武芸、武道、兵法

武芸、武道、兵法といった言葉は、それが使われた時代や、使った人々の考え方

の相違によって、ずいぶん多様な意味をもたされている。ごく常識的にいえば、

武芸とは武士として身につけるべき闘争の技術であり、武道とは、それに論理的

な要素の加わったものと理解してよいだろう。享保元年(1716)に発刊された「本朝

武芸小伝」(日夏弥助繁高著)は、各流派や流祖たちの列伝として、かなり信頼度の

高い書物であるが、ここでは武芸を兵法(軍学)、諸礼(礼儀作法)、射術(弓術)、馬

術、刀術、槍術、砲術、小具足(逮捕術)、柔術の九つに分類している。また江戸

時代に武士の六芸とされていたのは、弓、馬、槍、剣、砲、柔のことで、いずれ

も「武芸」のうちに含まれるものである。次に武道という言葉は、現在では剣道、

柔道、弓道などの総称として、武芸に精神的な要素を加えたものとされている

が、大道寺友山の「武道初心集」(天和年間)など江戸中期の使用例では、明らかに

現在いう武士道、すなわち武士としての論理をさしている。武道という言い方が

現在のような意味で一般化したのは、明治に入って嘉納治五郎が講道館柔道を創

始して以後のことだという(錦谷雪・図説古武道史)。その後の国粋主義的な風潮

の中で,武術,武芸といった呼び方はすっかりすたれ,柔道,剣道,弓道,さては柔剣道

といった言葉が普通に用いられるようになっていった。平方という言葉は、江戸

中期以後には「本朝武芸小伝」の例でみるように,集団先頭における戦略,戦術の

理論を内容とする「軍楽」を意味するようになったが,それ以前には武芸一般のこ

とをも、また剣術のこともさしていた。宮本武蔵はその「五輪書」の中で、兵法を

「一分の兵法」(一対一の個人戦の技術)と「大分の兵法」(集団戦闘の技術)とに区別

して論じている。また柳生宗矩も「兵法家伝書」の序文の中で、兵法には「人と

我と立あふてつかふ兵法」から「国の機を見て、みだれむ事を知り、いまだみだ

れざるに治る」ことまでが含まれると言っている。だが、このような解釈は当時

必ずしも一般的なものではなく、世間で言われていた兵法とは、武芸、それも主

として剣術のことであり、兵法者とは武芸者のことであった。「甲陽軍艦」では

代表的な兵法者として塚原卜伝をあげ、「つかはら原ぼくでんは、兵法修行仕る

に、大鷹三もとすゑさせ、のりかへ三疋ひかせ、上下八十人計召つれありき、兵

法修行いたし、諸侍大小共に貴むやうに仕なす、ぼくでん抔兵法の名人にて御座

候」と称嘆している。卜伝は、このように威容を整えて諸国をめぐり、各地で弟

子をとっては武芸を教えていたのだから、ここでいう兵法者とは明らかに武芸者

と同じ意味であろう。武蔵や宗矩が兵法の意味を拡大して述べているのは、かれ

らが剣の修行を通じて体得した闘争の原理を、集団の戦闘、さらには政治や社会

生活全般にまで適用しようと意図していたためと思われる。なお、兵法は「へい

ほう」とも「ひょうほう」とも両方に読まれるが、読み方による意味の相違は別

にない。

 

柳生新陰流   兵法家伝書

柳生但馬守宗矩の生い立ち

柳生但馬守宗矩は元亀二年(1571)、石舟斉宗厳の五男として生まれた。最初の

名が新左エ門、のち又右衛門を名のる。十五歳の折には、柳生家がその領地を豊

臣家から没収されるなど、その青春時代にはずいぶんと苦労が多かったらしい。

二十四歳のとき、父宗厳とともに家康に目通りし、そのまま家康のもとに留めら

れたのが運のひらけはじめであった。関が原の役に際しては家康の親書を携えて

柳生に飛び、父宗厳とともに西軍の後方牽制にあたる。その功績によって柳生の

旧領を賜り,やがて,二代将軍秀忠の師範となった。寛永九年(1632)三月、宗矩

は三千石の加増を得て六千石となり、同年九月には惣目付(後の大目付)に任じ

られて幕閣の中枢にはいった。その行政手腕や人格がいかに高く評価されていた

かを物語るものであろう。後には加増を重ねて一万二千五百石にまでのぼった。

「猷廟(家康公)にも、天下の務、宗矩に学びてこそ大体は得つれことごとに仰

せられし由、この一事にてもその器量おしはかるべし」(撃剣叢談)などと言わ

れている。

新陰流哲学の大成

宗矩は上泉秀綱、父宗厳から伝えられた柳生新陰流を、心技の両面にわたってさ

らに深め、体系化した。とくにかれが傾倒した沢庵禅師の教えによって禅の哲学

を武芸に導入し、いわゆる剣禅一致の境地を切り開いたことは特筆に価する。

「兵法家伝書」を中心とする宗矩の兵法論には、沢庵の影響がすこぶる濃厚に見

られるが、それが理屈倒れの生悟りに堕していないのは、宗矩が秀綱、宗厳から

伝えられた新陰流の実技を徹底して追及し、その真髄を極めていたからにほかな

らない。いやしくも将軍家の師範役とあれば、まずその剣技において不出世の名

人であることが要求される。このことを抜きにして、いかに政治手腕に優れてい

ようとも、たかだか大和の山村の土豪の出に過ぎぬ宗矩が、大名の列に加わるこ

となどなかったであろう。宗矩の兵法論が、理論的には多少の粗雑さを含みなが

らも、力強い説得力をそなえているのは、この確固たる実技の裏づけがあるため

と思われる。ここに紹介する「兵法家伝書」は、宗矩が備前小城藩主、鍋島紀伊

守元茂に与えた柳生新陰流の秘伝書である。江戸柳生家と呼ばれる宗矩の家計

は、長男の十兵衛三厳、その早世後は弟の宗冬が相続したが、三厳は二十一歳の

寛永三年以降、行状不良に名目により十二年間にわたって出仕を止められ、勘当

同様の身であった。このため宗矩は、三厳を流派の正式の継承者とはせず、親交

のあった鍋島元茂に新陰流の兵法目録である「新陰流兵法之書(一名・進履橋)

と、この「兵法家伝書」を与えたのである。ときに生保三年(1646)三月、宗矩

はこの伝書を元茂に与えて間もない同月二十六日、江戸麻布の下屋敷で七十六歳

の生涯を閉じている。

 

兵法家伝書の思想

「兵法家伝書」は前述の「新陰流兵法目録」のような実技の解説書ではなく、勝

負の場における精神のコントロールに関する議論がその中心をなしている。そこ

には、たとえば次のような重要な指摘がある。

━稽古の究極の目的は、それを完全に身につけることによって無意識のうちに正

  しい動作ができるようになることである。

━敵を一太刀うっても、そこに心が留まるならば、たちまち打ち返されて負かさ

  れる。一太刀うったら、それが切れようと切れまいと心にかけず、顔もあげさ

  せぬほど打ちに打て。

━病気(偏向)を去ろうと思いつめるのも病気だ。病気にまかせ、病気と交わる

  ことによって病気を去ることができるのだ。

━外面が動のときは内面は静、外面が懸(攻勢)のときは内面は待(守勢)、内

  外をたがいちがいとせよ。この修行積むことによって内外は一つに統一され

  る。

━どのような秘伝の技を使っても、その技に心が留まるならば勝利は得られな 

  い。敵の働きにも、わが技にも、切ろうと、突こうと、そこに心を留めぬ修行

  こそ大切である。

一言にしていえば、ありとあらゆる状況の変化に対応して,最適の技を,反射的に,

   無意識のうちに使えるような境地こそ,柳生新陰流の極意ということになる。

  「兵法家伝書」にはそこに至るまでの修行の心得、心の持ち方が懇切に説かれ

  ており、宗矩がその結びの言葉で「一心、多事に渉り、多事、一心に収まる」

  と述べているとおり、諸道に通じる教訓にあふれている。

 

門は家に至るしるべなり

1.大学は初学の門な也。と云事、凡家に至るには、まづ門より入者也。然

  れば、門は家に至るしるべ也。

1.此門をとおりて家に入り、主人にあふ也。学は道に至る門也。しかれば、学は

  門也。家にあらず門を見て、家也とおもふ事なかれ。家は門をとおり過ぎてお

  くにある物也。

 

「訳」

大学(儒教の聖典。四書の一つ)は学問に志す者の 「門」にあたるとされている。

この「門」ということについて説こう。そもそも人の家に行きつくには、まず門

からはいっていくものだ。ということは門は家に行き付くための目印である。こ

の門を通ることによって真理を体得するのである。それだから学問は「門」だと

いうのである。家ではなく門を見て、それが家だと思ってはならない。家とは、

門を通り過ぎてその奥にあるものなのである。

 

「解説」

いずれの道においても、まず基礎的な知識を学び、技術を身につけることが出発

点となる。しかし、それはあくまで道の深奥をきわめ、真理に到達するための道

程に過ぎない。「○○のすべて」だの「○○に強くなる法」といった出来合いの

知識の切り売りで満足しているならば、新しい発見や創造は永久に不可能であろ

う。入門は文字通り入門であって、主人(真理)に会うこととは別なのだから。

 

習いをはなれて習いにたがわず

様々の習いをつくして、習、稽古の修行功つもりぬれば、手足身に所作はあり

て、心になくなり、習いをはなれて習いにたがわず、何事も、するわざ自由也。

此時は、わが心にいづくにありともしれず、天魔外道もわが心をうかがひ得ざる

也。此位にいたらん為の習也。ならひ得たれば、又習はなく成也。是が諸道の極

意向上也。ならひをわすれ、心をすてきつて一向に我もしらずして、かなふ所が

道の至極也。此一段者習より入て、ならひなきにいたる者也。

 

「訳」

さまざまの訓練をしつくして、訓練、稽古の修行を十二分に積むことができれ

ば、手足や体を動かしても、それによって心が動かされることはなくなり、訓練

のことは念頭になくなって、しかも訓練の成果を生かし、すべての動きが自由と

なる。このようになれば、自分の心がどこにあるのかもわからなくなり、たとえ

魔人や悪魔といえども、わが心を察知することはできなくなるのである。すべて

訓練はこの段階に達するためのものである。訓練をしつくすことによって、また

訓練を忘れ去るもの、これこそがすべての道に通じる極意である。訓練を忘れ、

心を捨て去り、自分の意思ではなく、しかも道にかなうというところが道の極致

なのである。この項では、訓練に始まって訓練を忘れ去るということを説いた。

 

「解説」

何の道であれ、意識して技をふるう間はまだ本物とはいえまい。無念無想のうち

に瞬時に的確な判断をくだし、反射的に恐るべき技をふるうのが名人の境地であ

ろう。こうなれば心中に迷いやためらいが起こることがないから、敵のつけいる

隙もない。「天魔外道」も手も足も出せないのである。

偽り、みな真実となる

表裏は兵法の根本也。表裏とは、おもひながらも、しかくれば、のらずしてかな

はぬ者也。わが表裏をしかくれば、敵はのる也。のる者をばのらせて勝つべし。

のらぬ者をば、のらぬよと見付る時は、又こちらからしかけあり。然ば、敵のの

らぬも、のつたに成なり。仏法にては、方便と云う也。真実を内にかくして、外

にはかりごとをなすも、終に真実の道に引き入る時は、偽皆真実に成る也。神祇

には、神秘と云、秘して以て人の信仰をおこす也。信ずる時は、利生あり。武家

には、武略と云。略は偽なれば、偽をもって人をやぶらずして、勝時は、偽終に

真と為也。逆に取て順に治と云是也。

 

「訳」

表裏(計略)は兵法の根本である。ほんとうの計略とは、これは計略と思いながら

も、しかけられるとそれに乗らずにはいられないものである。こちらから計略を

しかければ敵が乗ってくるから、乗せておいて勝つがよい。相手が乗ってこない

ときにも、乗ってこないと判断がつけば、また、こちらから次の計略をしかける

ことができる。これができれば計略に乗らぬ敵をも、乗せたことになる。これと

同様のことを仏教では方便という。真実を内にかくし、外面では偽りを出す場合

があるが、これも最後には真実の道に引き入れるのであるから、偽りもすべて真

実となるのである。これを神道のほうでは神秘と呼んでいる。秘密にすることに

よって人々に信仰を起こさせるのだ。信仰をすれば、それによって利益があるの

である。武家においては武略という。略とは偽りのことであるが、偽りによって

味方の兵員を損なうことなく勝利を得ることができるならば、偽りも結局は真実

となるのだ。逆の道を行って正しい道に治まるというのはこのことである。

 

懸、待の心持ち

懸とは立あふやいなや、一念にかけて、きびしく切てかかり、先の太刀をいれん

とかかるを懸と云也。敵の心にありても、我心にても、懸の心持は同事也。待と

は、卒爾にきつてかからずして、敵のしかくる先を待を云う也。きびしく用心し

て居るを待と心得べし。懸待は、かかると、待との二也。

 

「訳」

「懸」とは、立合うやいなや、一心をこめて、きびしく切りかけ、先手の太刀をと

ろうとかかるのを懸というのである。敵の心においても、自分の心においても、

懸の心持は同じことである。「待」とは、いきなり切ってかかるのではなく、敵

が先手をとろうとしかけてくるのを待つのをいうのである。きびしく用心してい

るのを待と心得よ。「懸」「待」とは、かかると、待つとの二つである。

 

「解説」

懸待とは、いわば攻勢と守勢を意味する。しかしこの場合、守勢といっても単に

守ることのみに主眼があるのではなく、敵がかかってくるのを待ち受けて逆に攻

勢に出ていくという含みがある。

 

敵をおびき出す術

身太刀とに、懸待の道理ある事。身をば敵にちかくふりかけて懸になし、太刀は

待になして、身足手にて敵の先をおびき出して、敵に先をさせて勝也。ここを以

て、身足は懸に、太刀は待也。身足を懸にするは、敵に先をさせむ為也。

 

「訳」

体と太刀との関係において、「懸」と「待」の道理がある。体は敵に間近にくっつけ

て「懸」の態勢をとり、太刀は油断なくかまえる「待」の態勢にしておくことによ

り、体、足、手の態勢によって敵によって誘いをかけ、先手をとろうとさせてお

いて勝ちを占めるのである。したがって、体、足は懸に、太刀は待にというので

あり、体、足を懸にするのは、敵に先手をとろうとさせるためである。

 

心と体の関係をコントロールせよ

心と身とに懸待ある事。心をば待に、身をば懸にすべし。なぜなれば、心が懸な

れば、はしり過て悪程に、心をばひかえて、待に持て、身を懸にして、敵に先を

させて勝べき也。心が懸なれば、人をまづきらんとして負けをとる也。又の儀に

は、心を懸に、身を待にとも心得る也。なぜになれば、心は油断無くはたらかし

て、心を懸にして太刀をば待にして、人に先をさするの心也。身と云い、即太刀

を持手と心得ればすむ也。然らば心は懸に身は待と云也。両意なれども極る所は

同心也。とかく敵に先をさせて勝也。

 

「訳」

心と体の関係においても、「懸」と「待」ということがある。これについては、心は

「待」に、体は「懸」にするのだ。なぜならば、心が「懸」であると、とかく暴走をし

がちでよろしくないから、心はひかえ目の「待」の状態にしておき、体のほうは積

極的な「懸」の態勢にしておくことにより、敵に先手をとらせようとさせて勝つこ

とができるのである。もし心が「懸」の状態であると、まず人を切ろうとして、か

えって負けてしまうものである。また一方では、心を「懸」の状態に、体を「待」の

態勢にせよともいわれている。これは、心を油断なく働かせておき、太刀は待ち

かまえる態勢にしておくことにより、敵に先手をとろうとさせるとの意味であ

る。この場合、体というのは太刀を持っている手のことだと理解しておけばよ

い。そうすれば心を「懸」、体を「待つ」といってもよいわけである。表現は違って

いるが、結局は同じ意味であり、いずれにせよ敵の先手をおびき出して勝とうと

いうものである。

 

「解説」

最後の「とかく敵に先をさせて勝也」の一語に、柳生新陰流の一つの核心がうかが

われる。宮本武蔵はその「五輪書」において「いつにても我方よりかかる事にはあ

らざるものなれども、同じくは我方よりかかりて敵をまはし度事也」といい、ま

た示現流流祖の東郷重位は「そもそも意地と打とは、斯道の精神にして、防守を

避け、攻略を主とし、煩瑣譎巧をしりぞけ、神速果断を尚ぶ」(野太刀示現流教

)と述べている。こうした「攻撃こそ最良の防禦」という考え方のほうが、闘争の

哲学としては一般的なものであった。これらのなかにあって、柳生新陰流のみが

「受けて立つ」横綱相撲のような姿勢を堅持しているのである。宗矩の筆になる別

の伝書「玉成集」には、

「兵法の習、色々ありといえども別にもちいず。

一、出す所を勝つか

一、打出さぬ者には仕かけて打つ所を勝つか

一、それを知る者には、わがうちを見せて、それを打つ所を勝つか

これ三つより外はこれ無く候」

と断言している。そして「わが心ばかりにて打つことを当流にはひが事と相きわ

め候事」と言っているところから見て、その態度はすこぶる徹底したものがあ

る。動こうとしない相手に対しては挑発をかけ、あるいは誘いの隙を見せ、それ

に乗った敵の崩れをつくという、味方によっては老獪な姿勢は、かれを厚く信任

した家康に共通するものを感じさせるではないか。

 

トンボのような目づかいで

待なる敵に、様々表裏をしかけて、敵のはたらきを見るに、みる様にして見ず、

見ぬようにして見て、間々に油断なく、一所に目ををかず、目をうつして、ちや

くちやくと見る也。或詩にいはく、偸眼にして蜻蜓伯労を避くと云句あり。偸眼

とは、ぬすみ見る事也。敵のはたらきを、ちやくちやくとぬすみ見に見て、油断

無くはたらくべき也。猿楽の能に、二目つかひと云事あり、見てやがて目をわき

へうつす也。見とめぬ也。

 

「訳」

待ちかまえる態勢にある敵に対し,いろいろと計略をしかけて,その反応を判断する

ときには,見るようにして見ず,見ぬようにして見るというように,その合間合間に

油断なく、一ヶ所に目をやらずに、うつしながら、ちょいちょいと見るのであ

る。ある詩に「ぬすみ見をしながらトンボはモズを避ける」という句がある。この

ように敵の動作をちょいちょいとぬすみ見に見ながら、油断なく動くのである。

猿楽の能においても、二目つかいといって、一方を見ながら、他方へ目をうつし

てゆく目づかいがある。このように一ヶ所に目を留めないことが大切である。

 

