茨城県虎塚(とらずか)古墳石室模型

          

7世紀初頭(原寸大、内法、長さ3.8m高さ1.35m)茨城県勝田市中根の台

地上に築かれた前方後円墳で東日本の装飾古墳を代表するもの。後円部に

あたる横穴式石室は、入り口へ向かう長さ4mの羨道(せんどう)を行くと、幅

1.2m、高さ0.8m、長さ1.3メートルの通路状の部分があり、そして、壁画

のある幅1.4m、高さ1.5m長さ3mの玄室に至る。壁は奥に1枚、左に2

枚の大きな板石を立て、天井に3枚の石をのせている。この部屋の入り口に

は1枚の扉となる石がはめこまれていた。模型は玄室部分を制作している。

石室は調査時まで開かれたことはなかったものの、成人男子一体に沿えて

刀・刀子(ナイフ)・鉄の鏃(やじり)<矢の先>・毛抜形鉄製品が発見されただけ

であった。壁画は奥と左右の壁にあり、白色粘土を塗った上に赤で描かれて

いる。その他の天井などは全面を赤で彩色していた。3面の壁の天井近くに

三角形が連続するような図がある。奥の壁は床近くにも同じ連続三角紋があ

り、その上に右から太刀・鞆(とも)・靫(ゆき)・槍などの武器・武具が描かれて

いる。中央には二つの円環が、その上に上下に向かい合う二つの三角があ

る。右の壁は、奥寄りの上に靫と盾がならんでおり、入口よりの下には首飾り

や馬の鞍に取り付けて足をおく鐙(あぶみ)などがある。人物像が描かれない

この虎塚古墳の壁画は、三角と円を主体とする幾何学文と武器武具・馬具を

描いたとみられる具象図に大別できる。前者の幾何学文は魔除けや鎮魂の

ために描かれたとされる。一方、後者の武器・武具馬具を描いたとみられる

具象図は、追葬があったらしいとはいえ、副葬された品物が非常に少ないこ

とに関連づけるならば、副葬されるべき生前の持ち物を絵に描くにとどめたと

考えることもできる。それとも、幾何学文と同じく魔除けを意図して描いたので

あろうか。

コメント

古墳の壁画に描かれている三角は上下に、円は左右に対称的に書かれてい

る。カタカムナ流に解釈するとエネルギーの原型(宇宙の法則)とも受け取るこ

とも出来る。現代科学で言えば、強い力と弱い力、重力と電磁力である。文様

として一番書きやすいこともあると思うが、なぜ三角であり、なぜ円なのか。

魔除けとしてあるいは鎮魂の為としてもこの文様に力があることをどうして知

っていたかである。ヒフミ聴感法のシンボルマークでも明らかにエネルギーを

感じるのである。0リング法でもハッキリとした答えが出るのである。古代の人

たちはこのようなエネルギーを感じ取る能力が備わっていたに違いないと思

う。三角紋は南太平洋の諸民族で使われている刺青にも見られる。彼らはサ

メ(ジョーズ)が人間にとってとてもかなわない生き物として恐れられたことも事

実であろうし、魔物として扱われる反面自然の神として尊敬の念も持っていた

に違いない。世界中にも生き物を神として崇拝されているものは沢山ある。ヘ

ビ・ゾウ・トリ・オオカミ等色々あるが生き物だけに限らなくても自然の海・山・

巨石と数えれば限がないほどある。しかも共通している文様は三角と四角と

円なのである。わが国の勾玉も楕円形ではあるがなぜあのような形をしてい

るのかはまだハッキリとはしていないのである。ただ私が言えることは勾玉の

色である。なぜ糸魚川で取れる硬玉のうすいブルー色の翡翠なのか?それ

は古代の人たちはオーラを見ることが出来たのであると思う。この自然界に

包まれているオーラを尊敬の色としてあるいは神として翡翠を使ったに違い

ないと思うがどうであろうか。またオーロラの濃いグリーンもそうではないかと

思う。私は今見えるのはうすいブルーと濃いグリーンが見えているからであ

る。 海の色あるいは植物・樹木の色もそうである。この古代日本においても

オースパローヒ(素晴らしい)と叫んでオーロラを見ていたのかもしれない。こ

の古代から文様の贈り物に対して我々は感性の高い縄文人に学ぶべき点が

あることを反省する必要があるのではないかと思うがどうであろうか。

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