第4節DNA遺伝子情報

第1項

遺伝子はバランスを大事にしている

「生存競争」という言葉は、ご存じ、ダーウィンの進化論から登場してきた言葉

です。生存競争に勝ち抜いたものだけが生き残り、あとは自然に淘汰されて

しまうというのが、自然界の掟だという説です。進化論は突然変異説が主流

だったわけで、強いものが勝ち、生き残る、という極めてシンプルな意見。強

い社会や強い製品は生き残る、というわけです。確かに、これは正しい部分

があります。ところが、この説に対抗して、生物は互いに助け合って進化して

いく、という説が登場したのです。これが共生的進化論。「助け合い」を重視

する進化論で、第二次大戦後天文学、地球物理学、生物学、生化学などから

生れたのですけれど、長い間、学会で相手にされなかったのです。この説で

いくと、たとえば、生命が誕生する前、原初の生みという生命の材料が満ちた

ところがあって……そこに、大腸菌のような核をもたない、単細胞の原初生物

がフアフア浮いていた。それまで存在していた単純な細胞が協調的に働き、

細胞核をもつような一段発展した細胞に進化していく、と考える説です。こう

いう進化の段階で、強いものが勝つという発想だけでは十分、説明しきれな

いのです。人類の進化でも、似たようなことがあります。ケニアのトゥルカナ湖

のほとりで発見された50万年前の遺跡では、闘争の痕跡が見つけられませ

んでした。互いに、食物を分かち合い、助け合って生きていた痕跡しかなかっ

たのです。人類の誕生のころには、権力意識や闘争があまり顕著ではなかっ

たのです。どちらの説が正しいというのではなく、遺伝子の観点からすれば、

「共同・競争」して、発展向上していくものなのでしょう。社会や組織も、仲間

の中だけで「助け合い」をしているのが、あまりそれが長く続くと、いつしか「も

たれ合い」になり、競争のないイキイキしない社会になったりします。「平等」

がいつしか単なる「横並び」になり、個性のないものばかりになったりするん

です。その時、競争や闘争が必要になります。しかし「競争」ばかりを続けて

いると、「譲る心」のない、殺伐とした社会になっていきます。遺伝子のインフ

ォメーションは、両方の側面をもっているのです。遺伝子の一つの役割は、

「安心するシステム」です。変化することで、より大きなイキイキが得られると

しても、今、それなりのイキイキがあるなら、取り敢えず「確実にあるもの」をコ

ピーし続けるんです。進化とか変化というものは、とても長い時間では起きて

いますが、遺伝子は基本においては保守的。無理しないシステムです。たし

かに、戦後、日本人はスラリと背が高くなったし、足も長くなった。親知らずも

生えず、顎がきれいな形の女の子が多い。でも、人類の歴史から言えば、大

したことじゃない。遺伝子の掌の中なんだから、大した変化じゃない。ヒトは、

100年経ってもヒト。そういう、安定や維持を求めるシステム「大胆になれな

い」とか「消極的だ」というのは、行動の基本において、ヒトは「確実にある状

態 」を次の瞬間も続けようとしているだけです。そのシステムは、「安心する

システム」にほかなりません。維持することによって、当面の生命の危機から

回避できるのです。

コメント

不安定な状態というのは、システムの筋書きにはないので安定した状態へ変

化を指示するのである。気分の悪さ、悩み、病気等で情報を伝えようとしてい

るわけなのです。ただ単に病気という症状を治せば解決したとの思い込みに

ほかなにないのである。病院で何々病と名前をつけられて「ホッ」と安心をす

る人たちが多いことは何を物語っているのであろうか。それは病という原因が

見つかったことであるが、病になった原因は追求しようとはしない。その病の

原因が分からないと、その病が手当てで治ってもまた別の病が発症するので

ある。それでも本人がそのことに気付かないと最後通告で原因の分からない

病をシステムが創造する働きもあるのである。病名がわかってもその病を治

せない情況をもシステムは創ってしまうのである。成人病で不治の病が奇跡

的に治ってしまうことが起きることがあるが、それは奇跡でもなんでもないの

である。システム(本体)・細胞が喜ぶ(イキイキ)する生き方をすれば病は治

るのではなく消滅してしまうのである。システム(細胞)からの情報は感覚でし

か受け取ることが出来ないことを知っていただきたいのである。一人々の細

胞の情報が違うということは、一人々の生き方があり、病も原因がそれぞれ

違うのである。原因が違えば当然治し方も個人別なのである。すべての人に

当てはまる病の治し方などはないと思ったほうがよい。何々療法で治ったと