「解説」

「見ぬようにして見る」ことの効用は、第一にこちらの心の動きを敵に覚らせぬこ

とであり、第二に部分の現象に目を奪われず、流動する状況を全体としてとらえ

ることにある。沢庵禅師の「不動智神妙録」にも「一枚の赤い葉に心をとめれば,

の姿全体は見えなくなる」という教えがある。

 

顔もあげさせず打ちに打て

人を一刀きる事はやすし。人にきられぬ事は成りがたき者也。人はきるとおもふ

て、うちつけうとも、ままよ、身にあたらぬつもりを、とくと合点して、おどろ

かず、敵にうたるる也。敵はあたるとおもふてうてども、つもりあれば、あたら

ぬ也。あたらぬ太刀は死太刀也。そこをこちらから越てうつて勝也。敵のする先

は、はづれて、われ返而先の太刀を敵へ入也。一太刀打てからは、はや手はあげ

させぬ也。打てより、まうかうよとおもふたるは、二の太刀は、又敵に必うたる

べし。爰にて油断して負也。うつた所に心がとまる故、敵にうたれ、先の太刀を

無にする也。うつたる所は、きれうときれまひとまま、心をとどむるな。二重三

重、猶四重五重も打べき也。敵にかほをもあげさせぬ也。勝事は一太刀にて完る

也。

 

「訳」

人に一太刀あびせることはたやすい。しかし、人に切られないようになるのは容

易なことではない。相手が切ろうとして、打ちかかってこようとも、こちらは体

に当たらぬ間合いをよく判断しておいて、驚くことなく敵にうたせるのである。

敵はあたるものと思ってうちかかってくるが、間合いがあるのであたらない。あ

たらぬ太刀は死太刀となってしまう。そこを、こちらから踏みこんで打ち、勝を

占めるのである。敵がしかけてきた先手ははずれ、こちらからは逆に敵に先手の

太刀を入れてしまうのだ。一太刀打った後は、もはや敵の自由にはさせない。打

っておいて、もうこれで大丈夫と思っていては、次にまた必ず敵にうたれてしま

い、油断のために負けてしまうだろう。これは打ったということに心を留めるた

め、敵から打ち返され、はじめの先手の太刀が無となってしまうのである。一太

刀打ったならば、それで敵を切ることができようとできまいとかまわず、二度三

度、さらに四度、五度も繰り返して打ち込み、敵には顔もあげさせぬことだ。こ

うすれば最初の一太刀によって勝利はきまってしまう。

 

「解説」

一旦つかんだ勝機はあくまで離さず、確実に勝ちを占めるためには、敵の崩れに

つけこんで打ちに打つよりほかはない。魯迅の「溺れる犬は打て」を連想させ

る。むやみと刀を抜くことはないが、いざとなれば徹底して戦いぬく新陰流の一

面がうかがわれる。

 

拍子を狂わせて勝つ

敵が大拍子にかまへて、太刀をつかはば、我は小拍子につかふべし。敵小拍子な

らば、我は大拍子につかふべし。是も敵と拍子をあはせぬ様につかふ心持也。拍

子がのれば、敵の太刀がつかひよく成也。たとへば、上手のうたひは、のらずし

て、あひをゆく程に、下手鼓は、うちかぬる也。上手のうたひに、下手鼓、上手

の鼓にへたのうたひの様にうたひにくく、打ちにくき様に敵へしかくるを、大拍

子子拍子、子拍子大拍子と云也。上手の鳥さしはさほを鳥に見せて、むかうこら

竿をぶらぶらとゆぶりもつて、つるつるとよつてさす也。鳥が竿のぶらぶらする

拍子にとられて、羽をふるひ、たたん、たたんとして、得たたずして、ささるる

なり。敵と拍子ちがふ様にすべき也。拍子がちがへば、みぞもとばれずしてふみ

こむ者也。か様の心持まで吟味すべき也。

 

「訳」

敵が大きい拍子に太刀をつかうならば、こちらは小さい拍子でつかう。敵が小さ

い拍子ならば、こちらは大きい拍子でつかうのである。これは敵と拍子があわぬ

ようにして太刀をつかうためである。もし拍子が合うと敵は太刀がつかいよくな

るものだ。たとえば上手な人の謡は、固定した拍子にのらず、その中間をとるか

ら、下手なものが鼓をうとうとしても、うつことができない。上手の謡に下手の

鼓、上手の鼓に下手の謡というように、謡いにくく、うちにくいよう、敵にしか

けてゆく心持を、大拍子子拍子、子拍子大拍子というのである。上手な鳥さし

は、竿を鳥に見えるように持ち、向こうから竿をぶらぶらとゆすぶりながら持っ

てきて、するすると近寄っては鳥をさしてしまう。鳥は竿がぶらぶらとする拍子

に心を奪われて、羽ばたきをして飛び立とう、立とうとしながら、飛び立つこと

ができずに、さされてしまうのである。このように敵と拍子があわぬようにする

のである。拍子が合わず狂ってしまうと、溝をとびこえることもできず、踏みこ

んでしまうものだ。このような心持までも、よく研究しておくことである。

 

「解説」

敵のリズムやテンポを故意に狂わせて勝機をつかむことは、あらゆる闘争の要諦

である。自分が予想もしなかったリズム、テンポで臨んでこられれば、誰しも一

瞬の動揺は免れない。その崩れを衝くところが勝利への転機となるのである。

 

敵の動きの全体をつかめ

まひもうたひも、しやうがしらずして、はやされまひ事也。兵法にも章哥の心も

ちあるべき事也。敵の太刀のはたらき如何様にあるぞ、何としたるさばきぞと、

とくと見すへて、そこをしるが、舞うたひの章哥よく覚えたる心なるべし。敵の

はたらき振舞よくしりたらば、こちのしかけ自由なるべし。

 

「訳」

舞いも謡も、その曲の全体を知ることなしには、これを演ずることはできない。

武芸の道にもこれと同様の心がまえが必要である。敵の太刀の働きがどのような

ものか、どういう種類の動作かということを十分に見きわめて、判断すること

が、舞や謡においての曲の全体をよく覚えるのと共通する心がまえである。敵の

動作の流れをよく心得てしまえば、あとは自由に料理することができよう。

 

「解説」

宗矩の能楽好きは有名で、凝りすぎて沢庵に叱られたことがあるほどである。だ

が、さすが名人だけあって、ここからも剣の道の教訓を引き出している。部分の

動き、一時の現象に対処するだけでなく、全体の流れを見とおすことが戦いの主

導権を握る道だというのである。だが、前もって筋書きがきまっているわけでは

ない。人間対人間の勝負において、これは至難のわざである。段違いの実力と経

験によって、戦わずして敵を呑む者だけが達しうる境地であろう。

 

敵は攻勢・・・と覚悟せよ

とにも角にも、此道は、表裏を本として、様々に序を切かけ、色をしかけて、敵

に先手をさせて勝つ分別ばかり也。立あはぬさきは、敵は懸也と覚悟して、油断

すべからず。下作専要也。敵懸也ともおもはずして、立相といなや、ほかと急々

に、きびしく仕かけられてからは、わが平生の習も何の手も出ざる者也。

 

「訳」

なんとしてもこの道は、計略を根本とする。相手に対してさまざまな誘いをか

け、おびきよせて、敵が先手をとろうとするところをつけこんで勝利を得る。そ

のくふうが第一なのである。試合となるまでは敵は攻勢に出てくるものと覚悟

し、油断しないことだ。内心の備えを固めることが先決である。もし、敵が攻勢

に出ると思わずにいて、立ち会ったとたんに、いきなり激しく打ちこまれてしま

っては、こちらのふだんの鍛錬も役に立たず、手も足も出なくされてしまうもの

である。

「解説」

予想しうる最悪の事態をつねに想定し、しかもこれを勝利への転機に逆用するの

が新陰流の精神である。

 

外は静かに、内はきびしく

風水の音をきくと云事、上は静かに、下は気懸に持也。風にこゑはなき物也。物

にあたりてこゑを出す也。されば上を吹はしづか也。下にて木竹よろづの物にさ

はりて、その声さはがしく、いそがはしき也。水も上より落るには、声なし。物

にさはり、下へおちつきて、下にていそがはしく声がする也。是をたとへに引

て、上は静に、下は気懸に持と云也。うわつらには、如何にもしとりて、ふため

かずして静に、内には気を懸に、油断無くもつたとへ也。身、手、足いそがはし

きはあし。懸持を内外にかけてすつべし。一方にかたまりたるはあし。陰陽たが

ひにかはる心持を思惟すべし。動くは陽也。静なるは陰也。陰と陽とは内外にか

はりて、内に陽うごけば、外は陰で静也。内陰なれば、うごひて外にあらはる。

此の如く兵法にも、内心に気をはたらかし、うごかし、油断なくして、外はまた

ふためかず、静にする。是内にうごき、陰外に静なる天理にかなふ也。又外きび

しく懸なれば、内心を外にとられぬやうに内を静にして、外懸なれば、外みだれ

ざる也。内外ともにうごけば、みだるる也。懸待、動静、内外をたがひにすべ

し。水鳥の水にうかびて、上はしづかなれども、そこには、水かきをつかふごと

くに、内心に油断なくして、此けいこつもりぬれば、内心外()ともにうちとけ

て、内外一つに成て、少しもさはりなし。此位に至る、是至々極々也。

 

「訳」

風や水の音を聴くということは、表面は静かに、内心は積極的にもつことを風水

の音を聴くというのである。表面はいかにも落ちついていて、あわてず、静かに

しながら、内心は積極的に気を働かせ、油断なく保つことをたとえたものであ

る。体、手、足がせわしそうなのはよろしくない。「懸」と「待」とは表面、内心と

もに、どちらかに片寄ってしまってはならない。陰陽が互いに入れかわる心持を

研究せよ。動くのは陽、静かなのは陰。陰と陽とは表面と内心とで入れかわりと

なり、内心に陽が動くときは表面は陰で静かとなる。内心が陰で静かなときは表

面は積極的に動いて陽となる。兵法においてもこのように、内心には気を働か

し、動かし、油断なく保っておきながら、表面は騒がず、静かにするのが、内面

は積極的に、表面は静かにするという天然の道理と一致するのである。一方、表

面において激しく攻勢に出るときには、内心をその動きにひきこまれぬよう静か

に保つことによって、表面の動きが乱れぬようにできる。もし表面、内心ともに

激動すれば、乱れてしまうものだ。このように「懸」と「待」、「動」と「静」は、内心

と外面において互い違いとすべきものである。水鳥が水に浮かんで、うわべは静

かにみえても、水中では水かきをつかっているように、内心は油断なく保つので

ある。この修行をつむならば、内心と外面の働きが一つに統一され、その働きは

完全に自由自在となる。この境地に達することこそが兵法最高の修行なのであ

る。

 

「解説」

「風水の音をきく」という秘伝は、柳生新陰流の大事とされているが、その解釈に

は諸説がある。十兵衛三厳は、その著書「月の抄」のなかで、ここに揚げた宗矩

の説とならべて、「勝負の最中にあっても、風水の音が耳に入るほどの心のゆと

りを持て」という解釈を施している。「風水の音」の解釈としては、たしかにこの

ほうが無理がない。しかし、この項の後半にある表面と内面の使い分け、および

その統一についての議論は、簡にして核心をついたみごとなものである。

 

固定した心は病気である

かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習のたけを

出さんと一筋におもふも病、かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりお

もふも病也。病をさらんと一筋に、おもひかたまりたるも病也。何事も心の一す

じに、とどまりたるを病とする也。此様々の病、皆心にあるなれば、此等の病を

さつて心を調る事也。

 

「訳」

勝とう、勝とうと一途に思うのは病気である。技を使おうと一途に思うのも病

気、鍛錬の成果をあらわそうと一途に思うのも病気である。積極的にかかってい

こうとばかり思うのも病気、待ちかまえていようとばかり思うのも病気である。

こうした病気をなくそうと一途に思いつめるのもまた病気である。いずれにせ

よ、心が一途に固定してしまった状態を病気というのである。このような、さま

ざまの病気は、すべて心のうちにあるものなのだから、これらの病気をなくすた

めには心のコントロールが必要となってくるのだ。

 

「解説」

あらゆる偏向の根源は執着にあるという見方には、禅の強い影響が感じられる

が、次の項ではそれがさらに明瞭に見られる。

 

思いによって思いを去る

念に渉て無念、着に渉て無着(しようねん・むねん・しようちやく・むちやく)

此心は、病をさらんとおもふは念也。心にある病をさらんとおもふは念に渉る

也。又病と云も一筋におもひつめたる念也。病をさらんとおもふも念也。しかれ

ば念を以て念をさる也。念をされば無念也。これを以て渉念無念と云也。念に残

りたる病を念を以てされば、後はさる念も、さらるる念も共になくなる也。楔を

以て楔を抜くと云は此事也。ぬけぬ楔を又同楔を打こめば、くつろぎて楔がぬく

る也。ぬけぬ楔がぬくれば、後に打こみたる楔もあとには残らざる也。病気が去

れば、病気をさる念もあとには残らぬ程に、渉念無念と云也。

「訳」

「思いありて思いなし。心をつけて心をつけず」ということがある。この意味はど

のようなことか、心の病気をなくそうとするのは、ひとつの「思い」である。一

方、病気というのもまた、一途に思いつめた「思い」である。そうであるならば、

ひとつの「思い」によって、もうひとつの「思い」をなくすことができよう。「思い」

がなくなれば「無念」となる。これを「思いをもって思いを去る」というのである。

心の病気が「思い」によって消えるならば、あとは消える思いも、消す思いも、と

もになくなってしまうのだ。ちょうど、クサビによってクサビを抜くというよう

なもので、抜けなくなったクサビのところに、もうひとつ同じクサビをうちこむ

と、はじめのクサビはゆるんで抜ける。そうなれば、あとからうちこんだクサビ

も抜けて、あとには残らぬ道理だ。このように、病気が消えれば、病気を消そう

とする思いもともに消えて残らぬようになるから、「思いありて思いなし」という

のである。

 

「病気」を気にせぬ心の修行

後重には、一向に病をさらんとおもふ心のなきが、病をさる也。さらんとおもふ

が病気也。病気にまかせて、病気のうちに交て居が病気をさつたる也。病気をさ

らんとおもふは、病のさらずして心にある故なり。しからば、一円病気がさらず

してする程の事、おもふ程の事が着して、する事に勝利あるべからず。いかんか

心得可きぞや。こたへて云。初重後重と二たてたるは此用也。初重の心持を修行

して、修行積ぬれば、着をさらんとおもはずして、ひとり着がはなるる也。病気

と云は着也。仏法にふかく着をきらふ也。着をはなれたる僧は、俗塵にまじりて

も染まず、何事をなすとも自由にして、とどまる所がなひ者也。諸道の達者、其

わざわざの上に付て着がはなれずば、名人とはいはるまじき也。みがかざる玖は

塵ほこりがつく也。みがきぬきたる玉は、泥中に入てもけがれぬ也。修行をもつ

て心の玉をみがきて、けがれにそまぬやうにして、病にまかせて、心をすてきっ

て行度様にやるべき也。

 

「訳」

さらに程度の高い修行としては、病気を去ろうとする心を少しも持たぬことが、

すなわち病気を去ることになるという境地がある。病気をなくそうと思うこと

が、また一つの病気なのであるから、そういうことは考えず、病気の状態をその

ままにして、そのなかに身を置くことが、つまりは病気をなくすことなのであ

る。病気を去ろうと思うことは、病気が心のうちにあるためである。それならば

病気が心のうちにあるままの状態では、その思いが心に固定して、何をしても勝

利できないのではないかと思われる。これについてどう考えるべきだろうか。そ

の回答はこうだ。最初の段階の修行と、さらに高い段階での修行と、二つに分け

たのはこのためである。まず最初の心持をよく修行して、その境地に達すれば、

心を固定させまいと思わなくとも自然と固定した思いがなくなってくる。病気と

は固定した思いである。仏法においては、とりわけ固定した心を嫌う。心を固定

せぬ僧は、世間の塵のなかにあってもこれに汚されず、何事をしても自由で、心

をとらえられることがない。いずれの道をきわめた人においても、その技術から

固定したものがなくなるようでなければ、名人ということはできないものであ

る。磨いてない原石には塵やほこりがつくものだが、磨きぬいた玉は、たとえ泥

のなかにあっても汚れない。修行によって心の玉を磨きぬき、汚れに染まぬよう

にしたうえで、病気のことなど気にかけず、心を自由にとき放って、行きたいよ

うにすればよいのである。

 

「ふだんの心」で万事にあたれ

僧、古徳ニ問フ、如何カ是レ道ト、古徳答テ曰ク、平常心是レ道ト。

右話し、諸道に通じたる道理也。道とは何たる事を云ぞととへば、常の心を道と

云也。とこたへられたり。実に至極之事也。心の病皆さつて、常の心に成て、病

と交りて、病なき位也。世法の上に引合ていはば、弓射る時に、弓入るとおもふ

心あらば、弓前みだれて定まるべからず。太刀つかふ時、太刀つかふ心あらば、

太刀先定まるべからず。物を書時、物かく心あらば筆定まるべからす。琴を引と

も、琴をひく心あらば、曲乱べし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせ

ざる時の、常の心にて弓を射ば、弓定まるべし。太刀つかふも馬にのるも、太刀

つかはず、馬のらず、物かかず、琴ひかず、一切やめて、何もなす事なき常の心

にて、よろずをする時、よろずの事難なくするするとゆく也。道とて、何しても

一筋是ぞとて胸にをかば、道にあらず。胸に何事もなき人が道者也。胸には何事

もなくして、又何事成共、なせばやすやすと成也。鏡の常にすんで、何のかたち

もなき故に、むかふ物のかたち何にても明なるがごとし。道者の胸のうちは、鏡

のごとくにして、何もなくして明なる故に、無心にして、一切の事一もかく事な

し、是只平常心也。此平常心をもつて一切の事をなす人、是を名人と云也。

 

「訳」

ある僧が高僧に問うた。「道とは何でありましょうか」高僧は答える。「ふだん

の心がそのままの道なのだ」と。

この話はさまざまの道に共通する真理を示している。道とは何かという質問に対

して、ふだんの心がそのまま道であると答えられたのは、実に最高の回答であ

る。これは心の中の病気をすべて去り、ふだんのままの心となって、たとえ病気

があろうとも、そのなかに身を置いて病気を病気でなくすという境地である。世

間のことにあてはめていうならば、弓を射る時に、弓を射るぞという心があれ

ば、弓矢の狙いが乱れて定まるまい。太刀をつかうときに、太刀をつかうぞとい

う心があれば、太刀先はきまるまい。ものを書くとき、ものを書くぞという心が

あっては筆先が定まるまい。琴をひくにしても、琴をひくぞという心があっては

曲が乱れてしまうだろう。弓を射る人は、弓を射るのだという心を忘れ去って、

何事をもしていない、ふだんの心で弓を射るならば、弓が定まるだろう。太刀を

つかうにも、馬に乗るにも、太刀をつかわぬとき、馬に乗らぬときの心で、また

物を書くにも、琴をひくにも、物を書かぬとき、琴をひかぬときのように、すべ

て何事もしないときのような、ふだんの心になって行えばすべてのことは、たや

すく、すらすらと行くものである。どの道にせよ、これでなければと一途に心に

きめているようでは真の道とはいえない。胸のうちには何事もない人こそ、ほん

とうの道を会得した人である。このような人は、胸のなかには何もなく、しか

も、どのようなことでも、やればたやすくなしとげることができるのだ。鏡はい

つも澄みわたり、何の形もないからこそ、それに向うものの姿を、何であれ、は

っきりと映すのである。道を会得した人の胸のうちには何事もなく、鏡のように

澄んだいるから、全く無心でありながら、すべての事態に対応することができ

る。これこそが「ふだんの心」である。この「ふだんの心」によってすべての事をな

しとげる人、それを名人というのだ。

 

