意識改革とは

私は仕事柄あちこちの会社に出向くことが多く、その会社のスローガンには

この(意識改革)文句が目に付いてしまうのである。バブルがはじけて不況

の風が身にしみてくるとやれ経費節約・リストラで人減らしと会社の都合の

よいことばかり。元々商売とは出来るだけ経費節約するのは当たり前で、景

気が悪くなったからといっていまさら節約の掛け声はおかしいのである。利

益率が下がって経営が悪化してきている会社ほど掛け声が高いのは経営者の

資質に問題がありそうである。そういう経営者がバブルのときも踊り、不況

のときもひっくり返るのである。バブルのときでも地道に経営を続けた会

社、たとえば中国銀行・前田建設など。自分の周りを気にしながら歩調をみ

んなに合わせるタイプはこの21世紀には必要とされないのだ。といって、欧

米方式の強いものだけが生き残れるというような弱肉強食の経営を応援して

いるわけではない。問題は経営者の意識改革に尽きるといえるのではないか

と、スローガンには勇ましく掲げてはいるが肝心の経営者のトップの意識が

変わっていないことだ。部下には意識改革をしろといっても自分が出来ない

ことは部下には出来ず、その会社のカラーはトップを見習うためいつまで経

っても意識改革は出来ないのだ。「どのようにして」と部下に尋ねられても

「それをお前が考えるのだ!!」と逃げることしか脳がない。しかし、尋ねる

ほうも尋ねるほうだが社長の言うことも一つ正しいことを言っているのだ。

それは自分で発見するということである。意識改革がどういうものである

か、又それはどう行うのかを判っている社長であれば、せめて部下に対して

ヒントが言えるはずなのである。その答えを言う必要はないけれどもヒント

の一つも言えるレベルに達してほしいものである。日本の商売には談合の精

神がいくつか残っていて、仲良く皆がよくなろうとする方式である。それに

対して欧米の商売のやり方は強いものが残り自分の会社だけが大事でその点

非常に利己的な会社経営である。それぞれの文化の違いといってしまえばそ

うなのだが、お客様大事で、仕入先も大事、そして皆よくなろうと自己実現

をしている会社が欧米式の会社に負けてどうするのかということである。た

だ断っておきたいことは、大きく日本と欧米と区別したが、同じ日本におい

ても欧米式の商売する人も居り、欧米でも日本式の商売をする人はいるので

ある。一言で言えば義理人情を重んじるか重んじないかの違いであろう。日

本では人間関係を重んじて商売の輪を広げることで商売が成り立ってきたの

である。どんなに時代が変わろうとも進化しない人たちは滅びるだけで、人

間関係重視の楽な商売の仕方に浸ってしまった為に商売の進化を忘れてしま

ったのだ。決して人間関係重視が悪いのではなくて、その方向に偏ったこと

にある。自然は変化しているから時代も変化するのであり、次はどんな時代

になるであろうかと知恵を絞ることを怠ったことだ。お客さんの変化あるい

は仕入先の変化など現在ではインターネットを使えば世界中の情報が手に入

る時代になったのであるから、変化が激しくその期間も短くなりつつある。

しかし50代以上の年齢でどれだけの人たちがインターネットを使いこなせる

のかと周りを見渡せばほとんどの人たちが出来ずに頭を抱えている。楽な方

向にばかりに頭を使う習慣が身に付いてしまい頭は鍛えないのでしぼんでし

まい若くして老人の脳と成り果てているのが現状である。人間のシステムは

省力化になっており、使わないところはどんどん退化するようになっている

のだ。今からでも遅くはない(いや!もう遅いか)意識改革を自ら行い意識改革

を実行して働いてくれる人間を育てることにある。田中角栄元総理のように

トップですべて決めてしまい俺についてこいの力だけの経営から脱却しなけ

ればならない。体育系のがんばれば何とかなるというような社員教育は誰も

ついては来ないのは明らかで、社訓をお題目のように唱えさせているのも効

果がない。コンビニでテープレコーダーのような声で繰り返して発声する

「いらっしゃいませ、有難うございました」とやり方が何処か似ていないだ

ろうか。言葉でなく、文字でなくて自己実現のスローガンを伝える方法を発

見することが意識改革なのである。間違った学校教育ではあるが社会人にな

ってからでも変更は可能なことを自らが示さなければ若い人たちは集まって

は来ないだろう。事業を立ち上げるときでも、いくらその本人が情熱を持っ

ていても、その情熱が若い人たちに伝わらなかったら意味がないのである。

さて貴方ならどうする。

文字も言葉もなしの伝達方法などは有り得ないと言う人はこの先を読んでも

らう必要がないのでお断りしておきたい。この世では100パーセント確実な

情報などはないし、有るという人は嘘つきだと思えばよい。たとえ分からな

くてもわずかな希望があれば突き進むのが人間としての進化の過程であろ

う。脱皮し進化するには大変な時間と金銭的なかかわりがあり、エネルギー

は消耗するが、その姿勢が生きる態度が人間の動力源でありまた生命活性化

の源泉となり得るのである。自然には感情がないから脱皮し進化しない動植

物などの生命体は容赦なく自然淘汰してしまうのは自然のシステムに組み込

まれているからである。つまり21世紀の生き方あるいはやり方としては本物

しか通用しないということだ。医者が患者を選ぶ、メーカー(販売店)がお客