いう話はよく聞くが、たまたまその病が治る条件に合っただけで、それが総て

の人に通用するかと言えばそれは疑問である。その証拠にその治し方で治る

人もあれば、治らない人もいるからである。ではどうすればよいのか。それは

自分で自分の病の治し方を発見することである。自分は自分の生き方をする

ことによってのみ、病から解放されることが解ればその答えが出るまで絶対

に諦めないことである。自分で病の治し方を諦めると、病は決して自分からは

離れてはくれないことを肝に銘じておくべきである。私たちはストレスがたまる

と病気になりやすいことを、経験的に知っています。また病気にかかったと

き、ストレスが加わると、なかなか回復しないことも知っています。すべての病

気の原因はストレスだ、という人さえいます。そしてそのことには根拠があり

そうなのです。一言でいうと、ストレスがたまると免疫系の機能が低下し、そ

のためにちょっとした病原菌にもやられてしまうようなのです。神経系は神経

伝達物質を作って、これを利用して情報の伝達をしています。免疫系はサイト

カインという情報の伝達物質を作って、これで情報を伝え合います。そして内

分泌系では、情報を伝えるのはホルモンでした。さてこれらの系の密接な関

係は、以下のような6つの項目にまとめてみることができます。第一に、リン

パ球が神経伝達物質やホルモンを作っているという点です。神経系が造る神

経伝達物質をリンパ球も作り、内分泌系が造るホルモンをリンパ球も作るの

です。第二に、これとちょうど対照的に、神経系がサイトカインを作っていると

いう点です。免疫系が作るサイトカインを神経系も作るのです。第に、リンパ

球が多くの種類の神経伝達物質を受容できる場所(受容体)を持っていると

いう点です。神経系が神経伝達物質の情報を受け入れるのは、受容体があ

るからですが、免疫系も同じように受容体を持っているのです。第四に、リン

パ球の示す免疫反応が、神経伝達物質やホルモンの存在によって、大きく影

響を受ける点です。あるものは免疫反応を促進させ、あるものは抑制します。

第五に、リンパ球が作るサイトカインが、神経系にも作用を及ぼす点です。以

上の五つの項目をながめていると、サイトカインも神経伝達物質もホルモン

も、本質的な違いはないのではなかろうか、と想像されます。そして、どうもそ

のようなのです。発見の順序が違ったために、まるで違った種類のように分

けられてしまいましたが、いまになってみると、本質的には同じ神経伝達物質

の仲間としてまとめることができそうなのです。おどろくことに、昔からこのこと

をすでに知っていたウィルスが実際にいるのです。つまり第六に、リンパ球と

神経系だけを冒すウィルスが存在しているという点です。ウィルスのほうが先

に、両者が同じであることを知っていたわけです。このようにして、研究が進

むほど、神経系と免疫系、それに内分泌系がおたがいに深く関係し合ってい

ることが明らかになってきたのです。この研究はいま急速に進んでいます。ス

トレスにさらされると病気になりやすく、また病気が治りにくいのは、神経系と

免疫系のあいだに密接な関係があるからなのです。この節でこれまで、神経

系と免疫系がおたがいに深い関係にあることを見てきました。生体の統御と

しては、もうほとんど同じメンバだといってもよいのでしょう。しかし働く仕組み

まで立ち入ってみると、両者はまったく対照的な面を持っています。免疫系の

特徴を神経系と比べながらまとめてみましょう。免疫の主人公であるリンパ球

は、ばらばらに独立して動きまわっているように見えながら、偶然に出会って

反応したり、情報物質を出して通信し合ったり、というように動的なネットワー

クを作っています。個々の細胞が自分特有の情報物質を発し、他の細胞がそ

れをたまたま受け取ってみると、「近くに来い」という信号だったり、「ガン細胞

が入ってきたからおまえもがんばれ」という情報だったりするのです。偶然性

と即興性が免疫系を特徴づけています。神経系を構成する細胞の集まりは、

中枢と末梢があって階層構造をなしていて、決まった相手をめがけてやりとり

します。ところが免疫の場合には出会いが偶然であり、また階層構造はなく

てそれぞれのリナパ球はたがいに役割分担をしながら、水平の関係になって

いるようです。神経はより効率よく行動するとか、最適に行動するというとき

に、うまく情報を集めて適切にやっていく機能を大切にしています。それに対

して免疫のほうはむしろ、元気よく生きようとか存続していこうというのが本来

のねらいです。病気になるのを防いで元気でありつづけたり、病気になっても