「解説」

あぶな気のない芸、それはいかなる道においても超人的な修練の末にはじめて到

達しうる境地である。これはそれのみを求めて得られるものではない。

  放しかけても留まらぬ心を持つ

中峰和尚云、放心の心を具せよ

右之語に付て、初重後重あり、心を放かけてやれば、行さきにとどまる程に、心

をとどめぬ様に、あとへちやくちやくとかへし、かへせと教ゆるは、初重の修行

也。ひとたちつて、うつた所に心のとどまるを、わが身へもとめかへせと教る

也。後重には心を放かけて、行度様にやれと也。はなしかけて、やりてもとまら

ぬ心になして、心を放す也。放心の心を具せよ、心に放心をもて、心に綱を付け

て常に引て居ては、不自由也。放しかけてやりても、とまらぬ心を放心と云。此

放心心を具すれば、自由がはたらかるる也。綱をとらへて居ては不自由也。犬猫

もはなしがひこそよけれ、つなぎ猫、つなぎ犬は、かはれぬ物也。

 

「訳」

中峰和尚(元の高僧。普応国師)が「心を放した心をもて」と言っておられる。この

言葉を理解するのに、最初の段階と、より高い段階とがある。心を放してやる

と、心は行った先にとどまりがちであるから、そうさせぬよう、さっさと引き返

させよというのが最初の段階での修行である。太刀を一太刀うったとき、心がそ

こに留まらぬよう、自分のほうへ引き返させよと教えるのである。より高い段階

の修行においては、心を自由にとき放ち、行きたいように行かせよとしている。

心を放してやっても行った先に留まらぬようにしておいて、心を放す、これを放

心の心というのである。心に綱をつけて、いつも引いているようでは不自由であ

る。放してやっても留まらぬような放心の心を備えていれば、自由な働きができ

るのだ。綱をつかまえておくのは不自由なもの、犬も猫も放し飼いにかぎる。つ

なぎ猫、つなぎ犬では飼えるものではない。

 

「解説」

沢庵の「不動智神妙録」にこの項とほとんど同様の記述がなされている。

 

治まった心に方便は無用

儒書をよむ人、敬の字にとどまりて、是を甲状ともふて、一生を敬の字にてすま

す程に、心をつなぎ猫のようにする也。仏法にも敬の字なきにあらず、経に一心

不乱と説給ふ。是即敬の字にあたるべし。心を一事にをきて、余方へは乱さざる

也。勿論、敬白夫仏者と唱る所あり。敬礼とて仏像にむかひ、一心敬礼と云、皆

敬の字の意趣たがはず。然共是は一切に付きて心のみたるるを治る方便也。よく

治りたる心は、治むる方便を用ひざる也。口に大聖不動と唱へ、身をただしくし

て、合掌して表に不動のすがたを観ず。此時身、口、意の三業平等と云。即敬之

字の意趣に同じ、敬者即本心の徳にかなふ也。しかれども行ふ間の心なり。合掌

をはなち、仏名をとなへやみぬれば、心の仏像ものきぬ。更に又もとの散乱の心

也。始終治りたる心にあらず。心をよく一度おさめ得たる人は、身、口、意の三

業をき浄めず。塵にまじはりて、けがれず、終日うごけどもうごかず、千波万波

したがひうごけども、そこの月のうごく事なきがごとく也。是仏法の至極せる人

の境界也。法の師の示をうけて爰に記す者也。

 

「訳」

儒書を読む人は、敬の字(敬まい、慎む心)に重きを置き、是が最高の境地と考え

て、一生をその状態で過ごそうとするために、心をつながれた猫のように不自由

なものとしてしまう。仏法においても敬の字がないわけではない。お経で一心不

乱と説かれているのが、すなわち敬の字にあたるであろう。これは心を一つに集

中して、他のことに乱されぬようするものである。「敬い申すことこそ仏弟子の

姿」ということばがあり、仏像に向って一心に敬礼するということがある。これ

らはみな敬の字の趣旨にかなったことである。しかし、こうしたことは心が乱れ

ぬようにするための手段である。よく治まった心には、このような手段は必要な

いのだ。たとえば口に不動明王の御名をとなえ、形を正し、合掌をして心に不動

明王のお姿を思うならば、体、口、心は一体となり、心は乱れない。この境地を

三密平等といって、そのまま敬の字の意味するところと一致し、仏法本来の教え

にかなった状態である。しかしながら、これは礼拝を行っている間の心境に過ぎ

ない。合掌をとき、仏の御名をとなえることをやめれば、心のなかの仏の御姿も

消え失せ、またもや、もとの乱れはてた心に戻ってしまう。始終一貫して治まっ

た心境とはいえないのである。真に心を治めることのできた人は、体、口、心の

三つをことさら浄めもせず、世間の塵にまみれても汚れず、一日中動きまわって

いながら心を動かされず、水の上の月が、幾千万の波にしたがってその姿を変え

ても、月の本体は動くことがないような状態となる。これこそ仏法をきわめつく

した人の境地なのである。仏法の師(沢庵のこと)の教えを受けたところをここに

しるすものである。

 

「無刀の術」の本旨

無刀とて、必しも人の刀をとらずして、かなはぬと云儀にあらず、又刀を取り見

せて、是を名誉にせんとてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也。い

で取て見せうなどと云事を本意とするにあらず。

 

「訳」

無刀の術といっても、必ずしも相手の刀をとらねばならぬという意味のものでは

ない。また刀をとって見せて、それを手柄にしようというものでもない。自分が

刀を持っていないときに、相手に切られまいとするための無刀の術なのである。

さあ、取ってみせるぞなどという心が本来のものではない。

 

「解説」

柳生新陰の「無刀取り」はすこぶる有名だが、その内容についてはかなり誤解され

ている場合が少なくない。宗矩は兵法家伝書にとくに「無刀之巻」をおこし、その

精神と技法について論じている。身に寸鉄を帯びることなく、真剣をふりかざし

た敵と相対し、その刀を奪うという無刀の術は、いわば自らを最悪の条件のもと

に投げ入れて、なおかつ勝ちを占める極限の兵法である。それは前記の「敵は常

に攻勢と覚悟せよ」の心がまえに通じる、しかも、より徹底した境地といえよ

う。

 

切られねば、それが勝利

とられじとするを是非とらんとするにはあらず。とられじとするをば、とらぬも

無刀也。とられじ、とられじとする人は、きらふ事をばわすれて、とられまひと

ばかりする程に、人をきる事はなるまじき也。われはきられぬを勝ちとする也。

人の刀をとるを芸とする道理にてはなし。われ刀なき時に、人にきられまじき用

の習也。無刀と云は人の刀をとる芸にはあらず。諸道具を自由につかはむが為

也。刀なくして人の刀をとりてさへ、わが刀とするならば、何かわが手に持て用

にたたざらん。扇を持て也共、人の刀に勝べし。無刀は此心懸なり。刀もたずし

て、竹杖つひて行時、人、寸の長き刀をひんぬいてかかる時、竹杖にて、あしら

ひても、人の刀を取もし、又必とらず共、おさへて、きられぬが勝也。此心持を

本意とおもふべし。

 

「訳」

相手がとられまいとしている刀を、ぜがひでもとろうというのではない。とられ

まいとしている刀を、とらないのもまた無刀の術である。というのは、とられま

い、とられまいと思っている相手は、切ろうとすることを忘れて、刀をとられま

いとばかりに思うから、人をきることはできないからである。こちらとしては切

られなければ、それが勝利なのである。人の刀をとることが目的なのではない。

こちらに刀のないときに、人に切られぬための鍛錬なのである。無刀の術という

のは、相手の刀をとるためのものではない。さまざまな道具を自由に使いこなす

ためのものである。刀を持っておらぬときに相手の刀をとって、自分の刀とする

ことができるほどならば、何を手にしても役に立たぬということはあるまい。た

とえば扇を手にしても、刀を持った相手に勝つことができるだろう。これが無刀

の術の本旨である。刀を持たず、竹の杖をついて行くときに、長身の刀を引きぬ

いて切りかかれても、竹杖であしらい、相手の刀を奪いとり、または必ずしも奪

いとらずとも相手を制圧して、切られなければ、それが勝利である。これが無刀

の術の本来の意味であることを心得よ。

 

無刀の核心は「間合い」

無刀はとる用にてもなし、人をきらんにてもなし。敵から是非きらんとせば、取

べき也。取事をはじめより本意とはせざる也。よくつもりを心得んが為也。敵と

わが身の間何程あれば、太刀があたらぬと云事をつもりしる也。あたらぬつもり

をよくしれば、敵の打太刀におそれず、身にあたる時は、あたる分別のはたらき

あり。無刀とは、刀のわが身にあたらざる程にては、とる事ならぬ也。太刀のわ

が身にあたる座にて取也。きられてとるべし。

 

「訳」

無刀の術の目的は、相手の刀を奪うことでもなければ、相手を切ることでもな

い。敵がどうしても切ろうとするときには奪いとればよいのであって、最初から

奪いとることを目的とはしないのである。無刀の術の本来の目的は、間合いをと

ることの修練である。敵と自分との間合いがどのくらいあれば、太刀があたらな

いかということを判断するのである。あたらぬ間合いがわかっていれば、敵がう

ってくる太刀を恐れることはないし、あたるとわかっていれば、それに応じた対

策がたてられる。無刀の術は、刀がわが身にあたるほどでなければ使うことはで

きない。刀が自分にあたる位置で奪いとる、つまり切られて取るのである。

 

敵の太刀の柄の下をくぐれ

無刀は人には刀をもたせ、我は手を道具にして仕相するつもり也。我は刀はなが

く、手はみじかし。敵の身ちかくよりて、きらるる程にあらずば成間敷也。敵の

太刀と我手としあふ分別すべきにや。さあれば、敵の刀は、わが身より外へゆき

こして、われは敵の太刀の柄の下になりて、ひらきて太刀をおさふべき心あてな

るべきにや。時にあたつて一様にかたまるべからず。いずれにても身によりそは

ずば、とられまじき也。

 

「訳」

無刀の術とは、相手には刀を持たせ、自分は素手を武器として勝負する心得であ

る。刀は長く、手は短いのであるから、敵の体によりそって、切られるほどにな

らねば、この術を使うことはできない。だが、敵の太刀と、自分の素手とで戦う

ことができるだろうか ?とするならば、敵の刀が自分の体をとおりこし、こちら

は敵の太刀の柄の下になって、敵の太刀をとらえるという考え方がでてくるので

はないだろうか。もちろん、時と場合によって一概にはいえないが、敵の刀を奪

おうとするからには、敵の体に寄りそわぬかぎり、奪えるものではない。

 

「解説」

理屈からいえば無刀の術の原理は簡単なことである。刀の柄で人を切ることはで

きないのだから、一瞬のうちに敵の手もとにとびこみ、死角のなかにはいってそ

の刀を奪いとるというものである。まさに「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だ

が、単なる玉砕戦法ではない。前項で力説されているとおり「間合い」に対する的

確な判断をはじめとする、並々ならぬ心と技の修練が要求されよう。

「機」内にあり「用」外に働く

大機大用。用を用とよむべし。物・躰・用の時、用とよむべし。物ごとに躰・用

と云あり。躰があれば用がある物也。たとへば射弓は躰也。ひくぞ、いるぞ、あ

たるぞと云は弓の用也。灯火は躰也。ひかりは用也。水は躰也。うるほひは水の

用也。梅は躰也。香ぞ色ぞと云は用也。刀は躰也。きりつくは用也。然者機は躰

也。機からそとへあらはれて様々のはたらきあるを用と云也。梅の躰ある故に、

躰より花さき色香あらはれ、匂ひをはつするごとくに、機うちに有て、用外には

たらき、つきかき、表裏、懸待、様々の色をしかけなどする事、内にかまへたる

木るによりて、外へはたらきが出る。是を用と申也。大とはほむる言葉也。大機

なる故に、大用があらはるる也。禅僧の自由自在に身をはたらかし、何事をいふ

も、何事をするも、皆道理にかなふて、理に通ずる。是を大神通と云、大機大用

と云也。

 

「訳」

「大機大用」ということがある。用は「ゆう」と読む。物、躰、用(事物、実体、作

)という場合には「ゆう」と読むのである。すべての事物には躰と用とがある。

たとえば弓は躰(実体)であり、引く、射る、あたるといったことは弓の用(作用)

ある。燈は躰で光は用、水は躰で湿りは用、梅は躰で、その香りや色は用であ

る。刀は躰、切りつけるのは用だ。とするならば、機(ここでは意思、判断といっ

た意味)は躰であり、これが外に出ていろいろな働きをするのを用というのであ

る。梅という躰があるがゆえに、躰から花が咲き、色香があらわれ、匂いを発す

る。そのように、機が内にあるから、用が外にあらわれて切る、つく、計略をし

かける、懸躰を使いわける、などさまざまな手段をつくすのである。このように

内に機があるために、外に働きが出るのを用というのである。大とはほめる言葉

である。機が大きいからこそ、大きな用が発揮されるのだ。修行をつんだ禅僧

は、すべてに自由な境地となり、何を言っても、何をしても、すべてが道理にか

なっているが、このような状態を大神通といい、また大機大用というのである。

 

「解説」

神通神変などといっても、別段、空から鬼神が舞い降りてきて奇蹟をあらわすな

どということではない。何事をするにも自由自在の働きをすることをいうのであ

る。さまざまな太刀のかまえ方、計略、偽り、いろいろな武器の扱い、跳びあが

り、跳びさがり、相手の刀をわが手にとり、あるいは蹴おとすなど、稽古の型に

とらわれぬ自由自在の働きができることを大用というのである。ふだんから心の

うちに機を備えていないかぎり、大用はあらわれるものではない。たとえば、座

敷に座るときには、まず上を見、左右を見て、上から突然なにかが落ちてきはし

ないかと警戒し、戸や障子の近くに座るときには、倒れかかりはしないかと注意

をはらう。また高貴の人のおそば近くに身をおくときには、突然に不慮の事態が

起こりはしないかと心にかける。門や戸口を出入りするときにも警戒心を失わな

い。このようにふだんから油断なく注意するのが機であり、これが心のうちにあ

ればこそ、不慮の場合に、みごとな、とっさの働きができるのだ。これを大用と

いうのである。しかし、このような機が、いまだ完成しないうちには、用をあら

わすことはできない。万事について心の修行が積み重なってくると、機が完成し

て、大用があらわれるのだ。機が固定し、定着していては、用はあらわれない。

機が完成すれば、それは全身に行きわたり、手も足も目も耳も、すべての場所に

おいて大用がはっきされるのである。このように大機大用を身につけた人に対し

ては、訓練の成果だけにたよる武芸者は、手をあげることさえできないものであ

る。たとえば「見詰め」といって、大機の人の目で一目にらまれたならば、その

眼ざしに心を奪われて、太刀をぬく手も忘れてしまうであろう。たとえそれが一

瞬の間のことであっても、それだけ遅れれば、もはや敗北を喫するにちがいな

い。ちょうど猫がにらむとネズミが柱から落ちるようなもので、ネズミが猫の眼

ざしに気をとられ、足をふむのを忘れて落ちてしまうように、大機の人にあった

者は、鼠が猫にあったような状態にされてしまうのである。

 

「解説」

どんなにすぐれた技術を身につけていようとも、それだけで千変万化する状況に

対応することはできない。「機が全身にのびのびひろがる」という言い方は象徴的

だが、技術、精神、肉体が一つに解け合って、無意識のうちにもその総力を最大

限に発揮しうる状態をいうのであろう。

 

約束にとらわれぬ自在の働き

禅句に「大用現前軌則を存せず」と云。現前とは大機の人の大用が前にあらはる

ると云儀也。此大儀大用の人は、そつとも習、法符にかかはらぬを「軌則を存せ

ず」と云也。軌則とは、習、法符、法度の事也。よろづの道に、習、法符、法度

と云事有也。至極の人ははらりとそれをはなるる也。自由自在をする也。法の外

に自在をする、是を大機大用の人と云也。機と云は、内に油断なく、物事をおも

ひまふけて居を云也。しかれば、其おもひつめたる機が、いかたまり、凝かたま

りて、かへつて機にからめられて不自由なり。いまだ機が熟せぬ故也。功をつめ

ば機が熟して、わが躰にとけひろごりて、自由をはたらく、是を大用と云也。

 

「訳」

禅のことばに「大用現前軌則を存せず」ということがある。「現前」というのは大

機を備えた人の大用が発揮されることをいったものである。この大機大用の人

は、少しも訓練や約束ごとにこだわらない。これを「軌則を存せず」という。軌

則とは、訓練、約束、規則のことである。すべての道には訓練、約束ごと、規則

といったことがあるが、その極致をきわめた人は、それらをさらりと捨て去り、

自由自在の働きをするものなのである。規則を離れて自由自在の働きをするのを

大機大用の人というのだ。機というのは、心のうちで油断なく何事かを準備して

いることをいう。そこで、心のうちの機が定着し、固定してしまっては、かえっ

て心が機に束縛されて不自由になる。これはまだ機が完成されていないからだ。

十分な修行をつめば、機が完成し、全身に伸び、ひろがって自由な働きをするよ

うになる。これを大用と呼ぶのである。

 

心のうちを知らせぬ修行

摩拏羅尊者の偈に云く「心は万鏡に隋て転ず。転ずる処実に能く幽なり」右の偈

は参学に秘する事也。兵法に此意簡容なる故に、引合て爰にこれを記す。参学せ

ざる人は、とくに心得がたたかるべし。万鏡とは、兵法ならば、敵の数々のはた

らき也。其の一つ一つのはたらきに、心がてんずる也。たとへば敵が太刀をふり

あぐれば、其太刀に心がてんじ、右へまはせば右へ心がてんじ、左へまはせば左

へてんずる。是を「万鏡に隋ひて転ず」と云也。「転ずる処実に能く幽也」と云

所が兵法の眼也。其所に、心があとを残さずして、はこび行舟の、あとのしら波

と云ごとく。あとはきへて、さきへ転じ、そつともとまらぬ処を「転ずる処実に

能く幽なり」と心得べし。幽なりとは、かすかにて、見へぬ事也。心をそこにと

どめぬと云儀也。たとへば、しらぎぬのごとく也。紅をうつしとむれば紅にな

り、紫をうつせばむらさきの色に成也。人の心も物にうつれば、あらはれ見ゆる

也。ちご若衆に心をうつせば、ゆがて人が見しる也。おもひうちにあれば色外に

あらはるる也。

 

