現代

人の脳に比べてそん色ないほど大きくなっている。人間の脳は生後一ヶ月でサ

ルの脳の重さになり、三ヶ月でアウストラピテクスの脳に、十一ヶ月でジャワ

原人、十歳でほぼネアンデルタール人の脳の重さに匹敵するようになる。あめ

細工師が細筒の先につけたやわらかいあめを、吹いたり、つまんだりしている

うちに見事な形につくりあげていくように、はじめ単純な一本の神経管であっ

た胎児の脳は、発育につれ次々に脳の重要な部分ができてき、込み入った構造

になっていく。しかし、出産時の人間の胎児の脳は、どの動物の脳よりも未完

成で、たとえ満期で生まれても、脳の完成の度合いからみると、みんな早産児

という事になる。大脳の皮質は構造も働きも非常に異なる三つの部分からでき

ている。そのうち古皮質と旧皮質は系統発生的にも個体発生的にも早くから発

達している部分である。発生の初めにはこの部分が表面に出ているが、新皮質

があとからどんどん発達してくるために、古い部分は大脳半球の底辺や内側に

押しやられたり、中に包み込まれたりしてしまう。旧皮質(梨状葉)と古皮質(

馬と歯状回)さらに視床下部及び偏桃核と中隔核を合わせて大脳辺縁系と呼ぶ。

大脳辺縁系は、臭い、痛み、内臓覚のような原始感覚を感じ、食と性と群居の

本能を営むと考えられている。したがって高尚な精神機能をもたない下等動物

の脳ほど、この辺縁系が脳の中で大きな割合を占める。本能の欲求が満たされ

ると快感を覚え、満たされないと不快を感じ、さらには怒りを発するに至るの

も辺縁系の働きである。ベルグソンの「内密の我」 、フロイトの「深層の

心」は、この辺に宿っているものであろう。自律神経の働きと、ホルモン分泌

の調節は、肉体を円滑に運転し生命を快適に維持するための二台双璧である。

この二つの大物、それに内臓の働きも視床下部を仲立ちにして、辺縁系によっ

て監視され統御されている。すなわち、辺縁系は動物としての人間の心と生命

の管理者であり、高尚な精神機能をつかさどる「神に似せて作られた」部分で

ある新皮質系の監督をうけながら共存しているのである。アルコール性の飲料

で強く酔うと、まず新皮質が麻痺して辺縁系に対する監督の力がゆるみ、先生

がいなくなった小学校の自習時間のように、辺縁系の獣性が露出する。ソクラ

テスは、人間とは「理性をもった動物」であるとしたが、この言葉は「新皮質

をもち辺縁系で命を保っている生物」と翻訳できるのである。

目次へ

inserted by FC2 system