簡単に進行しなかったりするのは、より多く神経よりは免疫の働きです。こう

して神経系と免疫系がそれぞれの特徴を生かしながら、共存しているのが大

事なのです。生物がそうであるなら、私たちの社会も同じなのでしょう。情報

ネットワークは神経系としての側面だけが表に出てきていますが、その反面

で、免疫系としての側面があることが重要なはずです。このように見当をつけ

て、神経系と免疫系が私たちに教えてくれることに耳を傾けましょう。

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第2項

男という異物

遺伝的に均一の純系マウス同士では皮膚その他の組織を移植しても拒絶反

応は起こらないのが原則である。ところが、雄の皮膚を雌の皮膚に移植する

と、マウスの系統によってはすみやかに拒絶されてしまうことが気づかれてい

た。雌の皮膚に雄に移植しても拒絶反応は起こらない。雄と雌の違いは性染

色体にあるわけだから雌にはない雄のY染色体が、この異物性を決めている

はずである。やがてこの異物性を決めている遺伝子がY染色体上にあること

がわかり、その遺伝子の産物が、雄のあらゆる細胞の上に存在することが証

明された。HY抗原(組織適合性Y抗原)という名前で呼ばれる。HY抗原は、

まさしく生物学的に雌と雄の差を明確に示す分子である。はじめは、このHY

抗原こそ、動物の性を決定する分子であり、HYが雄の精巣形成を起こすた

めに必要な分子と考えられたが、実際にはHY抗原自身にはそういう働きが

あるわけではなかった。ただ、HI遺伝子座が、精巣決定に重要な役割を持つ

Tdf遺伝子座のごく近傍に位置しているため、HYと性決定が並行しているよ

うに見えたのである。HY抗原に相当する分子は、さまざまの脊椎動物で発

見されているが、実際の役割は不明である。ただHYが強い異物性を持って

いることは次のようなことからも知られる。雄の免疫系は、自分の中にもとも

と存在しているHYを「自己」と認めて、HYと反応する細胞を前もって消去して

しまっていることがわかった。それに対して雌にはHYがもともとないのだか

ら、HYは「非自己」と反応する能力を持っていなければならないので、雄にだ

けあるHYと反応する免疫細胞が作り出されるのである。雄の皮膚を雌が拒

絶するのは、HYと反応するT細胞が雌の中で自然に作り出されていたからで

ある。この雌のT細胞から、HYと反応するT細胞抗原レセプター(TCR)の遺

伝子を取り出して受精卵の中に入れてやると、生れた動物のT細胞の全部が

HY抗原と反応するレセプターを持つようになってしまう。生れた動物のうち雌

では、作り出されたT細胞のほとんど全部がHYと反応するレセプターを持っ

ており、他のいかなる異物とも反応することはできない。一方、雄では、「自

己」の成分であるHY抗原と反応するような細胞は、たとえ作られてもアポトー

シス(細胞の自死)によって自死してしまうので、T細胞そのものが全くない動

物になってしまう。HY抗原がいかに強力な異物性を持つかを示す一例であ

る。男は女にとっては異物であるが、女は男にとってもともと「自己」の中に含

まれているので異物にはならないわけである。


第3項

女は存在、男は現象

これまで眺めてきたように、現代の生命科学が教えている性というのは、遺

伝的に絶対的に決定されているものではないということである。性は決して自

明ではない。ことに男という性は、回りくどい筋道をたどってようやく実現して

いるひとつの状態に過ぎない。人体が発生してゆく途上で、何事もなければ、

人間はすべて女になってしまう。ある時点で、貧弱なY染色体が、たったひと

つのTdfという遺伝子を働かせることで、無理矢理男の方に軌道修正をして

男という体を作り出す。その上、脳の一部を加工することによって、もともとは

女になるべき脳の原形から男の脳を作り出す。人間の自然体というのは、し

たがって女であるということができる。男は女を加工することによって、ようや

くのことに作り出された作品である。男らしいというさまざまな特徴は、したが

って単なる女からの逸脱に過ぎないのである。身体的な自己を規定する免疫

系からみても、男は女にとっては異物であり、排除の対象なのである。男の

中には、かならず原形としての女が残っているので、女を排除することはでき

ない。こうした生物学的にハードな事実が、社会的にみた男女の差に強く反

映されていることを否定することはできない。そればかりか男女という存在自

が、こうした生物学的基礎に支えられているのではないだろうか。私には、女

は「存在」だが、男は「現象」に過ぎないように思われる。

 