「訳」

摩拏羅尊者の経文の句に「心はさまざまの環境に対応して変化する。その変化は

実に知り難いものである」といわれている。この句は禅の修行において、すこぶ

る重視されるものであるが、兵法の道において、この心得は特に大切なものであ

るから、引用して記しておく。禅の修業をせぬものには十分理解できないかも知

れない。さまざまの環境というのは、兵法でいえば敵のさまざまな働きに当た

る。その一つ一つの働きに対応して、こちらの心が変化するのである。たとえば

敵が太刀をふりあげれば、その太刀に心が行き、右にまわせば右に行き、左にま

わせば左へ行く。これを「さまざまの環境に対応して変化する」というのであ

る。次の「その変化は実に知り難いものである」という点が、兵法の眼目である。

心がそこに止まることなく、過ぎ去って行く舟のあとの白波のように、あとかた

もなく消え失せてしまうのを「その変化は実に知り難い」というのである。「幽」

というのは、かすかで見ることができない、つまり心がそこに止まっていないと

いう意味である。もし、一ヶ所に心が止まっていれば兵法に負けるであろう。変

化した心が、そのままに固定していては、さんざんな結果となろう。心には色も

形もないから、目には見えぬわけであるが、心が固定し、止まっていれば、その

まま外から見ることができるのである。ちょうど白い絹に、紅を染めれば紅色と

なり、紫を染めれば紫色になるようなもので、人の心も物に染まることによって

見えるようになるのだ。美少年に心を奪われれば、やがては人にそれを知られる

であろう。「思い、うちにあれば、色、外にあらわる」というのはこのことであ

る。

「解説」

固定した心はただちに敵に見破られ、その裏をかかれるが、ものごとに囚われず

自由自在に働く心は、これを外部から判断することができないというのである。

剣禅一致の心境

兵法の仏法にかなひ、禅に通ずる事多。中に殊更着をきらひ、物ごとにとどまる

事をきらふ。尤是親切の所也。とどまぬ所を簡要とする也。江口の遊女の西行法

師の歌にこたへし歌。

家を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ

兵法に此歌の下の句を、ふかく吟味して、しからんか。如何様の秘伝を得て、手

をつかふとも、其手に心がとどまらば兵法は負べし。敵のはたらきにも、我手前

にも、きつても、つひても、其所々にとどまぬ心の稽古専用也。

 

「訳」

兵法には仏法と一致し、禅と共通することが多い。とくに、執着することを嫌

い、物ごとにとどまることを嫌う点が共通しているが、これこそ兵法、仏法、と

もに最も重んじるところである。江口の遊女が西行法師に答えたという歌  家

を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ

━ご出家であるあなた様には、この世も、この家も、ひとしく仮の宿でございま

しょう。どうぞ心をお止めくださいますなと思っただけでございます━

この歌の下の句は、兵法を学ぶものとして深く考えるべきものではなかろうか。

どのような秘伝を身につけて、これを使おうとも、その技術に心が固定するなら

ば、勝負に負けてしまうであろう。敵の働きにも、自分の働きにも、切ろうと突

こうと、そこに心を止めぬ修行こそが肝心なのである。

()「新古今集」「山家集」「撰集抄」などに収められ、謡曲「江口」の主題と

なった西行法師と江口の宿の遊女の歌の応答。一夜の宿を求めて得られなかった

西行が「世の中を厭うまでこそ難からめ仮の宿りを惜しむ君かな(世を厭って出家

することはむずかしいでしょうが、出家に一夜の宿を借すことさえ惜しむと

は・・・)」と詠じたのに対し、遊女がこう答えたのである。

 

常の心、よろづによし

一切の道理を見おはりて、皆胸にとどめず、はらりはらりとすてて、胸を空虚に

なして、平生の、何となき心にて、所作をなす。この位にいたらずば、兵法の名

人とは云ひ難き也。兵法は我家の事なれば、さして兵法と申也。兵法一つに限る

可からず。よろづの道、此の如く也。兵法つかふに、兵法の心のかずば病気也。

弓射に弓射る心がのかずば、弓の病也。只常の心に成て太刀をつかひ、弓を射

ば、弓に難なく、太刀自由なるべし。何事もおどろかず、常に心よろづによし。

平生の心をうしなひて、何にてもその事をいはんとおもはば、声ふるふべし。常

の心うしなひて、人前にて物を書ならば、手ふるふべし。常の心と云は、胸に何

事をも残さず置かず、あとをはらりはらりとすてて、胸が空虚になれば、常の心

なり。需書をよむ人、此虚心の道理を心得ずして、ひとへに敬字の儀に落る也。

敬の字の心は、至極向上にはあらず。階の一、二段にある修行也とぞ。

 

「訳」

すべての道理を理解しつくして、すべてを心に止めず、さらりと捨てきって胸の

うちをうつろとし、ふだんの、何事もないときの心境のもとで動作をする━。こ

の境地に至らなければ兵法の名人ということはできない。兵法は自分の家の道で

あるから兵法といったのだが、これは決して兵法に限ったことではなく、すべて

の道に共通することである。兵法使うものが、兵法を使う心にとらわれていれ

ば、それは兵法の病気である。弓を射る者が、弓を射る心にとらわれていれば、

これは弓の病気である。ただ、ふだんの心となって太刀を使い、弓を射るなら

ば、弓も、太刀も、自由自在に使うことができよう。ふだんの心こそは万事につ

けて最上のものである。ふだんの心を失って、何かいおうとすれば、声がふるえ

るであろう。ふだんの心を失って人前で字を書けば手がふるえるであろう。こ

の、ふだんの心というのは、胸のなかに何事も残さず、さらりと捨てきって、胸

のうちをうつろにすれば、それがすなわち、ふだんの心なのである。儒教を学ぶ

人は、とかく虚心の道理を理解することができず、「敬」の字、一筋にとらわれ

がちである。「敬」の字の心は、最高の境地とはいいがたい。階段の一、二段目

にあたる程度の修行ということである。  

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二天一流 宮本武蔵

武蔵の歩んだ道

二天宮本武蔵玄信の生涯については、わからぬことだらけである。最も信用でき

るのは武蔵自身の筆になる「五輪書」の序文であるが、それによれば武蔵は天正十

二年(1584)、播磨に生まれ、十三歳のとき新当流の有馬喜兵衛という武芸者に勝

ち、十六歳のとき但馬の秋山某という「強力の兵法者」に勝った。二十一歳で京

都に上り、天下の兵法者と勝負したが一度も勝ちを失わなかった。のち諸国を遍

歴して六十数度の試合をしてことごとく勝利している。これが十三歳から三十

八、九歳までのことである。その後、さらに深い道理を求めて鍛錬を重ねた結

果、五十歳のころになってようやく兵法の真の道を体得できた。その後は兵法の

道理を適応して諸道諸芸を嗜みつつ年を送ってきたものである。云々。ここには

有名な京都の吉岡一門との三度にわたる決闘も、佐々木小次郎との巌流島の勝負

も触れられていない。これらの事蹟は武蔵の死後、約百年ほど経てから著された

「二天記」をはじめ、「丹波峰均筆記」「洽聞録」「撃剣叢談」などに詳述され

ているが、事実無根とはいえないにしても、多分に潤色や誇張が施されているの

ではないかと思われる。生涯の大半を兵法修行の漂泊の旅に過ごしていた武蔵

が,比較的落ちついて後進の養成に当たっていたのは,三十代後半から四十代の

はじめにかけて明石の小笠原藩の客分となっていた時期と,五十九歳から六十二歳

で没するまでの肥後細川家の客分となっていた時期とである。明石時代の武蔵は

自流を円明流と名づけ、後年は二天一流または二刀一流を名乗っている。武蔵

は、その死に先立つ二年前、熊本郊外の岩戸山霊巌洞にこもって「五輪書」を書き

上げた。武蔵はひとり兵法において不出世の天才であったばかりでなく、書画、

連歌、彫刻、茶道などにも熟達していただけに、この「五輪書」もきわめて独創的

な理論を、格調高い表現で展開した大文章である。数ある武芸秘伝書のなかで

も、一頭地を抜くものといえよう。

 

五輪書の特色

「五輪書」に現れた武蔵の思想には、他の兵法者たちとは著しく異なった二つの

特色がある。その第一は、武蔵は他の流祖たちのように、超自然的な神仏の加護

を説いて自流を権威づけたり、禅の理論を兵法に借用したりせず、あくまで自ら

が「命をばかりの打ちあいにおいて(火の巻・序論)」体得した勝負の法則を理論

化し、まとめあげていることである。この態度は武蔵がその自戒のことばとして

書き残した「独行道」の「仏神は尊し、仏神をたのまず」や、「五輪書」の序文の

「今、この書を作るといえども、仏法儒道の古語をもからず、軍記軍法の古きこ

とをももちいず、この一流の実の心を顕す云々」とのことばにも一貫している。

三百数十年も前に書かれた「五輪書」が,今なお新鮮な魅力を持って現代人に訴え

かけてくるのは,このような武蔵の若々しい独立自尊の精神によるところが大きい

と思う。第二は、武蔵がその剣術を通じて体得した勝負の原理は、単に一対一の

個人の闘争(一分の兵法)に役立つだけでなく、集団同士の戦闘(大分の兵法)、さら

には一国の政治(国の治様)にまで適応できると自負していることである。「一人

で十人に勝つ道理を得るならば十人で百人に、百人で千人に勝つことも可能だ」

というのが武蔵の論法である。この点に確信を持っていた武蔵は、一介の武芸者

の地位にはとうてい甘んずることができなかった。かれほどの技倆と名声があれ

ば、将軍家なり、相当な大藩なりに、しかるべき待遇を受けて抱えられることは

容易だったはずである。それをしなかったのは、武蔵が自らの理論を実証するた

めに、たとえば柳生宗矩に匹敵するような地位を望んでいたためだと言われてい

る。そして武蔵は、ついに生涯、「大分の兵法」や「国の治様」にその才幹をふるう

機会には恵まれずに終わったのである。

各巻のあらまし

「五輪書」は、序言(執筆の趣旨)、地の巻(兵法の総論)、水の巻(わが流の太刀筋)

火の巻(勝負の法則)、風の巻(他流批判を通じてのわが流の主張)、空の巻(結び、兵

法の究極の精神)の六つの部分に分かれている。五輪とは、仏教のことばで世界を

構成する四つの要素、すなわち、地、水、火、風に、無を意味する空を加えて五

つとしたものであるが、本書の内容には仏教の影響はきわめて少なく、その命名

も教義とは無関係である。まず武蔵は、地の巻で武士の心得について、「命を捨

てるだけならば女でも百姓でもできることだ。武士の武士たるゆえんは兵法に勝

利を占めて、主君に尽くし、名を挙げ、身を立てることにある」とズバリ言い切

る。

そして二刀つかう理由は、「片手で自由に太刀をふるう修練のため」であり、自ら

の力の可能性を最大限に生かす手段であると論じている。水の巻では、「かまえ

ありてかまえなし」の教えが圧巻である。上段、中断、下段、左右などの構え

は、すべて人を切る縁であり、形に囚われることなく、状況に応じて自由自在に

変化することこそ肝要だというのである。水の巻の後半と火の巻きでは、超人的

な修練によってのみ揮うことが可能となる。すさまじい技法の数々や、心理作戦

の実際が展開される。風の巻では、売りものに堕落した他の諸流が小気味よく撫

で斬りにされている。最後の空の巻きは、簡潔な文章ながら含蓄が深い。武蔵は

説く。「空は無である。無を知るためには有を知り尽さねばならない。無知は空

ではなくて迷いに過ぎない。兵法の道を徹底してきわめ、現実を深く洞察する眼

を養い、人として可能な限りのことをしつくしたところに、迷いの雲の晴れた真

の空があるのである」と。

 

兵法の効用は敵に勝つこと(「地の巻」序論)

大形武士の思ふ心をはかるに、武士は只死ぬると云道を嗜と覚ゆるほどの儀也。

死する道におゐては、武士計にかぎらず、出家にても、女にても、百姓巳下に至

る迄、義理をしり恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。武

士の兵法をおこなふ道は、何事におゐても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身の

切合にかち、或は数人の戦に勝、主君のため、我身のため、名をあげ身をたてん

と思ふ、是兵法の徳をもつてなり。又世の中に、兵法の道をならひても、実のと

きの役にはたつまじきとおもふ心あるべし。其儀におゐては、何時にても役にた

つゆうに稽古し、万事に至り役にたつやうにおしゆる事、是兵法の実の道也。

 

「訳」

ふつう、武士の信念といえば、ひたすら死を覚悟する事と思われているようだ。

しかし、死を覚悟するというだけならば、なにも武士にかぎったことではない。

僧であれ、女性であれ、あるいは百姓以下に至るまで、義理を知り、恥を思っ

て、死を決意するという点では、何の差別もないものである。武士の特色は兵法

の心得があるということなのだ。この兵法の実践に当たっては、何事につけても

相手にうち勝つことを基本として、あるときは一対一の切合いに勝ち、あるとき

は数人の戦いに勝ち、主君のために、また自身のために、名誉をとどろかし、身

をたてようとするものである。是は兵法の効用によってはじめて可能となること

だ。また、世間には、たとえ兵法の道を習得しても、実際の役に立つものではな

いとの考えもあるだろう。それについていうならば、どんな場合にも役に立つよ

うに稽古をし、あらゆる可能性を考えて教育をすることが、真の兵法の道なので

ある。

 

「解説」

戦国乱世の兵法は、精神修養の手段でもなければスポーツでもない。実際の戦闘

において自らを守り、敵を倒す技術である。武蔵の兵法論はこの立場で一貫され

ている。だが徳川の治世が固まるにつれて、このような意味での兵法の存在価値

は次第にうすれ、武芸者は試合の場におけるタレントに変質してゆく。ちょうど

その過渡期に居合わせた武蔵は、所詮、悲劇の人たらざるを得なかったのであ

る。

 

兵法を堕落させるもの(兵法の道と云事)

世の中をみるに、諸芸をうり物にしたて、我身をうり物のやうに思ひ、諸道具に

つけてもうり物にこしらゆる心、花実の二ツにして、花よりもみのすくなき所な

り。とりわき此兵法の道に、色をかざり、花をさかせて、術とてらひ、或は一道

場或は二道場など云て、此道をおしへ、此道を習ひて利を得んとおもふ心、誰か

云、なまへいほう大疵のもと、まこと成べし。

「訳」

世間の傾向を見ると、さまざまな技術を売り物にしたてあげ、自分自身をも売り

物のように考え、いろいろな道具にしても売り物として作り上げる風潮がある。

実よりも花━見せかけばかりにこだわって内容は空疎なのだ。とくに、兵法の道

にあって、いたずらに色をかざり、花を咲かせて、術をひけらかし、あるいは第

一道場、第二道場などと名づけて、兵法を教え、またこれを学んで利益を得よう

とするものが多い。俗に言う「生兵法は大怪我のもと」とは本当のことだ。

「二刀」の修行の目的は何か(此一流二刀と名付る事)

一流の道、初心のものにおゐて、太刀刀両手に持て道を仕習ふ事、実の所也。一

命を捨る時は、道具を残さず役にたてたきもの也。道具を役にたてず、こしに納

めて死する事、本意に有べからず。然れども、両手に物を持事、左右共に自由に

は叶がたし。太刀を片手にてとりならはせんため也。鑓長刀大道具は是非に及

ず、刀わ指におゐては、いづれも片手にて持道具也。太刀を両手にて持てあしき

事、馬上にてあし、かけ走時あし。沼、ふけ、石原、さかしき道、人ごみにあ

し、左に弓鑓を持、其外いづれの道具を持ても、みな片手にて太刀をつかふもの

なれば、両手にて太刀をかまゆる事、実の道にあらず。若片手にて打ころしがた

き時は両手にても打とむべし。手間の入事にてもあるべからず。先片手にて太刀

をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚る道也。人毎に初てと

る時は、太刀おもくて振廻しがたき物なれども、万初てとり付時は、弓もひきが

たし。長刀も振がたし、いづれも其道具々々になれては弓も力つよくなり、太刀

もふりつけぬれば、道の力を得て振よくなる也。

 

「訳」

二天一流においては、初心のときから太刀と脇差を両手に持って兵法の修練をす

るのが本筋である。およそ命を的にたたかうからには、持っている道具はすべて

役に立てたいものだ。刀を腰にさして役に立てぬままで死んでしまうのは残念な

ことではないか。しかしながら、両手に物を持って、左右ともに自由に使うのは

困難なことであるから、片手で太刀を使う訓練をさせるのである。槍、長刀のよ

うな大きな武器はやむをえないとしても、太刀、脇差はいずれも片手で持つこと

のできる道具である。太刀を両手で持っては具合の悪い場合としては、たとえば

馬に乗っているとき、駆け走るとき、沼地、湿地、石原、けわしい道、人ごみな

どがあげられる。また左に弓、槍その他の道具を持っている場合には片手で太刀

を使わねばならない。したがって両手で太刀をかまえるのは、本来のあり方では

ないのである。もし片手では打ち殺せないようなときには、両手を使って仕とめ

ればよい。これはなにも手間のかかることではあるまい。二刀を持たせるのは、

太刀を片手に持って振ることを習得させるための手段である。誰しも最初は太刀

を片手に持てば、重くて振りまわすのに苦労するが、何事によらず、最初のうち

は弓を引くのも、長刀を振るうのも、困難なものなのだ。どんな道具にしても、

それに慣れてしまえば弓を引くにも力強くなり、太刀を振るうにもその道理が身

について、振りやすくなるのである。

 

「解説」

左右の刀を頭上で十文字に交叉させ、敵の太刀をガッキと受け止めるというのが

講談でおなじみの二刀流の型だが、二刀を使うことの真意は、そのように単純な

ものではない。実戦の利に徹した武蔵は、勝つために持っている手段のすべてを

余さず使わねばならぬとして、二刀使いを自流の基本としたのである。二刀を自

由に使うことの効用は本文に詳しいが、その実際例としては、後出の「一人で多

人数に勝つ心得」の項を参照されたい。

 

拍子を心得て勝利をつかむ(兵法の拍子の事)