を選ぶなどはもう逆転しているのはご存知の通りである。患者にとって本物

の医者、消費者にとって本物の品物あるいはアイデアが求められているの

だ。情けないことだがこの当たり前な環境にやや戻りつつあるのはこの不況

の影響によるもので個人個人が理想を掲げて団結してそうなったのではな

い。やむを得ず本物の道を行かないといい加減らやり方をしてきた会社団体

は崩壊するからである。確定された世の中から、不確定な世の中へ変化して

きたのは量子物理学という学問の影響が非常に大きいとも言える。それは因

果津の原因が結果を規定ずけるものであったものがミクロの世界では因果律

が崩壊したため原因がなくても現実化することが表面化したため我々が住む

この世界は今までと様子が変わってきたのがこの不確定な世界になった大き

な要因となったのだ。だから今の経営者たちは今まであれば来年の予想も出

来たが現在では予想できない不安定な状態でしかも、どう解決していいかも

分からないのである。社員は社員で年功序列もなくなりいつリストラになる

かもしれないし、戦々恐々としている。ここで考えてもらいたいことは必ず

解決の糸口があると信じることであり、ヒントは自然の中にあり、我々人間

も自然の一部であるのだから我々自身の中にも全ての答えがあるということ

をお伝えしたい。何百万年かの人間の歴史があるとすれば今日まで生き残っ

てきた人間にはその他の動植物などの生命体にはない何かの能力があるから

絶滅を逃れてきたことを思い起こしていただきたい。人間ほど他の動物に比

べて弱い生き物はいないのは野犬一匹でも戦えば負けてしまうことでもお分

かりだと思う。人間が現在まで生き残れたのはどんな環境でも適応したから

現在がある。何回か訪れた氷河時代にも生き残れたのはその場その場の適応

能力が高いからであって決して偶然ではない。その証拠には水だけで30日ぐ

らいは生きられるのは飢餓には強い情報が遺伝子にあるからだ。その反対に

肥満には対処の大きな要素がないために解決法は難しいのはそのためであ

る。飢餓には強いが飽食には人間は弱いことを知るべきである。さて、ここ

からは重要なポイントに入ることにしよう。

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第一ポイント

21世紀に入り意識改革が叫ばれているがその序章は1960年代のフォークソン

グから始まっているとしたらどう思われるであろうか。近年においては沖

縄・奄美の歌が浸透してきているが音楽の専門家に聞いてもなぜ沖縄・奄美の

歌が全国的あるいは世界的に受け入れられヒットしているのかが分からない

という。専門家が聞いても理由は分からないけれどなぜか魅力があり懐かし

い感じがするそうである。意識改革の波は音楽という音から入ってきている

のだ。専門家でも分からないのはその情報が原始爬虫類型の脳・哺乳類型の

脳からの情報であるので出力エネルギーが弱いために我々の顕在意識(新哺

乳類型の脳)には届かないためなのである。南西諸島の音楽が癒しの対象に

なっているが癒しの音には違いはないがそれよりも重要なメッセージが含ま

れていることを忘れてはならない。癒しの音楽といわれている曲のすべてに

当てはまることは左脳(新哺乳類型の脳)の働きが止まり右脳(原始爬虫類型・

哺乳類型の脳)が働いて活性化されていることである。つまり脳全体が赤ち

ゃん戻りとなるので喜怒哀楽だけが働いて脳が真っ白な状態となることであ

る。この赤ちゃん戻りが瞑想・禅・心身統一・自然体・無・空などと呼ばれてい

る状態なのである。この状態に導き自分で体得するために長時間座禅した

り、呼吸法に集中したり、徹底的に身体をこき使ったり、読経したり、考え

ても分かりようのない問題を考えたりして左脳をフルに使ってもうこれ以上

考えなれない状態まで追い込むことによって左脳がビジー状態になり右脳に

バトンタッチできるという時間と労力を要していたのであるが、もうそんな

に手間を掛けていては変化に追いつかないのでもう少し簡単に出来る方法を

考えて脳の進化が求められ問われているのだ。一貫してヒフミ聴感法で申し

上げているのは偏った左脳の使いすぎの習慣を改めて右脳を積極的に使い左

右脳のバランスをとることを勧めているのは左脳から右脳へ切り替える方法

を各自が体得していただくことが21世紀に向けての進化の過程であり、その

やり方の答えは自分自身に問うことにより個性別の方法が生まれ画一的にな

らないのが自然であると発表している。新哺乳類型以外の脳には何百万年の

全ての情報が収められているからその引き出しのフォルダを見つけることで

あると説いている。もう敏感なあなたであればお分かりだと思うが、新哺乳

類型の脳とは例えばパソコン用語で言えばWINDOWS XPというOSに置き換

えると分かりやすいのではないかと思う。勿論、DOSは原始爬虫類類型・哺

乳類型の脳で、OSを無理な使い方をするとビジー状態となり使えなくなるが

DOSを使ってリセットして元の状態へ戻している。つまり命に危険を及ぼす

ような状態なるとDOS(原始爬虫類類型・哺乳類型の脳)が働いて我々の命を守

るシステムが作動するのだ。火事場の馬鹿力とは緊急避難のときに脳がパニ

ック状態で考えることが出来ないときDOS(原始爬虫類類型・哺乳類型の脳)