第4項

言語の遺伝子または遺伝子の言語

約7千万年前の白亜紀の北米大陸のどこかで、恐竜の影に脅えながら細々

と虫を食らって生きていた鼠に似た哺乳動物が私たちの先祖である。体が小

さく適応能力にすぐれていたため、やがて襲ってきた第一次氷河期にも絶滅

することなく生き残り、いまから3千万年前に東アフリカに出現し、アラビア半

島経由でヨーロッパ、アジアへと進出して、それぞれの気候に適応した進化を

続けたという。しかし、現在のヒトやチンパンジーの直接の先祖である猿人

が、オランウータンと分かれて、アフリカ大陸で独自の進化を始めたのは千

五百万年ぐらい前とされている。最近の分子時計の研究によれば、チンパン

ジーやゴリラと人間が分岐したのは、たった4〜5百万年前ということになって

いる。分子時計というのは、特定のタンパク質や、それをコードする遺伝子の

DNAの配列を比較して、二つの種がいつごろ別々の進化を始めたのかを推

定する方法である。時間がたつにつれて、遺伝子には突然変異が蓄積され

て配列が変化してくる。こうしたDNAに刻み込まれた過去の情報をもとにし

て、人間と類猿人が分かれた時期を推定すると、従来の化石学的研究から

の数値とは大幅に違った4〜5百万年前という数値に落ちついたのだ。こうし

て生れた原人は、急速に人間らしさを獲得していく。すぐに直立歩行を始めて

た源人類は、自由になった両手を使って道具を扱う技術を身につけ、重量を

支えることのできる脊椎の上の頭蓋に脳を発達させて進化を加速させていっ

た。生誕の地アフリカから離れて、彼らの子孫はユーラシア大陸から中国に

まで拡がる。そのころから約150万年の間に身体的特徴、生活技術、集団

社会形成などすべての面で、人類特有の属性を備えて、現代人類(新人類)