物毎に付、拍子は有物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及がたき所

也。世の中の拍子あらはれてある事、乱舞の道、れい人管絃の拍子など、是皆よ

くあふ所のろくなる拍子也。武芸の道にわたって、弓を射、鉄砲を放、馬にのる

事迄も、拍子調子はあり、諸芸諸能に至ても、拍子をそむく事は有べからず。又

空なる事におゐても拍子はあり。武士の身の上にして、奉公に身をしあぐる拍

子、しさぐる拍子、筈のあふ拍子、筈のちがふ拍子あり。或は商の道、分限にな

る拍子、分限にてもそのたゆる拍子、道々につけて拍子の相違有事也。物毎のさ

かゆる拍子、おとろふる拍子、能々分別すべし。兵法の拍子におゐて様々有事

也。先あふ拍子をしつて、ちがふ拍子をわきまへ、大小遅速の拍子の中にも、あ

たる拍子をしり、間の拍子をしり、そむく拍子をしる事、兵法の専也。此そむく

拍子わきまへ得ずしては、兵法たしかならざる事也。兵法の戦に、其敵々々の拍

子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空の拍子を知恵の拍子より発して

勝所也。

 

「訳」

拍子(リズム、テンポ)ということは何につけてもあるものであるが、とりわけ兵

法の拍子を体得することは鍛錬なしにできるものではない。世間のことで拍子が

よくわかるものには、舞の道、管絃の道などがあるが、これらは皆、よく協和し

た、すなおな拍子である。武芸の道においても、弓を射るにも、鉄砲をうつに

も、馬に乗るにも、拍子、調子はあるものだ。その他、さまざまな芸術や技術に

ついても、拍子をとりはずすことがあってはならない。また抽象的なことにおい

ても、拍子がある。武士の一生にあっても、奉公して立身する拍子、零落する拍

子、見込み通りになる拍子、裏目になる拍子などがある。商人にあっても、財産

化になる拍子、財産があってもそれを失う拍子など。すべての道ごとに違った拍

子があるものである。何事につけても、栄える拍子と衰える拍子とを、よくよく

見分ける必要がある。兵法の拍子については、いろいろな場合がある。まず、よ

く合う拍子を知り、その上で合わぬ拍子をわきまえ、大小遅速の拍子のなかで

も、適合した拍子、間合い、逆の拍子を知ることが、兵法において最も大切であ

る。特に、逆の拍子を知ることができなくては、兵法を確実なものとすることは

できない。いざ戦闘となれば、敵の拍子を心得て、こちらは敵の思いもよらぬ拍

子をもって当たり、兵法の智力により無形の拍子を発揮して勝利を占めるのであ

る。

 

「解説」

協和する拍子を心得た上で,それに反する拍子を身につけ,敵の拍子を狂わせて勝つ

というのは,柳生陰陰流の「大拍子,小拍子」と同様の発想である。

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修行者の原則九か条(「地の巻」結語)

我兵法を学ばんと思ふ人は、道をおこなふ法あり。

第一によこしまになき事をおもふ所。

第二に道の鍛錬するところ。

第三に諸芸にさはる所。

第四に諸職の道を知事。

第五に物毎の損得をわきまゆる事。

第六に諸事目利を仕覚る事。

第七に目に見えぬをさとつてしる事。

第八にわづかな事にも気を付る事。

第九に役にたたぬ事をせざること。

 

「訳」

わが兵法を学ぼうとする人は、それについての基準がある。

第一に、邪心を持たぬこと。

第二に、実線により鍛錬を積むこと。

第三に、剣術だけでなく、さまざまな技術にふれること。

第四に、おのれの職能だけでなく、広く多くの職能を知ること。

第五に、利害、損得を知る合理性を身につけること。

第六に、すべてのことについての判断力を養うこと。

第七に、現象面に表れぬものものごとの本質を認識すること。

第八に、些細な現象についても注意を怠らないこと。

第九に、役に立たぬことはせぬこと(時間とエネルギーの効率を考える)

 

心は体につれず、体は心につれず(兵法心持の事)

兵法の道におゐて、心の持やうは、常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時に

も、少しもかはらずして、心を広く直ぐにして、きつくひつぱらず、少もたるま

ず、心のかたよらぬやうに、心をまん中におきて、心を静にゆるがせて、其ゆる

ぎのせつなも、ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。静なる時も心は静なら

ず、何とはやき時も心は少もはやからず、心は体につれず、体は心につれず、心

に用心して、身には用心をせず、心のたらぬ事なくして、心を少もあまらせず、

うへの心はよはくとも、そこの心をつよく、心を人に見わけられざるやうにし

て、小身なるものは、心に大きなることを残らずしり、大身なるものは、心にち

いさき事を能しりて、大身も小身も、心を直ぐにして、我身のひいきをせざるや

うに心をもつ事肝要也。

 

「訳」

兵法の道における心の持ちようは、たとえ戦闘のときといえども、平生のときと

変わってはならない。平生にも、戦闘のときにも少しも変わることなく、心を広

やかに、まっすぐに保ち、むやみと緊張することなく、またゆるむことなく、偏

った心を持たず、精神を公正にして、心を静かにゆるがせ、それが瞬時もゆるぎ

やまぬように、よくよく気をつけることである。体が静かなときにも心は静止せ

ず、体が激動しているときにも心は平静に、心を体に引きずられず、心は慎重で

あって体は大胆に働かせる。心はしっかり充実させ、雑念を残さず去るのであ

る。些細なことには囚われず、根本の精神をしっかりと持って、その本心を人に

見すかされぬようにする。体の小さいもの(小人数のもの)は、心のなかでは体の

大きいもの(多人数のもの)の状態をよく知り、体の大きいもの(多人数のもの)は体

の小さなもの(少人数のもの)の状況をよく知って、大身のものも、小身のもの

も、心をまっすぐにして、自分の主観から間違った判断をしないように努力する

ことが大切である。

 

「解説」

とかくカラ念仏に堕しやすい「心の持ち方」というテーマについて、勝負の実際に

あてはめ、説得力を持って語っている。その内容は柳生新陰流や一刀流の心術と

共通する面もあるが、心を絶え間なくゆるがせて、つねに攻勢に出る機会をうか

がおうとする点に際立った特色がある。

 

兵法者の目つきとは(兵法の目付と云事)

目の付やうは、大キに広く付る目也。観見二ツの事、観の目つよく、見の目よは

く、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事兵法の専也。敵の太刀をしり、聊敵

の太刀を見ずと云事、兵法の大事也。工夫有べし。此目付、ちいさき兵法にも、

大キなる兵法にも、同じ事也。目の玉うごかずして、両わきを見る事肝要也。か

やうの事、いそがしき時俄にはわきまへがたし。此書付を覚へ、常住此目付にな

りて、何事にも目付のかわらざる所、能々吟味あるべきもの也。

 

「訳」

兵法における目のくばりようは、大きく広く配るのである。ものを見るには、観

を第一として、見は二の次とせよ。離れたところの状況を具体的につかみ、身近

なところの現象の本質をつかむことは兵法の大切な心得である。敵の太刀の本質

をよく知り、その動きに少しも惑わされぬということも兵法の大事である。よ

く、くふうするように。このような目のくばり方は、一対一の勝負においても、

多人数の戦闘においても同様である。また、目の玉を動かすことなしに両わきを

見るというのも大切なことである。こうしたことは忙しいときに、急に身につけ

ることはできない。この書物を理解して、たえずこのような目つきとなって、ど

んな場合にも目つきが変わることがなくなるよう、よく研究すべきことである。

 

「解説」

現象に惑わされず、本質を把握するための心得として読めば、まことに今日的で

ある。「遠きところを近く、近きところを遠く見る」ことは、身近な問題となる

と表面の現象にとらわれてその本質を忘れ、自分に縁遠い問題については具体的

な知識を得ようとせず、おおざっぱな既成観念で割りきってしまう傾向への警告

と受け取れる。また「目の玉動かさず両わきを見る」とは、主要な問題を正面に見

すえながら、両わきにある副次的な問題(それはいつ主要な問題に転化するかわか

らない)にも注意を怠らない心がけに通じよう。

 

たちの持ち方の心得(太刀の持やうの事)

太刀のとりやうは、大指ひとさしを浮る心にもち、たけ高指しめずゆるまず、く

すしゆび小指をしむる心にして持也。手の内にはくつろぎのあること悪し。敵を

きるものなりとおもひて太刀をとるべし。敵をきる時も手のうちにかわりなく、

手のすくまざるやうに持べし。もし敵の太刀をはる事、うくる事、おさゆる事あ

りとも、大ゆびひとさしゆびばかりを、少替る心にして、とにも角にもきるとお

もひて、太刀をとるべし。ためしものなどきる時の手の内も、兵法にしてきると

云手の内に替る事なし。惣而太刀にても、手にても、いつくとゆふ事きらふ。い

つくはしぬる手也。いつかざるはいきる手也。能々心得べきもの也。

 

「訳」

太刀の持ち方は、親指と人差し指を浮かす心持で、中指はしめずゆるめず、また

薬指と小指とは、しめる心で持つのである。手の内に隙間があるのはよろしくな

い。常に敵を切ることを心に置いて太刀を持て、敵を切るときにも手の具合は変

わることなく、手がすくまないように持つのである。もし敵の太刀を、たたく、

受ける、おさえるといった場合にも、親指と人差し指の調子をやや変える程度

で、いずれにしても人を切ることを考えて太刀を持つのである。試し切りをする

ときの手の調子も、実際の戦闘のときの手の調子も、人をきるという点では相違

はない。すべて、太刀にせよ、手にせよ、「居着く」ということを嫌う。固定した

ものは死に通じ、固定せぬものは生に通ずる。これをよくよく心に留めるよう

に。

 

「解説」

「いつくは死ぬる手なり、いつかざるは生きる手なり」が本項の眼目であろう。

沢庵や宗矩の言うところと一致するが、武蔵はそれを端的に生と死に結びつけて

いるところが違う。

 

かまえると思うな、切ると思え(五方の構の事)

五方のかまへは、上段、中段、下段、右のわきにかまゆる事、左のわきにかまゆ

る事、是五方也。構五ツにわかつといへども、皆人をきらん為也。構五ツより外

なし。いづれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず、きる事なりとおもふべ

し。構の大小はことにより利にしたがふべし。上中下は体の構也。右ひだりは所

によりて分別あり。此道の大事にいはく、構のきわまりは中段と心得べし。中

段、構の本意也。兵法大きにして見よ。中段は大将の座也。大将につきあと四段

の構也。能々吟味すべし。

 

「訳」

太刀をかまえる姿勢は、上段、中段、下段、右のわき、左のわき、この五つであ

る。かまえる姿勢は五つに分けられるが、それらはすべて人を切るためのもので

ある。この五つ以外のかまえはない。どのかまえをとるにしても、かまえること

が主眼ではない。人を切ることが第一であると心得よ。かまえ方の大小は、その

時々の事情により有利なものをとればよい。上段、中段、下段は基本的なかまえ

であり、両わきにかまえるのは応用的な姿勢である。左右にかまえるのは、上が

つまっていて、しかも片方のわきがつまっている場所でのことである。左右いず

れをとるかは場所によって判断する。兵法の極意にいわく、かまえの極致は中段

にあると、中段がかまえの真髄である。多人数の戦闘にあてはめて考えるなら

ば、中段は大将の位に当たり、これに他の四つのかまえがつき従うのである。こ

れをよく研究するように。

 

法則をふんだ太刀づかい(太刀の道と云事)

太刀の道を知と云は常に我さす刀をゆび二ツにてふる時も、道すじ能しりては自

由にふるゝもの也。太刀をはやく振んとするによつて、太刀の道ちがひてふりが

たし、太刀はふりよき程に静にふる心也。或扇、或小刀などつかふように、はや

くふらんとおもふによつて、太刀の道ちがひてふりがたし。それは小刀きざみと

いひて、太刀にては人のきれざるもの也。太刀を打さげては、あげよき道へあ

げ、横にふりては、よこにもどり、よき道へもどし、いかにも大きにひぢをのべ

て、つよくふる事、是太刀の道也。

 

「訳」

太刀を振る法則を知るということについて、太刀の動く法則をよくわきまえさえ

すれば、日ごろ自分が持つ太刀を、指二本で持っても自由に振ることができるも

のである。それを、太刀を早く振ろうするから、法則に背いて、振りにくくなる

のだ。太刀を振るには、振りやすいように、静かに振るのである。扇か小刀でも

振りまわすように早く振ろうと思うから、太刀の法則に背いて振りにくくなるの

だが、これは小刀きざみといって、太刀をこのように振ったのでは人を切れるも

のではない。太刀を打ちおろしたならば、あげよい方向にあげ、横に振ったなら

ば、横へと戻し、大らかに肘を伸ばして、強く振るのだ。これが太刀を振る法則

である。

 

「解説」

基本となる法則を初歩からよく身につけることが諸芸上達の近道である。そこか

らはずれた我流を、武蔵は強く排撃している。

 

「構えありて構えなし」の教え(有構無構のおしへの事)

有構無構と云は、太刀をかまゆると云事あるべき事にあらず。され共五方に置事

あればかまへともなるべし。太刀は敵の縁により所により、けいきにしたがい、

何れの方に置たりとも、其敵きりよきように持心也。上段も時に随ひ少さがる心

なれば中段となり、中段も利により少あぐれば上段となる。下段もおりにふれ少

あぐれば中段となる。両脇の構えもくらいにより少中へ出せば、中段下段共なる

心也。然によって、構はありて構はなきと云利也。先太刀をとつては、いづれに

してなりとも、敵をきると云心也。若敵のきる太刀を受る、はる、あたる、ねば

る、さわるなど云事あれども、みな敵をきる縁なり心得べし、うくると思ひ、は

ると思ひ、あたるとおもひ、ねばるとおもひ、さわるとおもふによつて、きる事

不足なるべし。何事もきる縁と思ふ事肝要也。能々吟味すべし。

 

「訳」

「構えありて構えなし」ということにつき記す。本来、太刀を構えるというのは、

ありえないことだ。(構えとは、不動の態勢をいうことばであるから)。しかし、

五つの方向に向けるのであるから、かまえるといえばそうもいえよう。いずれに

せよ、太刀の持ち方は、敵との関係により、場所の条件により、戦いの情勢によ

り、敵を切るのに都合がよいようにするのが本意である。上段にかまえていて

も、これが少し下がってくれば中段となるし、中段も必要に応じてやや上げれば

上段となる。下段も都合によってやや上げれば中段である。左右にかまえた場合

も、条件によって、やや中心の方に向ければ中段なり下段なりに変わる道理であ

る。これによって「構えあって構えなし」というわけである。およそ太刀をとる

からには、何としても敵を切ろうとするのが主眼である。もし、敵の太刀を受け

る、たたく、またはこれに当たる、粘りつく、軽くふれるなどのことがあろうと

も、これらはすべて敵を切るための手段であると考えよ。受けること、たたくこ

と、当たること、粘りつくこと、ふれることにとらわれるならば、敵を切ること

は困難となろう。すべては敵を切るための手段と思うことが肝心なのである。十

分に研究するように。

 

「解説」

武蔵の柔軟な実用主義がみごとに要約されている。型や技法は敵を切る手段であ

るにもかかわらず、その手段にとらわれるならば肝心の目的、敵を切ることはお

ろそかにならざるをえない。手段と目的とを取り違えるようになると、個人も組

織も衰退への歩みを早める。それは精神面における老化現象の最たるものだ。

 

機先を制して一気に打つ(敵を打に一拍子の打の事)

敵を打拍子に、一拍子といひて、敵我あたるほどのくらいを得て、我身もうごか

さず、心も付ず、いかにもはやく直に打拍子也。敵の太刀、ひかん、はづさん、

うたんと思心のなきうちを打拍子、是一拍子也。此拍子能ならひ得て、間の拍子

をはやく打事鍛錬すべし。

 

「訳」

敵を打つのに「一拍子の打ち」というのがある。これは敵と我とが打ち合えるほど

の間合いをとって、敵の判断がまだ定まっていないところを体も動かさず、心も

そのままに、すばやく一気に打つ拍子である。敵の側が太刀を引こうか、はずそ

うか、打とうかなどとまだ心にきめていないうちに打つのだ。この拍子をよく習

得し、チャンスを逃がさず、すばやく打つことを鍛錬せよ。

 

敵の瞬間のたるみを衝く(二のこしの拍子の事)

二のこしの拍子、我打ださんとする時、敵はやく引く、はやくはりのくるやうな

る時は、我打とみせて、敵のはりてたるむ所を打、是二のこしの打也。此書付計

にしては中々打得がたかるべし。おしへうけては、忽合点ゆく所也。

 

「訳」

二の腰の拍子というのは、こちらが打ち出そうとしたとき、敵がすばやく退き、

またははねのけようとするときには、こちらは打つように見せかけ、敵が一時緊

張し、それがゆるんだところをすかさず打つのである。これが二の腰の打ちであ

るが、この書物だけでは、なかなか打つことはできまい。しかし教えを受けれ

ば、たちまち合点のいくところである。

 

対峙状態を打開する烈しい気力(無念無相の打と云事)

敵も打ださんとし、我も打ださんと思ふ時、身も打身になり、心もうつ心になつ

て、手はいつとなく空より後ばやにつよく打事、是無念無相とて、一大事の打

也。此打たびたび出会打也。能々ならひ得て鍛錬あるべき儀也。

 

「訳」

敵も打ちかかろうとし、我も打とうと思うとき、体も打つ態勢となり、精神も打

つことに集中して、手はきわめて自然に、加速をつけて力強く打ちこむのであ

る。是が無念無想のうちといって、最も大切なうち方であり、しばしば出会うも

のである。 十分に習得して鍛錬すべきことである。

 

太刀を振り上げず力を強く打つ(石火のあたりと云事)

石火のあたりは、敵の太刀と付合ほどにて、我太刀少もあげずして、いかにもつ

よく打也。是は足もつよく、手もつよく、三所をもつてはやく打べき也。此打た

びたびならはずしては打がたし。よく鍛錬すればつよくあたるもの也。

 

「訳」

石火のあたりというのは、敵の太刀とわが太刀とがふれ合うほどの状態のとき、

こちらの太刀は少しも振り上げぬままで、きわめて強く打つのである。この打ち

は、これには足も、体も、手も力強くして、この三つの力を合わせてすばやく打

たねばならない。この打ちは、たびたび稽古しなければ打てるものではないが、

十分に鍛錬することによって強くあたるようになるのである。

 

「解説」

驚くべき技である。「たびたび習わずしては打ちがたし」というのももっともで

ある。

 

「打つ」と「あたる」の区別(打とあたると云事)

打と云事、あたると云事、二ツ也。打と云心は、いづれの打にても、思ひうけて

慥に打也。あたるはゆきあたるほどの心にて、何と強クあたり、忽敵の死ぬるほ

どにても、是はあたる也。打と云は心得て打所也。吟味すべし。

 