能力発揮しているので普段では出るはずのない力が出るのである。人間以外

の生命体ではDOS(原始爬虫類類型・哺乳類型の脳)だけで遺伝子情報だけの反

射的な生き方しか出来ないが人間には新哺乳類類型の脳のおかげで現在まで

生き残れてきたがついついXP(新哺乳類型の脳)を使うのに都合が良いので私

たちはXP(新哺乳類型の脳)が起動スイッチであると勘違いし、使いすぎてみ

な可笑しくなっているのである。パソコンでもDOSが起動してからOSが使用

できるのであるから人間の脳もスイッチの起動をXP(新哺乳類型の脳)から

DOS(原始爬虫類類型・哺乳類型の脳)に切り替えることが人類が生き残るため

の脳の進化の時期を迎えているときなのである。と言ってもDOS(原始爬虫類

類型の脳)に切り替わると言っても他の動植物のように反射的な生き方にな

るのではない。喜怒哀楽だけの真っ白な状態から出発するだけで今まで通り

の働きには変わりはないので心配は要らないのだ。起動スイッチをDOS(原始

爬虫類類型)に切り替えることで今までとは違う現実を見ることを体験して

確かめていただきたいのである。自分が変化すると現実も変化してくること

を検証してより良い生活を楽しむことが目標であり、せめて自分の命は自分

で守るという基本を実行することにある。

  第二ポイント

動作のスイッチのボタンを左脳から右脳に切り替えることはさほど難しいこ

とではないが、難しくて判りにくいのは体の各部分である。例えば、イメー

ジで今から右利きを左利きにしようとしても頭脳は変えられても体が変わら

ない事である。つまり、肉体及び骨格の各部分は心と密接に作用する所もあ

りしない所があるのだ。脳と連動しないところでは手動で変更する以外な

い。なぜ体のことを重視するのかというと、イメージという感覚は右脳が働

きやすい環境におくと五感の感覚が飛躍的に高くなり、正常な肉体の持ち主

であれば異常はないが足首が曲がり、ひざが曲がり、股関節、肩関節、首な

どが間違った習慣から関節・脊髄が変形するとその部分に通じている神経が

異常をきたして五感までが異常になるからである。見えないものが見えたり

「視覚異常の幻覚」・聞こえるはずもない声や音が聞こえたりする「聴覚異

常」などが起きて現実と幻覚の間を行き来するため精神異常をきたして自殺

するか精神病院のお世話になることになる。覚醒剤中毒患者が起こす事件は

みなこの状態であるが本人は現実として受け止めているため他力によって元

に戻す手立てがないのが現状である。つまり、本人が経験していることは幻

覚であるのだと言う自覚がなければ元に戻れない事になり、そのような状態

になると自殺するほうが楽であるのだ。死んだほうが楽であるという苦しみ

は経験のない人たちには見当がつかないことであろう。実際に感覚を高める

グッズは色々あるもので水晶等の宝石類・機械的にインプットした商品など

が出回っているがなるほど感覚も上がるが体のことが分かっていないために

副作用に悩んでいる方が大勢いるし、そのエネルギー無しでは生活できない

ほど自分自身の生命エネルギーが退化してしまうのだ。知人に頼まれてそれ

なら一応お会いしょうということになり、北海道札幌の男性と面会したとき

のことである。職業は整体師で、仕事中に気を失ったりして倒れ込んでしま

うのだそうだ。その人が部屋に入ってくると非常に強いエネルギーを放射し

ており、私の体がビリビリト震えるほどなのだ。胸の辺りから出ているよう

なので上半身服を脱いでもらうとそこには円盤型の直径約30センチ位のもの

を首から下げているのである。前だけかと思うと背中にも同じものを着けて

いるのである。生命エネルギーを高めることが出来、他からの攻撃してくる

ようなエネルギーを防ぐことが出来るのだそうだ。最初に身に着けたときは

体が楽になり調子がよかったのだがそのうちこの円盤をはずすと途端に体の

調子がおかしくなりこのエネルギー円盤がないと生活できなくなり、短期間

で一枚では効かなくなりもう一枚着ける事になったというのだ。今は二枚着

けても気を失い倒れるのだそうだ。今の仕事は患者さんに影響を及ぼすので

整体は止めるように・エネルギーの円盤は外すように説得したが聞き入れて

はもらえずこの状態で何とかしてほしいとのことなので異常な体の修正に進