に近づいていった。その後の身体的発達はめざましく、頭蓋骨などは明らか

に人類としての特徴を備えるようになった。火の使用も原人から行なわれて

いたらしく、すぐれた石器を発明して共同で大型の哺乳動物を狩猟して食用

にした。この系譜は、ジャワ原人、藍田原人、ハイデルベルク原人などの約

40万年前ごろまで栄えた中期原人を経由して、約15万年前ごろから各地に

定住していったローデシア人、大茘人、クラピア人などのいわゆる旧人類へと

つながっている。旧人類の代表がネアンデルタール人で、約7万年前に中近

東からヨーロッパ各地に定住したが、対美の氷河期、すなわち約3万年前ご

ろに、南方から侵入した現生人類(新人類)によって征服されたか、あるいは

混血を繰り返した末に、絶滅してしまったとされている。ネアンデルタール人

の化石を見ると、脳を包む頭蓋は高く円味を帯び、脳の重量は、現代人より

もやや大きい1500グラムにも達していたことが推定されている。現生人類

の身分証明ともいわれる、下顎の門の発達も始まっていた。イランの西ザグ

ロス地方のネアンデルタール人の遺跡、シャニダール遺跡では、老人の死体

をていねいに埋葬した形跡があり、埋葬地の土からは多数の花粉が発見さ

れた。死者を花で葬礼する葬送儀礼が行なわれていたらしい。死後の世界を

想像する一種の「他界観」を抱いていたのではないかとさえいわれている。そ

れほどまでの感性を持ち、想像力を持っていたと思われるネアンデルタール

人だが、言語を持っていたかどうかについては議論がわかれている。最近翻

訳が出たスティーブン・ピンカーの「言語を生出す本能」(NHKブックス)によ

ればチンパンジーやゴリラと枝分かれしたころから、原言語と呼ばれるべき音

声記号による意思交流があったのではないかという。実際残されている頭蓋

骨の解剖学的特徴から、言語能力と密接に関連している左脳のブローカ野

の発達がみてとれる。しかし、それが近代的な意味での言語と呼ぶべきもの

か、あるいはやや複雑化した音節を組合せた発声にすぎなかったかは決定

できない。しかし言語の遺伝子というものが、少なくとも旧人類で発生してい

たに違いない。1991年に出版されたノーブルとダヴィドソンの節によれば、

近代的な意味での言語活動はたかだか4万年の歴史しかもっていないとい

う。言語能力は、高度に抽象的な思考形式に依存している。同じく抽象的な

能力の現れでる。洞窟における壁画などの図像も、ネアンデルタール人の遺

跡には残されていないのである。1995年6月4日の新聞報道によれば、フ

ランス南東部のアルデシュ洞窟の壁画が、予想されていたよりは1万年以上

も古い、3万340年から3万2410年前のものであることがわかったという。

これが人類最古の壁画である。そこには狩猟民族であった彼等が、疾走する

サイや野牛の迅速な運動を、わざと重複した線を用いて、高度に象徴的かつ

抽象的に表現しようとした意図が読み取られる。3万年前の人類といえば、さ

きにたどつた人類の歴史をはるかに飛び越え、ネアンデルタール人よりもも

っと新しい、人類学的にはごく最近、すなわち原生人類(新人類ホモ・サピエ

ンス・サピエンス)の時代に入ってからのことである。図像化という象徴的な

行為は、ネアンデルタール人を絶滅させた新人類から始まった。そうすると、

同じく象徴的な能力に依存した言語も、ネアンデルタール人にはなかったとい

うのもうなずける。複雑な集団を形成し、共同して社会活動を営み、ていねい

に死者の葬送までしたネアンデルタール人は、言葉のない静かな民族であっ

た。人類の歴史は、アフリカに化石学的な原人が生れてからでも200万年に

なる。しかし言語を使い始めたのは、旧人類が生れてからでさえ1万年以上

も経過した、たったの4万年ぐらい前かららしい。それまでの人類は言葉のな

い沈黙の世界に生きていた。騒がしくなったのは、ごく最近なのである。

 