「訳」

打つというのと、あたるというのは別々のことである。打つという場合には、ど

のような打ち方にせよ、心に定めて確実に打つのである。これに対してあたると

いうのは、行きあたるというほどの意味であって、たとえ、どれほど強く、敵が

即死するほどにあたろうとも、その決意で打ったのでない以上、それはあたりに

過ぎない。打つというからには、十分な覚悟のもとに打つことをいう。よく研究

するように。

 

「解説」

打とうと、あたろうと、勝ちさえすればよいではないかという安易な態度は武蔵

の採るところではなかった。偶然の勝利に満足している者は、自らの力で前進

し、新しい境地を切り拓くことはできない。意識して勝ちとった成果か、偶然の

幸運か、それを厳密に区別するところから、次の一歩が始まる。

 

手を伸ばすより身を寄せつけよ(しうこうの身と云事)

秋猴の身とは、手を出さぬ心なり。敵へ入身に、少も手を出す心なく、敵打前、

身をはやくうつり入心なり。手にてうけ合するほどの間には、身も入やすきもの

なり。能々吟味すべし。

 

「訳」

秋猴(類聚名物考によれば手の短い猿を秋猴と呼ぶ)の身とは、手を出さぬとい

う心がまえである。敵に対してわが身を寄せてゆくとき、少しも手を出そうとせ

ず、敵が打ちかかるより前に、全身を寄せつけていくのである。もし手を出そう

とすると、どうしても体と遠のくものであるから、そうした気持ちを捨て去りあ

っという間に身を寄せつけていくのである。互いに手が届くほどの距離ならば、

身を寄せつけていくのも容易なものである。十分に研究するように。

 

「解説」

手を伸ばし、体を遠のけた、いわゆる屁っピリ腰では、攻めることも守ることも

できまい。思いきって対象に密着し、そのなかから勝機をつかめというのであ

る。次の二項の趣旨も同じ。

 

敵の体に全身を密着させよ(しつこうの身と云事)

膝膠とは、入身に能付てはなれぬ心也。敵の身に入時、かしらもつけ、身もつ

け、足もつけ、つよくつつく所也。人毎に顔足ははやくいれども、身ののくもの

也。敵の身へ我身をよくつけ、少も身のあいのなきやうにつくもの也。能々吟味

有べし。

 

「訳」

膝膠(うるし、にかわ)の身とは、敵に体を寄せるとき、ぴたりとついてはなれ

ぬ心がまえをいう。敵の体に身を寄せるには、頭をも、体をも、足をも、強く密

着するのである。誰しも、顔や足はすばやくくっつけても、体は後ろにのくもの

である。敵の体にわが身を十分につけ、少しの間隔もないように密着するのだ。

よくよく研究すべである。

 

気力で圧倒する「たけくらべ」(たけくらべと云事)

たけくらべと云は、いづれにても敵へ入込時、我身のちぢまざるやうにして、足

をものべ、こしをものべ、くびをものべ、つよく入、敵のかほとかほとならべ、

身のたけをくらぶるに、くらべかつと思ふほど、たけ高くなって、強く入所肝心

也。能々工夫有べし。

 

「訳」

たけくらべということにつき記す。どんな場合にも敵に身を寄付けていくとき、

我が身がちぢむことがないように、足も、腰も、頸も伸ばして、力強く身を寄

せ、敵の顔と自分の顔とが並んで、背丈をくらべれば、こちらが勝つと思うくら

いに、体を十分伸ばし、強く寄りつくことが大切である。よくよく、くふうする

ように。

 

体当たりで敵を斃す(身のあたりと云事)

身のあたりは、敵のわきへ入こみて、身にて敵にあたる心也。少我顔をそばめ、

我左の肩を出し、敵のむねにあたる也。あたる事、我身をいかほどもつよくな

り、あたる事、いきあひ拍子にて、はづむ心に入べし。此入事入ならひ得ては、

敵二間も三間もはげのくほどつよきもの也。敵死入ほどもあたる也。能々鍛錬あ

るべし。

 

「訳」

体当たりというのは、敵の手もとにとびこんで体でぶち当たることである。こち

らは顔をややそらし、左の肩を出すようにして敵の胸にぶつかるのである。この

際、こちらはできる限りの力をこめ、突き当たる拍子で、はずみをつけてとびこ

んで行け。このぶつかり方をよく習得するならば二間も三間もはねとばすよう

に、さらには敵を斃してしまうほどにも強く当たることができるものである。十

分に稽古をつむように。

 

「解説」

これまた激しい技である。防具をつけ、竹刀をふるう道場での剣術ではちょっと

考えなれないが、実際の戦闘、とくに少人数で多くの敵とわたり合うときなどに

はすこぶる有効だったと思われる。

 

一人で多人数に勝つ心得(多敵のくらいの事)

多敵のくらいと云は、一身にして大勢とたたかふ時の事也。我刀わきざしをぬき

て、左右へひろく、太刀を横にすててかまゆる也。敵は刺胞りかかるとも、一方

へおいまはす心也。敵かかるくらい前後見わけて、先へすすむものにはやくゆき

あい、大きに目をつけて、敵打出すくらいを得て、右の太刀も左の太刀も一度に

ふりちがへて、待事悪し。はやく両脇のくらいにかまへ、敵の出たる所をつよく

きりこみ、おつくづして、其儘又敵の出たる方へかかり、ふりくづす心也。いか

にもして、てきをひとへにうをつなぎにおいなす心にしかけて、敵のかさなると

見へば、其儘間をすかさず強クはらいこむべし。敵あいこむ所、ひたとおいまは

しぬれば、はかのゆきがたし。又敵の出るかたかたと思へば待心ありてはかゆき

がたし。敵の拍子をうけて、くづるる所をしり、勝事也。折々あい手を余多よ

せ、おいこみつけて、其心を得れば、一人の敵も十二十の敵も心安き事也。能稽

古して吟味有べき也。

 

「訳」

「多敵の位」というのは、こちらは一人で多数の敵とたたかう場合のことであ

る。わが太刀と脇差を抜き、両刀を左右に広く拡げてかまえる。敵が四方からか

かってきても、これを一方へ、一方へと追いまわす心持でたたかう。敵がかかっ

てくるうちの、前後をよく見分け、さきにかかってきたものとまずたたかう。広

く目を配り、敵が打ちかかってくる間合いを見きわめ、左右の刀を一時に振りち

がえるようにして切る。切ったあとは、そのまま待ってはならぬ。ただちに両脇

にかまえなおしては、敵の突出したところに烈しく切りこみ、敵の備えを押し崩

しては、また敵の突出したところを突き崩す呼吸である。なんとしても敵を一列

につなげて追いまわす気持ちで、敵が重なっていると思えば、そのまま、間をお

かせず強く打ちこむのである。敵がかたまっているところばかりを追おうとすれ

ば、はかが行かない。敵が出てきたところを打とうとすれば後手となってしま

う。敵の打ちかかってくる拍子を見きわめ、どうすればこれが崩れるかをつかん

で勝利を得るのである。折にふれて、相手を多勢寄せあつめ、追いまわす修練を

積んで、この呼吸をのみこむならば、十人、二十人の敵とも、一人の敵とも、同

じように余裕をもってたたかうことができるであろう。よくよく稽古をして研究

するように。

 

「解説」

白刃を両手に振りかざし、群がる敵を次々と斃してゆくすさまじい有様が目に浮

かぶ一節である。武蔵はこの体験をふまえて、「大分の兵法」の采配を振ること

を生涯の目標としたのであろう。

 

原則を守って、たゆまぬ鍛錬を(「水の巻」結語)

兵法、太刀を取て人に勝所を覚ゆるは、先五つのおもてを以て五方の構をしり、

太刀の道を覚へて惣体自由になり、心のきき出て道の拍子をしり、おのれと太刀

を手さへて、身も足も心の儘にほどけたる時に随ひ、一人にかち、二人にかち、

兵法の善悪をししる程になり、此一書の内を、一ケ条々と稽古して、敵とたたか

い、次第々々に道の利を得て、不断心に懸、いそぐ心なくして、折々手にふれて

は徳を覚へ、いづれの人とも打合、其心をしつて、千里の道もひと足宛はこぶな

り。緩々と思ひ、此法をおこなふ事、武士のやくなりと心得て、けふはきのふの

我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝とおもひ、此書物のごとくにして、

少もわきの道へ心のゆかざるやうに思ふべし。縦何程の敵に打ちかちても、なら

いに背く事におゐては、実の道にあるべからず。此利心にうかびては、一身を以

て数十人にも勝心のわきまへあるべし。然上は剣術の知力にて、大分一分の兵法

をも得道すべし。千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能々吟味有べきも

の也。

 

「訳」

武芸の道において、太刀をとって相手に勝つことを身につけるには、まず、上、

中、下段、右、左の五方にかまえることを学び、太刀を正しく振る法則をつか

み、全身が思うままに動くようになり、判断力がついて拍子がわかるようにな

り、太刀の動きも自然と鋭くなり、体も足も自由に働くようにつとめるのであ

る。さらに、この書物に記したことを一ケ条、一ケ条と実際に稽古しては敵との

たたかいに用い、兵法の道理を次第次第に身につけていくのである。こうしたこ

とは、絶えず念頭に置き、急ぐ心を捨てて、機会を見つけては実際に試してその

効用を体験し、どのような傾向の相手ともたたかってみては、その兵法の実態を

理解する。かくして千里の道をも、一歩一歩と進んで行くのである。武芸の道を

身につけることは武士の役目と覚悟して、あせることなく、今日は昨日のわれに

勝ち、明日は劣った者に勝ち、次には優れたものにも勝ってゆくのだと心にき

め、この書物に記したとおり、わき道に心を奪われぬよう努力を重ねよ。たと

え、どれ程強い相手に勝つことがあっても、それが原則をはずれたやり方で勝っ

たものならば、真実の兵法によるものとはいえない。正しい兵法を十分に心得る

ならば、一人で数十人の敵にも勝つ自信が生ずるであろう。このようになれば、

剣術を通じて得た英知によって、多人数の合戦にも、一対一の勝負にも勝利する

道を会得できるものである。千日の稽古を鍛、万日の稽古を錬と考え、よくよく

研究を積むように。

 

「解説」

諸道に通じる稽古の心がまえをじゅんじゅんと説いて余すところがない。狷介狐

高、いたってつきあいづらい人物と思われている武蔵だが、真剣に同じ道を進も

うとする後進に対しては、実に暖かく接していたことがうかがわれる。

 

敵の心を未然に察し、出ばなをくじく(枕をおさゆると云事)

枕をおさゆるとは、かしらをあげさせずと言心也。いかにもして敵を自由にまわ

し度事なり。然によって、敵もさやうに思ひ、我も其心あれども、人のする事を

うけがわしては叶がたし。兵法に敵の打所をとめ、つく所をおさへ、くむ所をも

ぎはなしなどする事也。枕をおさゆると云は、我実の道を得て敵にかかりあふ

時、敵何ごとにてもおもふ気ざしを、敵のせぬ内に見知りて、敵のうつと云うの

字のかしらをおさへて、跡をさせざる心、是枕をおさゆる心也。たとへば敵のか

かると云かの字をおさへ、とぶと云との字のかしらをおさへ、きると云きの字の

かしらをおさゆる、みなもつておなじ心也。敵我にわざをなす事につけて、役に

たたざる事をば敵にまかせ、役に立ほどの事をばおさへて、敵にさせぬようにす

る所、兵法の専也。是も敵のする事を、おさゐん々とする心後手也。先我は何事

にても道にまかせてわざをなすうちに、敵もわざをせんとおもふかしらをおさえ

て、何事も役にたたせず、敵をこなす所、是兵法の達者、鍛錬の故也。枕をおさ

ゆる事、能々吟味有べき也。

 

「訳」

「枕をおさえる」とは、敵に頭をあげさせないという呼吸である。およそ、兵

法、勝負の道においては、敵に自分をひきまわされ、後手後手となることは好ま

しくない。なんとしても敵を思いのままにひきまわししたいものである。したが

って、敵の側でもそのように思い、こちらもそのつもりとなるのであるが、相手

がどう出てくるかの判断がつかなければ先手をとることもできない。武芸にあっ

て、敵が打ってくるのを受けとめ、突いてくるのをおさえ、組みついてくるのを

もぎはなしなどするのは、その例である。さて、「枕をおさえる」というのは、

こちらが兵法の真髄を会得することによって、敵と相対したとき、敵が心のうち

に思うところを、まだ動作に現さぬうちに見てとり、敵がうとうとするならば、

その「う」の字のところでくいとめ、その先をさせぬという意味である。敵がか

かろうとすれば「か」の字で、とぼうとすれば「と」の字で、きろうとすれば

「き」の字で.....といったように、先手先手でおさえていくのである。敵

がわざをしかけてきたときには、役に立たぬことは敵の自由にやらせ、役にたつ

ことは先手におさえて、これをさせぬようにするのが、兵法にあってとくに大切

なところである。ただし、敵のすることをおさえよう、おさえようとばかりつと

めるのは後手である。こちらは兵法の道のままに、自由にわざをふるいつつ、敵

がわざをしかけようとする、その出ばなをくじいては、敵の企てをすべて役にた

たぬものとし、完全に料理してしまってこそ、兵法の達人たるゆえん、鍛練の成

果といえよう。枕をおさえるという呼吸は、よくよく研究すべきことである。

 

「解説」

機先を制し、主導権を奪うことは何につけても勝負の眼目だが、その呼吸をこれ

だけ具体的に述べた例はほかに見当たらない。

 

全力をつくして急所を乗り切れ(とをこすと云事)

渡を越と云は、縦ば海を渡るに瀬戸と云所もあり、亦は四十里五十里とも長き海

を越所を渡と云也。人間の世を渡るにも、一代の内にはとをこすと云所多かるべ

し。舟路にして、其との所を知り、舟の位を知、日なみを能知りて、友舟は出さ

ず共、其時の位を受、或ひらきの風にたより、或追風をも受、若かぜ替りても、

二里三里はろかずをもつて湊に着と心得て、舟を乗とり、渡を越所也。其心を得

て、人の世を渡るにも、一大事にかけて渡をこすと思ふ心有べし。兵法戦の内に

も、とをこす事肝要なり、敵の位を受、我身の達者を覚へ、其理を以てとをこす

事、よき船頭の海路を越と同じ。渡を越ては亦心安き所也。渡をこすと云事、敵

によはみをつけ、我身も先になりて、大形はや勝也。大小の兵法のうへにも、と

をこすと云心肝要なり。能々吟味あるべし。

 

「訳」

「渡を越す」という心得について。たとえば海を越すときに瀬戸というものがあ

り、四十里、五十里の海を越すにも「渡」という。つまり「急所を越す」という

ほどのことである。社会生活の上でも、一生の間にはこれと同様の場合が多いで

あろう。船路にあっては、急所の位置を知り、舟の性能の程度をわきまえ、天候

をよく心得て、状況がよければ友舟は出ずとも出航して、あるときは順風にたよ

り、または追風を受け、たとえ風向きが変わっても二里や三里は櫓の力で港に行

きつく覚悟で舟を乗りこなし、「渡」を越すのである。じんせいにおいても、こ

のように、全力をつくして急所を乗り切るという心がまえが大切であろう。兵

法、戦闘にあたっても、渡りを越すということは大切である。敵の程度をわきま

え自分の能力を自覚して、兵法の道理を活用して急場を乗り切るという呼吸は、

すぐれた船頭が海路を渡るのと同様である。一旦、「渡」を越してしまえば、あ

とは心強いものである。これによって敵を不利な状況に追いこみ、こちらは主導

権を握るのであるから、たいていの場合、勝利を得ることができる。大勢の合戦

であっても、一対一の勝負であっても「渡」を越すという心得は大切なものであ

る。よくよく研究するように。

 

「解説」

ここぞというときに全力をふりしぼって状況を有利に打開することは、人生全般

に通じる成功の秘訣である。慎重な状況判断にもとずく決断、それをためらわず

実行に移す勇気とファイト、これらを持ち合わさぬ者に人生の勝者たる資格はな

い。

 

敵の攻撃を踏みつけて勝つ(けんをふむと云事)

剣を踏むと云心は、兵法に専用る儀なり。先大きなる兵法にしては、弓鉄砲にお

ゐても、敵我方へうちかけ、何事にてもしかくる時、敵の弓鉄砲にてもはなしか

けて、其あとにかかるによって、又弓をつかい、亦鉄砲にくすりこみて、かかり

こむ時、こみ入りがたし。弓鉄砲にても、敵のはなつ内に、はやかかる心也。は

やくかかれば、矢もつかいがたし。鉄砲もうち得ざる心也。物毎を敵のしかくる

と、其儘其理を受て、敵のする事を踏つけて勝心也。亦一分の兵法も、敵の打出

す太刀のあとへうてば、とたん々となりて、はかゆかざる所也。敵の打出す太刀

は、足にてふみ付る心にして、打出す所をかち、二度目を敵の打得ざるやうにす

べし。踏と云は、足には限るべからず。身にてもふみ、心にても踏、勿論太刀に

てもふみ付て、二のめを敵によくさせざるやうに心得べし。是即物毎の先の心

也。敵と一度にといひて、ゆきあたる心にてはなし。其儘あとに付心なり。能々

吟味有べし。

 

「訳」

「剣を踏む」という呼吸は、兵法においてもっぱら用いるところである。大勢の

合戦にあって、敵がわが方へ弓、鉄砲などをうちかけてくるのは、それに続いて

こちらに攻めかかろうとするのであるから、こちらも弓をかまえ、鉄砲に火薬を

こめたりしていたのでは、いざ突撃というときに敵陣に突入することができな

い。このようなときには、敵がまだ弓、鉄砲をうちかけているうちに、いち早く

突進して行くのだ。すばやくかかっていけば、敵は弓矢をつかうことも鉄砲をう

つこともできなくなる。何事によらず、敵がしかけてくるところを、そのままに

受け、敵の意図を踏みつけて勝つ呼吸がこれである。一対一の勝負においても、

敵がうちかかってくる太刀の後から打ち返すならば「トタン、トタン」という拍

子になって、らちがあかなくなる。敵が打ち出す太刀を足で踏みつける気持ちで

圧倒し、全身で踏む、心で踏む、もちろん太刀でも踏みつけて、敵が次の攻撃に

移ることができないようにするのである。これは万事に共通する「先手をとる」

心得である。敵と同時にとはいっても、正面からぶつかるわけではない。敵のあ

とにそのまま付いていく呼吸である。よくよく研究するように。

 

「解説」

双方の力量が互角に近く、一進一退を繰り返すときには、積極進取の攻勢に出て

局面の転機をはからなければ消耗のみが多く、たたかいの決着がつかなくなる。

そうしたときの戦法が、のちの「まぶるる」であり、この「けんを踏む」なので

ある。どちらも捨て身のように見えるが、武蔵としては十分な計算の上に立った

一石であろう。

 

破綻を見逃さず徹底的に衝く(くづれを知と云事)