むとこれもとても出来ないという。もう完全に狂っているとしか思えないの

でお断りしたことがある。このような中毒症状から脱却するには止めて断つ

意外には方法はないのだ。自分以外に他に頼りきるとこうなるという見本で

あり、自分の能力を高めるには何も道具は要らないし、先生も教科書も要ら

ないのである。自然の中に又自分自身の中に存在するのであるから他の力を

借りないことが人間として進化する方法ではないかと思っている。人間は

であるといっても差し支えないのではないかと思うのは、自分以外に頼る

ように体を使えばそのように適応してしまい、他の力を借りない訓練をする

とそのような体となるからだ。体の異常を治せば心の異常が治り、心の異常

を正せば体の異常も正せるのである。自分を治すのに自分以外に救い主がい

ないということを肝に銘じてほしいのである。他に頼れば頼るほど生命エネ

ルギーは退化することを自覚してもらいたい。地球上の自然の磁力を1ガウ

スとして500ガウス以上の人口磁力製品を身に着ければどうなるかは鋭い貴

方にはお分かりであろう。楽をして肩こりが治ったとしてもそのエネルギー

の影響を受けて身体が慣れてしまい1000ガウスでも効かなくなってくるの

だ。抗生物質の乱用もそうであり、風邪引き程度で抗生物質を服用している

と命にかかわる大事なときには抗生物質が効かない事態が生まれるのだ。現

時点でのあらゆる情報は昔に比べて多すぎて判断が出来ない現実がある。考

えても答えがないときに赤ちゃん戻り(右脳優先)をしていると情報が入って

くるがこれをインスピレーションという。右脳優先ということは考えるのを

止めるのであるからお任せの境地で、右脳からの一方通行で情報が入ってく

るようになる。ある特定の人は質問をして答えが返ってくるシステムを利用

していることがあるがそのシステムは偽ファイルのときがあるから注意を要

する。それは我々人間が質問をしてあるシステムがその答えを教えてくれる

というのは幻覚に近いことなのだ。エドガーケーシーという人は催眠術をか

けてもらって無意識の状態からその答えを引き出すことは有名である。左脳

という顕在意識を使って潜在意識を引き出すことは特殊能力者でないと出来

ないことなので実行することは控えたほうがよいかと思う。

第三ポイント

人間が動作する方向には、前後・左右・ねじり・伸び縮み・重心の上下・中心軸

しかないので自分にとってからだがどの方向に偏っているのかを確かめる必

要がある。足首が右へねじれると、ひざは左へねじれ、股関節が右へねじ

れ、肩間接が左へねじれ、頚椎が右へねじれるという風に左右ばらばらにバ

ランスをとりながら体は安定をしようとしている。自分の体をゆっくりと動

かしてみてどの方向に動きやすいかを確かめると動かしやすい方向に曲げや

すい方に歪み癖づいていることがわかる。左右とも動かしやすくなっている

のが正常であるので、参考になるものは学び自分に取り入れて自分だけの体

操を発見して実行することである。全ての人に応用できる画一的な体操はな

いということなのである。自分で創造することが自分を知ることにもなり他

の人のからだの様子も見えてくるようになる。肩の力がぬけて重心が下が

り、右脳優先のイメージで赤ちゃん戻りのスタイルで生活出来れば悩みや災

難や病気は退散するであろう。現代人に今欠けているのは自分の命は自分で

守るという最低限の自己防衛を体得し、どんなに環境が変わっても適応でき

る能力を身につける事ではあるまいか。誰しも病気にはなりたくないが、か

らだからのサインを見落として無理を重ねることから病は発生する。あらゆ

る結果は自分自身での思い込みによって創造していることが起因しているこ

とに気づくことである。人間はなかなか病気にはなれないように設計されて

いるのだが、からだからのメッセージを読めないような仕組みに環境(学校

教育)から自動的にインプットされてしまっているので手動でその間違いを

正す以外に方法かないことを知るべきである。からだからの情報を受け取る

には左脳の働きを止めることで右脳が働き自動的にメッセージの受け入れが

実現する。この正しい感覚を受け取ることを聴感(きかん)と命名したが(聴感)

は私の造語である。      

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