第5項

言語の進化

ネアンデルタール人をひくまでもなく、もっと下等な哺乳動物や鳥などでも、

共同社会を形成して、きわめて複雑な情報システムを駆使しているものがあ

る。しかし言語というユニークな交信機能はどうやらきわめて最近、それも突

然に獲得されたものらしい。一度獲得されると、それは増殖し拡がり続ける。

現在地球上には4千種を越す言語の多様性があるという。それでは人類は

同時多発的に言語を喋り始めたのだろうか。英国の自然科学雑誌「ネイチャ

ー」の1991年9月号に、ケンブリッジ大学の生物人類学者ロバート・フォレ

イ博士の興味深い説が出ている。その要点だけを紹介する。旧人類を絶滅さ

せた新人類も、やはりアフリカの一地方で発生したと考えられている。女性経

由でのみ伝わるミトコンドリアの遺伝子の構造を解析しながら、人類最初の

女性「イヴ」を探し出そうという研究も行なわれている。受精卵が形成されると

き、大きな卵細胞の方には、細胞のエネルギー代謝に必要なミトコンドリアと

いう構造が含まれている。そこに侵入した精子の頭にはほとんどミトコンドリ

アはない。ミトコンドリアには固有の遺伝子が含まれており、どうやら人間の

細胞のような真核細胞というものが生れたとき、別の生物からミトコンドリア

が入り込んで、その後ずっと共生しているらしいのだ。細胞が分裂するときは

ミトコンドリアも分かれて、ずっとその遺伝子は生き続ける。卵細胞にはミトコ

ンドリアの遺伝子が何百コピーもあるが、小さな精子にはほとんどないし、受

精後には消失してしまう。だから、私たち人間の持っているミトコンドリアの遺

伝子はすべて卵細胞に由来し、したがって母親由来ということになる。ミトコン

ドリアの遺伝子をたどってゆけば、人類最初の母に行きつくことができるわけ

である。アフリカで生れたイヴの子孫は、ネアンデルタール人を駆逐しながら

世界各地に分散していった。毛の生えていない裸の私たちの先祖が、どうし

て北へ北へと向かっていったのかはいまでも謎である。もし言語の起源を、こ

のアフリカの原人に求めるとしたら、言語の成立について何がわかるのだろ

うか。この問いかけは、けっして理由のないものではない。約1万5千年前の

ユーラシア大陸の大きな部分で共通に用いられていた言語族(スーパーファ

ミリーと呼ぶ)として、ノストラート語というのがあったと想定されているし、2万

年前以上前にドルドーニュ地方からウラルに至る広範な地域で、ガルヴェット

と呼ばれる共通の文化共同体が作られていたという説もある。そうした文化

的統一性は、言語共有することによってのみ得られる。アフリカ大陸から人類

が世界各地に分散してゆくのと同時に、言語の方も多様性を獲得してゆくよ

うになったと考えるのが妥当であろう。とすれば、言語でも、生物における系

統発生と同様に、言語進化の系統樹を作ることができるのではないかという

のである。フォレイ博士は、アフリカの原人から現代のアフリカ諸民族、イン

ド・ヨーロッパ人種、北アジア・アメリカインディアンなどモンゴロイドに至る方

向、さらに東南アジア・ニューギニア・オーストラリア原住民にゆく方向とを想

定し、それぞれの民族グループの間の遺伝的な差異と、グループ内で使わ

れている言語の多様性とを比較した。二つ以上の集団の間で認められる遺

伝的な差異を示す尺度を遺伝的距離という。血液型やある種の血液内酵素

のように、遺伝的な多型性を持つ物質の集団内での頻度を測定することによ

って、それぞれの民族の間の遺伝的な距離を算定することができる。たとえ

ば、チンパンジーと人間の間の距離は0・62であるのに対して、同じ尺度で

のアフリカ黒人とわれわれモンゴロイドの間は、0・03と計算される。こうして

測定された遺伝的な距離とグループ内の部族間で使われている言語の多様

性とを比較すると、この両者の間には直接的な並行関係があることがわかっ

たのである。たとえば、遺伝的に近縁関係にあるアフリカ人部族の間で使わ

れている言語の数も、やはり遺伝的に近縁な人種の集まりであるヨーロッパ

圏内で使われている言語の種類もほぼ千である。ところがもっと遺伝的な多

様性が認められる民族で構成される東アジア・オーストラリア全域で使われ

ている言語の種類はその倍の2千にも達する。遺伝的解析から得られた東ア

ジア・オーストラリア全域の人間における遺伝的な距離は、アフリカ内部、ヨ

ーロッパ内部での遺伝的な距離の約2倍である。アフリカ人を除いた、遺伝

的に多種多様な民族のすべての言語は3千におよび、さらに全人類の持つ

言語の数は4千になる。全人類間で認められる遺伝的距離は、東南アジア・

オーストラリア圏の人種で測定された遺伝的距離の2倍なのである。こうして

遺伝的距離と言語の多様性を比較した図を作ってみると、両者に直線的な関

係があることがわかった。たしかに言語の多様性と遺伝的な距離は直線的に

比例している。フォレイ氏は、遺伝子の解析から得られた遺伝的距離が遠く

なればなるほど、言語の方も隔絶した多様なものが作り出されることを膨大

なデータをもとに測定した。両者が直線的な平行関係にあることから、遺伝子

の変化と言語の多様性は、同じ原理で起こっているのではないかと推論する

のである。アフリカで生れた私たち新人類の直接の先祖が世界各地で遺伝

子を変化させながら多様化していったとき、言語の方も同じやり方で多様化し

ていったのだ。

コメント

女は存在で男は現象であるとする説に基ずくと、男にとって女にはとても叶わ

ないことが見えてくる。寿命の平均年令の統計をみてもうずけるのである。女

は現実を重視し、男は理想を重視するのであるが、それを図にすると、女は

横線、男は縦線となる。つまり、十字の図となるのである。女は現実主義であ

り、田んぼのように拡がりを好む拡散波動を放つとともに、自己中心的な行

動をとることもあるが、いざ、自分のDNAを継承した子供に対しては、いとも

簡単に犠牲的精神を発揮することを考えてみると、いよいよ怪奇な姿と映る

のは私だけではないと思うがどうであろうか。女は大地に根をおろした野草だ

とすると、男はさしずめ背の高いヒマワリかもしれない。太陽という理想を追

い求め、風が吹くとすぐ倒れてしまうし、枯れたら枯れたで土地の栄養分とな

り、野草の栄養の供給元となるストーリーが描かれているのかもしれない。

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