崩と云事は、物毎ある物也。其家のくづるる、身のくづるる、敵のくづるる事

も、時にあたりて、拍子ちがいになりてくづるる所也。大分の兵法にしても、敵

のくづるる拍子を得て、其間をぬかさぬやうに追たつる事肝要也。くづるる所の

いきをぬかしては、たてかへす所有べし。又一分の兵法にも、戦内に、敵の拍子

ちがいてくづれめつくもの也。其ほどを油断すれば、又たちかへり、新敷なりて

はかゆかざる所也。其くづれめにつき、敵のかほたてなをさざるやうに、慥に追

かくる所肝要也。追懸るは直につよき心也。敵たてかへさざるやうに打はなすも

の也。打はなすと云事、能々分別有べし。はなれざればしだるき心有。工夫すべ

きもの也。

 

「訳」

「崩れる」というのは、何事につけてもあることである。家が崩れる、身が崩れ

る、敵が崩れるなどというのは、いずれもそその時期にぶつかり、拍子が狂って

しまって崩れてゆくのである。多勢の合戦にあっても、敵が崩れかかろうとする

拍子を心得て、そのチャンスを逃さぬよう追いたてていくことが大切である。崩

れそうになる、その機会を逃すならば、また勢いを盛り返すこととなるだろう。

一対一の勝負においても、たたかっているうちに、敵の拍子が狂って破綻を生じ

ることがあるものだ。それをうっかり見のがすと、また態勢をたてなおし、もと

に戻ってしまって、らちがあかなくなる。敵の破綻につけこんで、顔をあげるこ

ともできなくなるほど確実に攻めたてていくことが大切なのだ。攻めたてる呼吸

は、まっすぐに力強く....である。敵が立ち直ることができぬよう、「打ち

放す」呼吸をよくよく会得するように。一気に打ち放しておかないと決着がつか

ないものである。この点を十分研究しなければならない。

 

「解説」

見逃してしまえば再び立ち直ってしまうような一瞬の微妙な崩れ、それをすかさ

ずとらえて、徹底的に打ち崩していけというのである。

 

膠着を破って活路を開く(四手をはなすと云事)

四手をはなすとは、敵も我も同じ心にはりやう心になつては、戦のはかかざるも

の也。はりやう心になるとおもはば、其儘心すてて、別の利にて勝事をしる也。

大分の兵法にしても、四手の心にあれば、果敢ゆかず、人のそんずる事也。はや

く心をすてて、敵のおもはざる利にて勝事専也。亦一分の兵法にても、四手にな

るとおもはば、其まま心をかへて、敵の位を得て、格別替りたる利を以て、かち

をわきまゆる事肝要也。能々分別すべし。

 

「訳」

「四つ手を放す」というのは、敵と自分とが同じようなねらいで張り合うように

なると、たたかいの決着がつかなくなるので、そういう場合には、それまでのね

らいを捨て、別の手段で勝利をしめるという心得である。大勢の合戦において

も、双方が張合うような状態では決着がつかず、兵員を多く失うものであるか

ら、すみやかにそれまでのねらいを捨てて、敵が予想もしなかった手段で勝利す

ることが大切である。また一対一の勝負においても、張り合った状態になったと

思ったら、そのままに最初のねらいを変え、敵の腕前に応じた、まったく別の手

段によって勝利を得ることが大切である。十分に検討するように。

 

「解説」

力づくで押し合うばかりが能ではない.。これでは決着がつかないと思ったら、そ

れまでの観点をさらりと捨てて、全く新しい角度から取り組むと、思わぬ局面打

開の道が開けてこよう。

 

誘いの動きで敵の本心を知る(かげをうごかすと云事)

陰をうごかすと云は、敵の心の見へわかぬ時の事也。大分の兵法にしても、何と

も敵の位の見わけざる時は、我かたよりつつよくしかくるやうに見せて、敵の手

だてをみるもの也。手だてをみては、格別の利にて勝事やすき所也。亦一分の兵

法にしても、敵うしろに太刀を構え、わきにかまへたるやうなる時は、ふつとう

たんとすれば、思ふ心を太刀に顕す物也。あらはれしるるにおゐては其儘利を受

けて、慥にかちしるべきもの也。ゆだんすれば拍子ぬくるもの也。能々吟味ある

べし。

 

「訳」

「陰を動かす」というのは、敵の本心が見きわめられぬ場合にとる方法である。

大勢の合戦の場合にも、敵軍の状況が何としても判断できないようなときには、

こちらから強くしかけるふりを見せて、敵の戦術を見ぬくものである。敵の戦術

さえわかれば、あとはその裏をかいた戦法で勝利を得るのはたやすいことであ

る。また一対一の勝負においても、敵が後方やわきに太刀をかまえて、どう出よ

うとしているのか判断がつかぬときには、不意に打ちこむそぶりを見せれば、敵

の本心が太刀の動きによって現れるのである。敵の本心が知れたならば、こちら

はそれに応じた手段によって確実に勝利をしめるのである。だが、たとえ敵の本

心がわかっても、こちらに油断があれば間をはずしてしまうものである。十分に

研究するように。

 

敵を釣りこむ心理作戦(うつらかすと云事)

移らかすと云は、物毎にあるもの也。或はねむりなどもうつり、或はあくびなど

のうつるもの也。時のうつるもあり。大分の兵法にして、敵うわきにして、こと

をいそぐ心のみゆる時は、少もそれにかまはざるやうにして、いかにもゆるりと

なりてみすれば、敵も我事に受て、気ざしたるむ物なり。其うつりたるとおもふ

時、我方より空の心にして、はやくつよくしかけて、かつ利を得るもの也。一分

の兵法にしても、我身も心もゆるりとして、敵のたるみの間をうけて、つよくは

やく先にしかけて勝所専也。亦よはするといひて、是に似たる事あり。一ツはた

いくつの心、一ツはうかつく心。一ツはよはく成心、能々工夫有べし。

 

「訳」

「移らせる」ということは、何につけてもあるものである。たとえば眠気、あく

びなどは移るものであり、また時が移るともいう。大勢の合戦において、敵軍が

落ちつきなく、ことを急ごうとする気配が見えたときには、少しもそれに取り合

わず、見るからにゆったりとかまえて見せると、敵もその気配に釣りこまれて、

心持ちがたるんでしまうものである。そのような心理に変わったと見きわめた瞬

間、こちらから無二無三の心になって、一気に力強く攻めたて、勝利を得るので

ある。一対一の勝負においても、こちらが見も心もゆるりとかまえて、敵が釣り

こまれてたるんだ瞬間をとらえて、強く、早く攻勢をかけて勝つことが大切であ

る。また、これに似た心得に「酔わせる」というのがある。退屈した気持ち、上

すべりになる気持ち、弱気になる気持ちなどに相手を引きこむのである。よくよ

く工夫すべきことである。

 

「解説」

さきの「かげを動かす」と同様、巧妙をきわめた心理作戦である。無意識のうち

に相手の発するムードに引き込まれるという人間の性質を利用して、しかけたワ

ナに陥れようというものだ。

 

もつれ合うなかで転機をつかめ(まぶるると云事)

まぶるる云は、敵我手近くなつて、互に強くはりあひて、はかやかざると見れ

ば、其儘敵とひとつにまぶれあいて、まぶれあいたる其うちに利を以て勝事肝要

也。大分小分の兵法にも、敵我かたわけては、互に心はりあいて、かちのつかざ

る時は、其儘敵にまぶれて、互にわけなくなるやうにして、其内の勝をしりて、

つよく勝事専也。克々吟味あるべし。

 

「訳」

「まぶれる」というのは、敵とわれとが接近し、互いに強く張り合って決着がつ

かなくなったとき、そのまま敵にからみつき、からみ合ったなかで有効な手段を

使って勝つ心得である。大勢の合戦にせよ、一対一の勝負にせよ、敵と味方が分

かれたままでは、互いに張合っていて勝負がつかぬという場合には、そのまま敵

ともつれ合って一つになり、その状況のなかで主導権をとり、勝利のチャンスを

つかんで勝をしめることが大切である。よくよく研究するように。

 

心底から崩れるまで打ちのめせ(そこをぬくと云事)

底を抜と云は、敵とたたかふに、其道の利を以て、上は勝と見ゆれ共、心をたへ

さざるによつて、上にてはまけ、下の心はまけぬ事あり。其儀におゐては、我俄

に替たる心になつて、敵の心をたやし、底よりまくる心に敵のなる所、見る事専

也。此底をぬく事、太刀にてもぬき、又身にてもぬき、心にてもぬく所有。一道

にはわきまへべからず。底よりくづれたるは、我心残すに及す。さなき時は、の

こす心なり。残す心あれば、敵くづれがたき事也。大分小分の兵法にしても、底

をぬく所、能々鍛錬あるべし。

 

「訳」

「底を抜く」という心得がある。これは、敵とたたかって武芸のわざにより表面

では勝ちを占めたように見えても、敵を心から破れた状態にしていないため、敵

はうわべは負けたと見せても、心底では負けていないという場合がある。そうし

たときには、こちらはそれまでの気分をがらりと変え、敵の心にとどめをさし、

完全に敗北した状況となるのを見とどけなければならない。これが「底を抜く」

ということであるが、それには太刀ででも、全身ででも、また心によっても抜く

ので、一概に理解してはならない。敵が心底から崩れてしまったときは、こちら

も心を残す必要はないが、そうでないときには残しておかねばならない。敵の側

も心を残しているときには容易に崩れはててしまわぬものである。大勢の合戦に

せよ、一対一の勝負にせよ、この「底を抜く」という心得を十分に稽古するよう

に。

 

技巧の数を誇るのは邪道(他流に太刀かず多き事)

太刀のかず余多にして、人に伝ゆる事、道をうり物にしたてて、太刀数おほくし

りたると、初心のものに深く思はせん為成べし。兵法にきらふ心也。其故は、人

をきる事、色色るとおもふ所、まよふ心也。世の中におゐて、人をきる事、替わ

る道なし。しるものも、しらざるものも、女童子も、打たたききると云道は、多

くなき所、若かはりては、つくぞなぐぞと云外はなし。先きる所の道なれば、道

の多かるべき仔細にあらず。され共、場により、事に随ひ、上わきなどのつまり

たる所などにては、太刀のつかへざるやうに持道なれば、五方とて五ツの数は有

べきもの也。それより外にとりつけて、手をねじ、身をひねりて、飛ひらき、人

をきる事、実の道にあらず。人をきるに、ねじてきられず、ひねりてきられず、

かつて役に立ざること也。我兵法におゐては、身なりも心も直にして、敵をひず

ませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝事肝心也。能々吟味あるべし。

 

「訳」

他流において、数多くの太刀づかいを人に伝授するのは、武芸を売り物とし、初

心者に「いろいろな太刀づかいを知っているものだ」と感心させようとするもの

だ。これは兵法にあって最も厭うべき精神である。なぜならば、人を斬るのに、

いろいろなやり方があると思うのが、そもそも誤っているからである。世間にあ

って、人を斬る方法にはそう変わったものとてない。武芸の心得があろうが、あ

るまいが、たとえば女子供であろうとも、人を斬ろうとすれば、打つ、たたく、

斬るといったやり方しかないのだ。それ以外には突くこと、薙ぐことがあるぐら

いのもので、何はともあれ人を斬る手段なのだから、そう多くの方法があろう道

理がない。もっとも、その場所や条件によっては、たとえば上やわきがつまって

いるところで、太刀が支えぬように持たねばならぬこともあるから、五方といっ

て五種類の持ち方があるのである。それ以外に、いろいろとこじつけて、手をね

じるとか、身をひねるとか、跳びのくとかして人を斬ろうとするなどは、真実の

兵法の道ではない。人を斬ろうというのに、ねじったり、ひねったりして斬れる

ものではない。全く役に立たぬことである。わが兵法にあっては、姿勢も心もま

っすぐに保ち、敵の側をねじらせ、ゆがませて、敵の心がゆがんだところにつけ

こんで勝つことを重んじるのである。よくよく研究するように。

 

「解説」

剣術が実用から遠ざかるにつれて武芸のショウ化がすすみ、見た目に華やかな技

巧の数々がくふうされる。武蔵はにがりきって言ったであろう。「それで人が切

れるのか」と。

 

目のつけ所は敵の心(他流に目付と云事)

目付といひて、其流により、敵の太刀に目を付るもあり。亦は手に目付る流もあ

り。或は顔に目を付、或は足などに目を付るもあり。其ごとく、とりわけて目を

つけむとしては、まぎるる心ありて、兵法のやまひと云物になるなり。其仔細

は、鞠をける人は、まりによく目を付ねども、ひんすりをけ、おいまりをしなが

しても、けまりても、ける事、物になるるとゆふ所あれば、慥に目に見るに及ば

ず又ほうかなどするもののわざにも、其道になれては、戸びらを鼻にたて、刀を

いく腰もたまなどにする事、是皆慥に目付とはなけれども、不断手にふれぬれ

ば、おのづから見ゆる所也。兵法の道におゐても、其敵々々としなれ、人の心の

軽重を覚へ、道をおこなひ得ては、太刀の遠近遅速迄むもみな見ゆる儀也。兵法

の目付は、大形其人の心に付たる眼也。大分の兵法に至ても、其敵の人数の位に

付たる眼也。観見二ツの見やう、観の目つよくして敵の心を見、其場の位を見、

大きに目を付て、其戦のけいきを見、其おりふしの強弱を見て、まさしく勝事を

得る事専也。大小兵法におゐて、ちいさく目を付る事なし。前にもしるすごと

く、濃にちいさく目を付るによつて、大きなる事をとりわすれ、まよふ心出き

て、慥なる勝をぬがすもの也。此利能々吟味して鍛錬有るべき也。

 

「訳」

流派によって、目付けといって、敵の太刀に目をつけるもの、手に目をつけるも

の、あるいは顔、あるいは足などに目をつけるものなどがある。そのようにし

て、どこか一ヶ所に目をつけようとすれば、それに迷わされて、かえって兵法の

さまたげとなるものである。その理由を述べよう。たとえば蹴鞠をする人は、鞠

に目をつけているわけではないのに、さまざまな技法を使って鞠を蹴ることがで

きるのは、それに習熟することによって、特に目をつけてみる必要がなくなって

いるからである。また、曲芸などをする者にあっても、それに熟練してくれば、

戸板を鼻に立てたり、刀を幾振りも手玉にとったりするが、これとて、はっきり

と目をつけているわけではないのに、絶えず練習を重ねることによって自然と見

えるようになっているのである。兵法の道においても、いろいろな敵とのたたか

いに慣れ、人の動きが判断できるようになり、武芸の道を会得するようになれ

ば、相手の太刀の遠近、遅速までも、すべて見通せるようになる。兵法の目のつ

け所といえば、それは相手の心につけるのだと言えよう。多勢の合戦においても

同様で、敵軍の本当の実力を判断する眼力が大切なのである。観と見の二つの見

方のうち、観すなわち事物の本質を見きわめることに主眼を置いて、敵軍の心

理、その場の状況を見ぬき、大局的な判断によってその合戦はどちらに分がある

か、その時々の戦況はどうかということを知って、確実に勝利を得ることがもっ

とも大切なのである。多勢の合戦でも一対一の勝負でも、細かなところに目をつ

けてはならない。前にも記したように、細かな部分部分に目をつけることによっ

て大局的なものを見失い、心に迷いを生じて、勝てるはずの機会を取り逃がして

しまうものである。この道理をよくよく研究し、鍛錬するように。

 

「解説」

「目のつけところは敵の心」という言い方は一見、はなはだ抽象的だが、武蔵は

観念的な説教をしているわけではない。部分の動き、表面の現象に引きずられず

大局を判断する心得を述べているのだ。それは単なる心がけだけでできるもので

はなく、曲芸師の例に見るとおり、徹底した技術の修練を先決とするものなので

ある。

 

 

破綻を見逃さず徹底的に衝く(くづれを知と云事)

崩と云事は、物毎ある物也。其家のくづるる、身のくづるる、敵のくづるる事

も、時にあたりて、拍子ちがいになりてくづるる所也。大分の兵法にしても、敵

のくづるる拍子を得て、其間をぬかさぬやうに追たつる事肝要也。くづるる所の

いきをぬかしては、たてかへす所有べし。又一分の兵法にも、戦内に、敵の拍子

ちがいてくづれめつくもの也。其ほどを油断すれば、又たちかへり、新敷なりて

はかゆかざる所也。其くづれめにつき、敵のかほたてなをさざるやうに、慥に追

かくる所肝要也。追懸るは直につよき心也。敵たてかへさざるやうに打はなすも

の也。打はなすと云事、能々分別有べし。はなれざればしだるき心有。工夫すべ

きもの也。

 

「訳」

「崩れる」というのは、何事につけてもあることである。家が崩れる、身が崩れ

る、敵が崩れるなどというのは、いずれもそその時期にぶつかり、拍子が狂って

しまって崩れてゆくのである。多勢の合戦にあっても、敵が崩れかかろうとする

拍子を心得て、そのチャンスを逃さぬよう追いたてていくことが大切である。崩

れそうになる、その機会を逃すならば、また勢いを盛り返すこととなるだろう。

一対一の勝負においても、たたかっているうちに、敵の拍子が狂って破綻を生じ

ることがあるものだ。それをうっかり見のがすと、また態勢をたてなおし、もと

に戻ってしまって、らちがあかなくなる。敵の破綻につけこんで、顔をあげるこ

ともできなくなるほど確実に攻めたてていくことが大切なのだ。攻めたてる呼吸

は、まっすぐに力強く....である。敵が立ち直ることができぬよう、「打ち

放す」呼吸をよくよく会得するように。一気に打ち放しておかないと決着がつか

ないものである。この点を十分研究しなければならない。

 

「解説」

見逃してしまえば再び立ち直ってしまうような一瞬の微妙な崩れ、それをすかさ

ずとらえて、徹底的に打ち崩していけというのである。

 

膠着を破って活路を開く(四手をはなすと云事)

四手をはなすとは、敵も我も同じ心にはりやう心になつては、戦のはかかざるも

の也。はりやう心になるとおもはば、其儘心すてて、別の利にて勝事をしる也。

大分の兵法にしても、四手の心にあれば、果敢ゆかず、人のそんずる事也。はや

く心をすてて、敵のおもはざる利にて勝事専也。亦一分の兵法にても、四手にな

るとおもはば、其まま心をかへて、敵の位を得て、格別替りたる利を以て、かち

をわきまゆる事肝要也。能々分別すべし。

 

「訳」

「四つ手を放す」というのは、敵と自分とが同じようなねらいで張り合うように

なると、たたかいの決着がつかなくなるので、そういう場合には、それまでのね

らいを捨て、別の手段で勝利をしめるという心得である。大勢の合戦において

も、双方が張合うような状態では決着がつかず、兵員を多く失うものであるか

ら、すみやかにそれまでのねらいを捨てて、敵が予想もしなかった手段で勝利す

ることが大切である。また一対一の勝負においても、張り合った状態になったと

思ったら、そのままに最初のねらいを変え、敵の腕前に応じた、まったく別の手

段によって勝利を得ることが大切である。十分に検討するように。

 

「解説」

力づくで押し合うばかりが能ではない.。これでは決着がつかないと思ったら、そ

れまでの観点をさらりと捨てて、全く新しい角度から取り組むと、思わぬ局面打

開の道が開けてこよう。

 

誘いの動きで敵の本心を知る(かげをうごかすと云事)

陰をうごかすと云は、敵の心の見へわかぬ時の事也。大分の兵法にしても、何と

も敵の位の見わけざる時は、我かたよりつつよくしかくるやうに見せて、敵の手

だてをみるもの也。手だてをみては、格別の利にて勝事やすき所也。亦一分の兵

法にしても、敵うしろに太刀を構え、わきにかまへたるやうなる時は、ふつとう

たんとすれば、思ふ心を太刀に顕す物也。あらはれしるるにおゐては其儘利を受

けて、慥にかちしるべきもの也。ゆだんすれば拍子ぬくるもの也。能々吟味ある

べし。

 

「訳」

「陰を動かす」というのは、敵の本心が見きわめられぬ場合にとる方法である。

大勢の合戦の場合にも、敵軍の状況が何としても判断できないようなときには、

こちらから強くしかけるふりを見せて、敵の戦術を見ぬくものである。敵の戦術

さえわかれば、あとはその裏をかいた戦法で勝利を得るのはたやすいことであ

る。また一対一の勝負においても、敵が後方やわきに太刀をかまえて、どう出よ

うとしているのか判断がつかぬときには、不意に打ちこむそぶりを見せれば、敵

の本心が太刀の動きによって現れるのである。敵の本心が知れたならば、こちら

はそれに応じた手段によって確実に勝利をしめるのである。だが、たとえ敵の本

心がわかっても、こちらに油断があれば間をはずしてしまうものである。十分に

研究するように。

 

敵を釣りこむ心理作戦(うつらかすと云事)

移らかすと云は、物毎にあるもの也。或はねむりなどもうつり、或はあくびなど

のうつるもの也。時のうつるもあり。大分の兵法にして、敵うわきにして、こと

をいそぐ心のみゆる時は、少もそれにかまはざるやうにして、いかにもゆるりと

なりてみすれば、敵も我事に受て、気ざしたるむ物なり。其うつりたるとおもふ

時、我方より空の心にして、はやくつよくしかけて、かつ利を得るもの也。一分

の兵法にしても、我身も心もゆるりとして、敵のたるみの間をうけて、つよくは

やく先にしかけて勝所専也。亦よはするといひて、是に似たる事あり。一ツはた

いくつの心、一ツはうかつく心。一ツはよはく成心、能々工夫有べし。

 

「訳」

「移らせる」ということは、何につけてもあるものである。たとえば眠気、あく

びなどは移るものであり、また時が移るともいう。大勢の合戦において、敵軍が

落ちつきなく、ことを急ごうとする気配が見えたときには、少しもそれに取り合

わず、見るからにゆったりとかまえて見せると、敵もその気配に釣りこまれて、

心持ちがたるんでしまうものである。そのような心理に変わったと見きわめた瞬

間、こちらから無二無三の心になって、一気に力強く攻めたて、勝利を得るので

ある。一対一の勝負においても、こちらが見も心もゆるりとかまえて、敵が釣り

こまれてたるんだ瞬間をとらえて、強く、早く攻勢をかけて勝つことが大切であ

る。また、これに似た心得に「酔わせる」というのがある。退屈した気持ち、上

すべりになる気持ち、弱気になる気持ちなどに相手を引きこむのである。よくよ

く工夫すべきことである。

 

「解説」

さきの「かげを動かす」と同様、巧妙をきわめた心理作戦である。無意識のうち

に相手の発するムードに引き込まれるという人間の性質を利用して、しかけたワ

ナに陥れようというものだ。

 

もつれ合うなかで転機をつかめ(まぶるると云事)

まぶるる云は、敵我手近くなつて、互に強くはりあひて、はかやかざると見れ

ば、其儘敵とひとつにまぶれあいて、まぶれあいたる其うちに利を以て勝事肝要

也。大分小分の兵法にも、敵我かたわけては、互に心はりあいて、かちのつかざ

る時は、其儘敵にまぶれて、互にわけなくなるやうにして、其内の勝をしりて、

つよく勝事専也。克々吟味あるべし。

 

「訳」

「まぶれる」というのは、敵とわれとが接近し、互いに強く張り合って決着がつ

かなくなったとき、そのまま敵にからみつき、からみ合ったなかで有効な手段を

使って勝つ心得である。大勢の合戦にせよ、一対一の勝負にせよ、敵と味方が分

かれたままでは、互いに張合っていて勝負がつかぬという場合には、そのまま敵

ともつれ合って一つになり、その状況のなかで主導権をとり、勝利のチャンスを

つかんで勝をしめることが大切である。よくよく研究するように。

 

心底から崩れるまで打ちのめせ(そこをぬくと云事)

底を抜と云は、敵とたたかふに、其道の利を以て、上は勝と見ゆれ共、心をたへ

さざるによつて、上にてはまけ、下の心はまけぬ事あり。其儀におゐては、我俄

に替たる心になつて、敵の心をたやし、底よりまくる心に敵のなる所、見る事専

也。此底をぬく事、太刀にてもぬき、又身にてもぬき、心にてもぬく所有。一道

にはわきまへべからず。底よりくづれたるは、我心残すに及す。さなき時は、の

こす心なり。残す心あれば、敵くづれがたき事也。大分小分の兵法にしても、底

をぬく所、能々鍛錬あるべし。

 

「訳」

「底を抜く」という心得がある。これは、敵とたたかって武芸のわざにより表面

では勝ちを占めたように見えても、敵を心から破れた状態にしていないため、敵

はうわべは負けたと見せても、心底では負けていないという場合がある。そうし

たときには、こちらはそれまでの気分をがらりと変え、敵の心にとどめをさし、

完全に敗北した状況となるのを見とどけなければならない。これが「底を抜く」

ということであるが、それには太刀ででも、全身ででも、また心によっても抜く

ので、一概に理解してはならない。敵が心底から崩れてしまったときは、こちら

も心を残す必要はないが、そうでないときには残しておかねばならない。敵の側

も心を残しているときには容易に崩れはててしまわぬものである。大勢の合戦に

せよ、一対一の勝負にせよ、この「底を抜く」という心得を十分に稽古するよう

に。

 

技巧の数を誇るのは邪道(他流に太刀かず多き事)

太刀のかず余多にして、人に伝ゆる事、道をうり物にしたてて、太刀数おほくし

りたると、初心のものに深く思はせん為成べし。兵法にきらふ心也。其故は、人

をきる事、色色るとおもふ所、まよふ心也。世の中におゐて、人をきる事、替わ

る道なし。しるものも、しらざるものも、女童子も、打たたききると云道は、多

くなき所、若かはりては、つくぞなぐぞと云外はなし。先きる所の道なれば、道

の多かるべき仔細にあらず。され共、場により、事に随ひ、上わきなどのつまり

たる所などにては、太刀のつかへざるやうに持道なれば、五方とて五ツの数は有

べきもの也。それより外にとりつけて、手をねじ、身をひねりて、飛ひらき、人

をきる事、実の道にあらず。人をきるに、ねじてきられず、ひねりてきられず、

かつて役に立ざること也。我兵法におゐては、身なりも心も直にして、敵をひず

ませ、ゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝事肝心也。能々吟味あるべし。

 

「訳」

他流において、数多くの太刀づかいを人に伝授するのは、武芸を売り物とし、初

心者に「いろいろな太刀づかいを知っているものだ」と感心させようとするもの

だ。これは兵法にあって最も厭うべき精神である。なぜならば、人を斬るのに、

いろいろなやり方があると思うのが、そもそも誤っているからである。世間にあ

って、人を斬る方法にはそう変わったものとてない。武芸の心得があろうが、あ

るまいが、たとえば女子供であろうとも、人を斬ろうとすれば、打つ、たたく、

斬るといったやり方しかないのだ。それ以外には突くこと、薙ぐことがあるぐら

いのもので、何はともあれ人を斬る手段なのだから、そう多くの方法があろう道

理がない。もっとも、その場所や条件によっては、たとえば上やわきがつまって

いるところで、太刀が支えぬように持たねばならぬこともあるから、五方といっ

て五種類の持ち方があるのである。それ以外に、いろいろとこじつけて、手をね

じるとか、身をひねるとか、跳びのくとかして人を斬ろうとするなどは、真実の

兵法の道ではない。人を斬ろうというのに、ねじったり、ひねったりして斬れる

ものではない。全く役に立たぬことである。わが兵法にあっては、姿勢も心もま

っすぐに保ち、敵の側をねじらせ、ゆがませて、敵の心がゆがんだところにつけ

こんで勝つことを重んじるのである。よくよく研究するように。

 

「解説」

剣術が実用から遠ざかるにつれて武芸のショウ化がすすみ、見た目に華やかな技

巧の数々がくふうされる。武蔵はにがりきって言ったであろう。「それで人が切

れるのか」と。

 

目のつけ所は敵の心(他流に目付と云事)

目付といひて、其流により、敵の太刀に目を付るもあり。亦は手に目付る流もあ

り。或は顔に目を付、或は足などに目を付るもあり。其ごとく、とりわけて目を

つけむとしては、まぎるる心ありて、兵法のやまひと云物になるなり。其仔細

は、鞠をける人は、まりによく目を付ねども、ひんすりをけ、おいまりをしなが

しても、けまりても、ける事、物になるるとゆふ所あれば、慥に目に見るに及ば

ず又ほうかなどするもののわざにも、其道になれては、戸びらを鼻にたて、刀を

いく腰もたまなどにする事、是皆慥に目付とはなけれども、不断手にふれぬれ

ば、おのづから見ゆる所也。兵法の道におゐても、其敵々々としなれ、人の心の

軽重を覚へ、道をおこなひ得ては、太刀の遠近遅速迄むもみな見ゆる儀也。兵法

の目付は、大形其人の心に付たる眼也。大分の兵法に至ても、其敵の人数の位に

付たる眼也。観見二ツの見やう、観の目つよくして敵の心を見、其場の位を見、

大きに目を付て、其戦のけいきを見、其おりふしの強弱を見て、まさしく勝事を

得る事専也。大小兵法におゐて、ちいさく目を付る事なし。前にもしるすごと

く、濃にちいさく目を付るによつて、大きなる事をとりわすれ、まよふ心出き

て、慥なる勝をぬがすもの也。此利能々吟味して鍛錬有るべき也。

 

「訳」

流派によって、目付けといって、敵の太刀に目をつけるもの、手に目をつけるも

の、あるいは顔、あるいは足などに目をつけるものなどがある。そのようにし

て、どこか一ヶ所に目をつけようとすれば、それに迷わされて、かえって兵法の

さまたげとなるものである。その理由を述べよう。たとえば蹴鞠をする人は、鞠

に目をつけているわけではないのに、さまざまな技法を使って鞠を蹴ることがで

きるのは、それに習熟することによって、特に目をつけてみる必要がなくなって

いるからである。また、曲芸などをする者にあっても、それに熟練してくれば、

戸板を鼻に立てたり、刀を幾振りも手玉にとったりするが、これとて、はっきり

と目をつけているわけではないのに、絶えず練習を重ねることによって自然と見

えるようになっているのである。兵法の道においても、いろいろな敵とのたたか

いに慣れ、人の動きが判断できるようになり、武芸の道を会得するようになれ

ば、相手の太刀の遠近、遅速までも、すべて見通せるようになる。兵法の目のつ

け所といえば、それは相手の心につけるのだと言えよう。多勢の合戦においても

同様で、敵軍の本当の実力を判断する眼力が大切なのである。観と見の二つの見

方のうち、観すなわち事物の本質を見きわめることに主眼を置いて、敵軍の心

理、その場の状況を見ぬき、大局的な判断によってその合戦はどちらに分がある

か、その時々の戦況はどうかということを知って、確実に勝利を得ることがもっ

とも大切なのである。多勢の合戦でも一対一の勝負でも、細かなところに目をつ

けてはならない。前にも記したように、細かな部分部分に目をつけることによっ

て大局的なものを見失い、心に迷いを生じて、勝てるはずの機会を取り逃がして

しまうものである。この道理をよくよく研究し、鍛錬するように。

 

「解説」

「目のつけところは敵の心」という言い方は一見、はなはだ抽象的だが、武蔵は

観念的な説教をしているわけではない。部分の動き、表面の現象に引きずられず

大局を判断する心得を述べているのだ。それは単なる心がけだけでできるもので

はなく、曲芸師の例に見るとおり、徹底した技術の修練を先決とするものなので

ある。

 

極意秘伝も秘するに及ばず(他流に奥表と云事)

兵法のことにおゐて、いづれを表といい、何れを奥いはん。芸によりことにふれ

て、奥をもつてきると云事にあらず。我兵法のおしへやうは、初而道を学人に

は、其わざのならいよき所をさせならはせ、合点のはやくゆく理を先におしへ、

心の及がたき事をば、其人の心ほどくる所を見わけて、次第々々に深き所の理を

後におしゆる心也。され共、大形は其ことに対したる事などを、覚へさするによ

つて、奥口といふ所なき事也。されば世の中に、山のおくを尋ぬるに、猶奥へゆ

かんとおもへば、又口へ出るもの也。何事の道におゐても、奥の出会所もあり、

口を出してよき事もあり、此戦いの利におゐて、何をかかくし、何をか顕はさ

ん。然によって、我道を伝ふるに、誓紙罰文などと云事を好まず。此道を学人の

知力をうかがい、直なる道をおしへ、兵法の五道六道のあしき所をすてさせ、お

のづから武士の法の実の道に入、うたがひなき心になす事、我兵法のおしへの道

也。能々鍛錬あるべし。

 

「訳」

兵法について語るとき、どれが初歩、どれが奥義と分けることができようか。流

派によっては、何かにつけて極意だ、秘伝だと名づけて、初歩と奥義を区別しよ

うとするが、敵とたたかう場合を考えれば、やれ初歩のわざでたたかったの、秘

伝の技で斬ったのということはあるまい。わが兵法の教え方というものは、最初

に兵法を学ぶ人に対しては、まず身につきやすいわざを練習させ、早く理解でき

る道理を教え、まだ理解しかねる点については、その人の心境が進んでいくのを

見きわめつつ、次第次第に深い道理を教えていく方針である。しかしながら、多

くの場合は、その時々に必要な技法を覚えさせるのであるから、初歩だ、奥義だ

といった区別はないのである。たとえば、山の奥を尋ねようとして、さらに奥へ

奥へと行けば、かえって入り口に出てしまうようなものである。およそ、何の道

にあっても、奥義とされるわざがふさわしい場合もあれば、初歩のわざがよい場

合もある。とりわけ兵法の道にあっては、そのうちの何は秘密とし、何は公開す

るといったことは全く不要である。したがって、わが兵法を伝授するにあたって

は、誓約書とか罰則などは用いたくない。これを学ぶ人の知力を判断し、道の真

髄を教え、さまざまな流儀の悪影響をとり除き、自然と真の武士の道に踏み入っ

て、迷いのない心境とするのが、わが兵法を伝える行き方なのである。よくよく

鍛錬を積むように。

 

「解説」

剣術は手品ではない。たとえ極意秘伝を伝授されようとも、それを理解し、体得

し、活用できるのは、その師に劣らぬ力量を持つ者に限られ、それ以外の者にと

っては猫に小判といえよう。してみれば、自分の技に絶対の自信を持つ者はその

秘伝を公開し、自分以外にはこれを活用しうるものがないことを誇ってしかるべ

である。にもかかわらず、武蔵と同時代の他の流祖たちは、唯授一人(弟子のうち

ただ一人だけに伝える)とか極深之秘とか称して、その世に伝わることを極力避け

てきた。こうした点から見ても、武蔵の態度はすがすがしく、自信にあふれてい

るではないか。

 

迷いの雲の晴れたるところ(空の巻)

二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎のなき所、しれ

ざる事を空と見たつる也。勿論空はなきなり。ある所をしりてなき所をしる。是

則空也。世のなかにおゐて、あしく見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、

実の空にはあらず、皆まよふ心なり。此兵法の道におゐても、武士として道をお

こなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんか

たなき所を空と云なれども、是実の空にはあらざる也。武士は兵法の道を慥に覚

へ、其外武芸を能つとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所な

く、朝々時々におこたらず、心意二つの心をみがき、観見二ツの眼をとぎ、少も

くもりなく、まよひの雲の晴れたる所こそ実の空としるべき也。実の道をしらざ

る間は、仏法によらず、世方によらず、おのれ々は慥なる道とおもひ、よき事と

おもへども、心の直道よりして、世の大かねにあわせて見る時は、其身々々の心

のひいき、其目々々のひずみによつて、実の道にはそむく物也。其心をしつて、

直なる所を本とし、実の心を道として、兵法を広くおこなひ、ただしく明らか

に、大きなる所をおもひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。

 

「訳」

わが二刀一流の兵法の真髄を、空の巻きとしてここに書き顕わす。空とは、物事

の存在しないこと、知り得ないことをいうものである。空とは無を意味する。す

べての存在を知りつくすことによって、初めて存在せぬもの、知り得ぬものは何

かがわかるようになる。これがすなわち空である。よく世間で、まちがった見方

をするものは、物事の判断がつかないことを空と心得ているが、これは真の空で

はない。すべて迷いの心である。兵法の道にあっても、武士としての道を実践す

るにあたって、その道を心得ず、いろいろと迷いぬいて、どうにもならなくなる

と、それが空だなどといっているが、これは決して真実の空などではない。武士

というものは、まず兵法の道を確実に身につけ、その他の武芸もよく鍛錬し、武

士としての任務を果たす上で少しも不完全なところがなくなり、心の迷いを去っ

て、一日一刻といえども修行を怠らず、精神と意志をみがき、判断力、観察力を

養わねばならない。かくして一切の迷いを克服した状態こそが、真の空の境地な

のである。この真実の境地に達しないうちは、仏の道にせよ、実社会の事がらに

せよ、自分自身では正しい道、よいことと思っていようとも、真理に照らし、社

会の基準から判断するときは、その人その人の主観的な願望や、判断の狂いによ

って、真実の道からはずれているものである。この道理をよくわきまえて、まっ

すぐな精神にのっとり、真実の心にしたがって、広く兵法の道を行い正しく、明

らかに大局を判断することが大切である。空はすなわち道、道はすなわち空と見

(真の空を悟ることが兵法の極致であり、兵法を極めればついには空の境地に達

する)。空の境地には善のみがあって悪はない。兵法の知恵、兵法の道理、兵法の

精神、これらの「有」をすべて極めつくしたとき、はじめて空の心に到達するの

である。

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